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『愛さない』とは言わせない

作者: 瀬嵐しるん
掲載日:2026/02/11


モスキット伯爵家嫡男の婚姻式は、伯爵家領地の教会で粛々と行われた。

その後は集まってくれた親戚縁者たちとの豪華な会食である。


しかし、花嫁は初夜が済むまでは人前でベールを被ったまま、というのがこの国の慣習だ。

これは教会が百年前に決めたルールで、貴族家では常識となっているが、当然、花嫁は食事がしづらい。



さて、ベールの中の花嫁、元子爵家令嬢ドナテッラ・タレンギ、つまりわたしは空腹であった。

そろそろ退席して夜の支度をする時間だ。

軽食を食べさせてもらえるだろうか?

あんまり食べてもいけないから、ポタージュとかだと嬉しいな。


子爵家から伯爵家への少々格差のある嫁入りではあるが、使用人になめられるなんてことは全くない。

部屋に下がると、てきぱきと指示を出す老練のメイド長のもと、他のメイドたちはきびきびと働いてくれる。


「若奥様、お疲れ様でございました。

本日はまだお仕事がございますし、これを召し上がってください」


差し出されたのは滋味たっぷりの魚介と野菜のポタージュ。


「ありがとう。……染みるわ~」


「本当にねえ、なんで花嫁様だけ食事ができないんでしょうね。

しかも、お料理は他の方と同じように並べてあるのに。

教会はいじわるですねえ」


「でも、花嫁だけお料理が無いと、虐待っぽいしね」


「左様ですね。

昔、豪傑な花嫁がベールのまま食事して呆れらたこともあったようですが」


「あら残念。試してみればよかったわ」


「まあ本当。先にお話ししておけばよろしかったですね」


ふふふと笑い合えば、気持ちが和む。



この国の教会は、やたら貞節やら純潔やらを貴ぶ。

信心深く真面目な若い男性貴族の中には、それに感化されて大人の階段を登れない者もいるのだ。

性に奔放であることが良しとは思わないが、過ぎたるはなんとやら。


おかげでいわゆる女性らしい体型の若い娘は、時に悪者扱いである。

わたしはちっとも奔放ではないのだが、胸が大きく腰が細く、お尻も形が良いので、街を歩けば平民から口笛を吹かれることも。

そして、なぜか口笛を吹いたほうではなく、吹かれた方が悪いみたいに思われがちなのだ。


お見合いをしても、メリハリボディは敬遠される。

教会の教えに忠実な経験の浅い男子には、わたしは淫魔にでも見えるらしい。

たいていは見合い相手のご両親から、心のこもったお詫びをされるが、断られたことには変わりない。



そんな中、モスキット伯爵家から是非にと婚約の申し込みがあった。

顔合わせに行くと、見合い相手は立派な体躯でなかなかのハンサムなくせに、どう見ても教会系男子。

何人もに断られている間に、なんとなく見分けることが出来るようになってしまった自分が悲しい。


だが、顔合わせの最後に、見合い相手の母親である伯爵夫人が宣言した。


「ドナテッラ様をぜひ、息子の嫁としてお迎えしたいと思います」


伯爵は穏やかに妻を支持するように頷き、肝心の息子はうつむいた。

しかし、貴族の婚姻は家同士の契約。

彼に決定権はないし、見合いに疲れたわたしは『もらっていただけるなら、喜んで!』の境地に達していた。

彼もわたしも、婚姻適齢期から外れかけていたのだ。



婚姻まで半年の間、わたしは夫人から教育を受けるべく月の半分は伯爵家で過ごした。

婚約者とのお茶会は数えるほどで、後はガチの夫人教育である。

子爵家から高位の伯爵家に嫁ぐということで学ぶことは多く、伯爵夫人は厳しい。

それでも、話術が巧みな彼女は、高位貴族あるあるなどを交えて教えてくださったし、休憩の時は絶品スイーツが出されるなど行き届いていて、この姑にならついて行けると思った。




ポタージュをいただいた後、お風呂に入って磨き上げてもらい、夜着を隠すようにガウンを羽織る。


「よろしいですか、若奥様。

坊ちゃまが『君を愛することはない』などとベタなヘタレをかましてきましたら、押して押して押しまくるのですよ。

若奥様の、この魅惑のボディで迫ればイチコロでございます」


メイドたちの仕事を隈なくチェックして満足したメイド長は、わたしに最後のアドバイスをくれる。

若奥様とわたしを呼んでくれるくせに、生まれた時から面倒を見てきたこの家の嫡男は坊ちゃま呼びのままなのが少し可笑しかった。


「最初が肝心でございます!

媚薬なんて要りません!

若奥様の、この魅力の前にはすべては添え物です。

きっと尻込みするだろう若旦那様を、男にしてやりましょう」


「おー!」メイド一同が声をそろえる。


戦いに臨む初夜の花嫁は、孤立無援ではないのだ。



寝台に腰かけて待っていると、やがて夫が入って来た。


「……私は」


「旦那様、まずはお座りになってください」


わたしが野暮ったいローブを着こんでいるのを確認して、彼は渋々従った。


『ギャップで軽く打ちのめしましょう』


ほぼ下着なセクシー夜着を用意してくれたメイド長が、頭の中で告げる。


彼の視線がわたしのほうに向いたタイミングで、ガウンを肩から落とす。

ちょうど胸のあたりを通り過ぎかけた目が、見開かれた。


「き、君はそんな破廉恥な格好で恥ずかしくないのか!

か、神の御前で神聖な婚姻をしたその夜に、そ、そ、そんな……」


と言いつつ、わたしの胸から目が離せない彼。


「旦那様、人は神によって造られし存在です。

どんな形であっても、それは神からの贈り物ですわ」


これは、子爵領の教会のシスターからの受け売りだ。



『よいですか、お嬢様。

意気地のない男性は、魅力的な女性を前にして敵前逃亡を計ることがあります。

そんな時こそ、神のお力をお借りするときなのですよ』


領地を離れる前に、そうアドバイスされた。



わたしは一人ではない。

領地から出発する時、手を振ってくれた皆。

祝福をくれた皆。

たくさんの応援を受けて、わたしは今夜の戦いに挑んだ。


わたしは彼の手を取り、そして……




翌朝、と言ってもずいぶんと陽が高く上ったころ。


「若旦那様、若奥様、失礼いたします」


ノックの返事を受けて、部下を連れたメイド長が入って来た。

ローブを羽織った夫は、そそくさと隣室へ退避していく。


黙って行くのかと思えば、彼は振り返った。


「その……妻のこと、よろしく頼む」


「かしこまりました、若旦那様」



夫が出て行ったのを確認し、メイド長がおもむろに口を開いた。


「それで若奥様、ご首尾のほどは?」


ベッドに横たわったままのわたしが親指を立てると、メイド長は微笑み、メイドたちは拍手してくれた。

戸口からそっと覗いたお義母様が、扇子の陰で深く頷く。



メイド長たちに世話をしてもらい、ふたたび微睡んでいた午後。


「大丈夫か?」


部屋を訪れたのは夫だった。


「はい、皆様よくしてくださるので」


「これ、母からの差し入れだ」


手渡されたのはチョコレートの小箱。

『十分に身体を労わってください』とのメッセージカード付き。


「……お義母様」


わたしを厳しく指導する義母だが、同時に使用人たちへ気を配るよう指示してくれている。

いつかわたしも、そこに至れるだろうか。


「それから、これは私から」


「まあ、可愛い! ありがとうございます」


渡されたのは、小さなブーケ。

温室で育てられた貴重なバラの蕾に、思わず笑顔がこぼれた。



彼は、ベッドの端に腰かけてわたしの手を握る。


「嫁いできてくれてありがとう」


その素直な告白に、わたしの心は喜びで満たされた。



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