教養というか、知識というか
大人になってゆく段階で得る知識というのは想像以上に大事だな、というのをふと思った。
当たり前のことだが、これは「中高時代の勉強なんて大人になったら役に立たないよ」とうそぶく大人へのアンチテーゼである。それはたまたまその人の仕事が学生時代の知識を使わないタイプのものだっただけで、三角関数も電気回路もアレニウスプロットも、使う人はいつまでも使う。あとは教養はあるだけあった方が、ふとした会話でキャッキャと楽しむことができる。私はその昔「アメリカがWHO脱退」について友人がコメントした返答に「!ばらさよ盟聯」と返せたとき、そしてそれに好意的な反応を返してもらった時、こいつらと友達になって良かったな、と思ったものだ(元ネタがどんなものかは調べてほしい)。
とはいえ、そんなに難しい話をしたいわけではなく、帰りの電車の中で見た路線図でふと思い出したことを書き連ねるだけである。
その昔、学生の頃私は電車で通学していた。JRユーザーで、JR西日本は今もそうだがかなりの高頻度で人身事故による遅延、運転取りやめを引き起こす。これはJRが広範囲にわたって運転しているなど、そもそも並行私鉄に対して果たす役割が全く異なるためにどうしても避けられない話なのだが、地域の足として実際に利用している客のほとんどからすれば、知ったことではないだろう。JRはよく遅れるし、対して私鉄はよっぽどのことがない限り止まらない。それであまりにJRの運転再開見込みが立たないので、やむなく私鉄で家から一番近い駅まで行き、両親に助けを求めるなんてことをやるわけだが、まだ鉄道知識も体力も全くなかった私はその「一番近い駅」にたどり着くのがやっとで、どうすればいいか分からないままおろおろしてようやく公衆電話を見つけ、家に電話をかけたのを覚えている(当時は携帯電話未所持)。また大学受験の帰り、ふといろんなことがどうでもよくなり、行きと違う会社の電車に乗って帰ったのだが、時間はかかるし運賃は高いしで、散々な目に遭った。
今では体力もそこそこついてきたので、一番近い駅からせいぜい数キロだった距離は迷いなく歩こうと決断できる(暑い日を除く)し、鉄道の知識も大学生時代以降かなりついたので、どういうルートで行けばそこそこ安く、かつそこそこ早く目的地に着けるかも分かる。鉄道知識で救われたことが何度もあるし、そのたびに知識があって良かったと思ってきた。
もちろん鉄道の知識すべてが即刻人生の役に立つというわけではない。雑学未満のくだらない知識だってある。その重箱の隅をつつくような、一見無駄に思える知識の範囲にあるのが教養なのではと思う。学生時代に勉強したことのうち、使わない領域は無駄に思えてしまうが、私の人生を確実に豊かにしてくれている。




