第6章:橘詩織という、最強の恋敵(ライバル)
運命には、意思がある。
あの公園での一件以来、その確信は冷たい恐怖となって、私の心に深く根を張っていた。私が防いだはずの偶然は、皮肉にも、二人をもっと強く結びつけるための、ただの布石に過ぎなかったのだ。
『マスター。未来分岐点への接近を警告します。本日午後3時、札幌駅前の大型家電量販店。対象・天野大和と要注意人物・橘詩織が接触します』
「……わかってる。公園で、約束してたものね」
ホテルの窓から街を眺めながら、私は力なく呟いた。あの時、木の陰から聞こえてきた二人の会話を、忘れることなんてできない。
『カメラのことで相談したいことがあるので、今度お時間いただけませんか?』
『いいですよ。じゃあ、土曜の午後とかどうです?駅前の量販店なら、品揃えもいいし』
それはもう、私が介入できるような、不確かな「偶然」ではなかった。
二人の明確な意思によって交わされた、「約束」なのだ。
私に残された道は一つ。真正面から、運命が選んだ「彼女」という存在と向き合うことだけだった。
私はただ、その瞬間を見届けるために、家電量販店のカメラコーナーが見渡せる、カフェテリアの片隅に座っていた。この目で確かめなければならない。運命が、そして大和が、なぜ「彼女」を選ぶのかを。
午後3時を少し回った頃、約束通り、大和が一人で現れた。彼は少しそわそわした様子で、入り口の方を気にしている。未来の彼からは想像もつかない、どこか初々しいその姿に、胸の奥がチクリと痛んだ。
そして、その数分後。
彼女は、まるで柔らかな光をまとっているかのように、そこに現れた。
橘 詩織。
「天野さん、お待たせしました!」
「いえ、俺も今来たとこです。こんにちは、橘さん」
その挨拶は、ぎこちない初対面のものではなく、確かな好意に裏打ちされた、温かい響きを持っていた。
「この間のワンちゃん、元気ですか?」
「はい!天野さんのおかげで、カメラもすっかり元通りです!」
他愛のない会話。しかし、その一言一言が、二人の距離を確実に縮めていくのが、痛いほどにわかった。
彼らは自然な流れで交換レンズが並ぶショーケースへと向かい、カメラ談義を始めた。専門的な用語を交えながら、楽しそうに語り合う二人。私が見たこともないほど、生き生きとした表情で話す大和。そして、彼の言葉にキラキラと瞳を輝かせ、相槌を打つ詩織。
それは、あまりにも自然で、完璧で、誰もが祝福したくなるような光景だった。
私がどんなに足掻いても、逆立ちしても、決して入り込むことのできない、圧倒的な「正しさ」が、そこにはあった。
「もしよかったら、今度一緒に撮りに行きませんか? 私、もっと天野さんから教わりたいです」
詩織の屈託のない誘いに、大和は少しだけ照れたように、でもはっきりと頷いた。
「……いいですよ。楽しそうですね」
『対象間の感情的親和性が、予測値を大幅に超えて上昇中。恋愛関係への発展確率、25.8%に更新』
アルの無機質な報告が、私を絶望の淵へと突き落とす。
嫉妬で胸が張り裂けそうだった。あの笑顔は、あの優しい声は、本来なら、私のものだったはずなのに。
最強の恋敵。
それは、意地悪な悪女でも、計算高い策略家でもなかった。
ただ、どこまでも優しくて、明るくて、そして、運命に愛された、一人の完璧な女性だった。
『……マスター』
ブレスレットから、いつもより少しだけ間を置いた、アルの声が響いた。
『成功確率は、現在1.2%まで低下。これ以上の任務続行は、統計的に無意味であると判断します。未来への帰還を、強く推奨します』
帰る?
どこへ?
大和のいない、あの色褪せた未来へ?
冗談じゃない。
私はテーブルの下で、強く、強く拳を握りしめた。爪が食い込んで、じわりと痛みが走る。
「……統計で、私の気持ちが測れるっていうの、アル?」
震える声で、私は呟いた。
「確率で、私がどれだけ大和を好きか、計算できるの?」
『……不可能です』
「でしょ」
涙が、頬を伝った。でもそれは、諦めの涙ではなかった。
彼女が完璧だって、運命に愛されているんだって、そんなことはもうどうでもいい。
私が愛した大和がいた。彼と過ごした、かけがえのない時間があった。その未来が、私が信じる唯一の真実だ。
「私は、諦めない」
ガラスの向こうで笑い合う二人を、まっすぐに見据える。
「絶対に、諦めたりしないんだから」
その声は、もう震えてはいなかった。




