第5章:偶然という名の、見えない糸
アルとの作戦会議から数日後。私は大和のSNSの投稿を、息を詰めて監視していた。
『今週末は、新しいレンズでも探しに行こうかな』
短い呟きと共に投稿されたのは、彼が愛用しているカメラの写真。来た。アルが予測していた、次の要注意フラグだ。
『マスター。歴史データによれば、対象は今週土曜日の午後、札幌駅前の大型家電量販店を訪れます。そこで、同じくカメラが趣味の橘詩織とレンズコーナーで鉢合わせし、カメラ談義に花を咲かせた後、連絡先を交換。これが二人の関係を決定的にする、最初の大きな分岐点です』
「わかってる。今回は絶対に、直接手出しはしないわ」
私とアルが立てた作戦は、情報操作による間接誘導。
私は、匿名で複数のSNSアカウントを作成し、大和がフォローしていそうなカメラ愛好家のコミュニティに、それとなく情報を流し始めた。
『【速報】今週土曜、駅前の大型家電量販店Xで、有名写真家〇〇氏のトークショー開催決定!激混み必至!』
『【悲報】量販店X、人気レンズは軒並み品切れ&取り寄せだってさ』
『【穴場情報】中央区の南、市電沿いにある中古カメラ店Yに、ヴィンテージレンズが大量入荷したらしい。店主の目利きがヤバい』
すべて、私が作り上げた嘘の情報だ。
時間の無駄と人混みを嫌う大和なら、駅前の量販店を避け、静かに掘り出し物を探せそうな、郊外の中古カメラ店を選ぶはず。そして、マニアックな中古店に、橘詩織のような人が偶然現れる確率は限りなく低い。完璧な計画だった。
そして、運命の土曜日。
私は変装し、大和のマンションから少し離れた場所で彼が出てくるのを待った。やがて現れた彼は、カメラバッグを肩にかけ、スマホの地図アプリを確認している。そして、迷うことなく最寄りの市電の停留所へと向かった。中古カメラ店Yがある、南の方向だ。
「……やった!」
思わず、小さな声が漏れる。遠くから彼の後ろ姿を見送りながら、私は勝利を確信していた。私の仕掛けた見えない糸が、確かに彼の行動を操ったのだ。
しかし、運命は、私よりもずっと老獪な操り人形師だった。
大和が乗った市電が、中心部を抜けて住宅街に差し掛かったあたりで、不意に、ガクンと揺れて停止した。
『どうしたの、アル?』
『前方で車両トラブルが発生した模様。復旧にはしばらく時間がかかるとのアナウンスです』
そんな……。
まさか、こんな偶然が。
市電が動く気配はなく、乗客たちが一人、また一人と降りていく。大和も、舌打ちをしながら外に出てきてしまった。彼はあたりを見回すと、時間を持て余したように、停留所のすぐ隣にある、小さな公園へと入っていく。
胸騒ぎがした。
私は慌てて公園の入り口まで駆け寄り、木の陰から中の様子を窺う。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
公園のベンチに座る大和。
そして、その彼の足元に、白い小型犬がじゃれついている。リードの先には、柔らかな日差しの中で、困ったように、でも嬉しそうに微笑む、橘詩織の姿があった。
「すみません、うちの子が……あら、そのカメラバッグ。もしかして、天野さん……ですか?」
「え……?」
「先日、コンビニと本屋さんで……。やっぱり!私、橘詩織です」
呆然と立ち尽くす私の前で、二人の楽しそうな笑い声が、秋の澄んだ空気に溶けていく。
私がどんなに賢く立ち回っても、どんなに完璧な計画を立てても、運命はそれを嘲笑うかのように、いともたやすく二人を引き合わせてしまう。
……いや、違う。
これは、ただの偶然じゃない。
おかしい。偶然が、重なりすぎている。
市電が、なぜこのタイミングで、この場所で壊れたの? 大和が、なぜ数ある選択肢の中から、この公園を選んだの? そして、橘詩織が、なぜ駅前から遠く離れた、こんなローカルな公園に、この瞬間にいたの?
まるで、誰かが書いた脚本みたいに、すべてが完璧に噛み合いすぎている。
背筋が、ぞくりと凍りついた。
これは、運命のいたずらなんかじゃない。
もっと大きな、何か……。まるで意思を持った何かが、積極的に、意図的に、二人を会わせようとしている……!
『歴史修正力の引力を再計算。予測値を15%上回っています』
アルの声が、私の恐怖を裏付けるように、冷たく響いた。
『マスターの介入が、逆に引力を強めている可能性を、否定できません』
その言葉は、私が戦っている相手の、本当の恐ろしさを突きつける、冷たい刃となって、私の心を深く、深く突き刺した。




