第3章:そのランチ、歴史が揺らぎます
第3章:そのランチ、歴史が揺らぎます
ストーカー認定という、これ以上ないほど不名誉な称号を得てから数日。私は大和への直接的な接触を避け、遠距離からの監視と情報収集に徹していた。下手に動けば、今度こそ通報されてゲームオーバーになりかねない。
『マスター。次の要注意フラグは本日午後12時30分。対象の勤務先ビル1階にあるカフェ『L'aube』にて発生します』
「……内容は?」
ホテルの自室で、私はベッドに突伏したまま、力なく尋ねた。
『歴史データによれば、対象は同僚と昼食をとるため同店を訪れますが、そこで偶然、別件で打ち合わせに来ていた橘詩織と遭遇。会話が弾み、週末に改めて会う約束を取り付けます』
「穏やかだけど、じわじわ効いてくるボディブローみたいなやつ……」
どうする? 今までのやり方は、すべて裏目に出ている。彼の「逆張り」癖を考えれば、「カフェに行くな」と伝えるのは、むしろ彼をカフェに誘導するだけの自殺行為だ。
『ここは敢えて何もしない、という選択肢もあります。小規模なフラグは見過ごし、より決定的な未来分岐点までエネルギーを温存するべきかと』
「ダメよ、アル!小さな火種でも、放置すれば大火事になるわ。私と彼の未来が、灰になる前に消し止めないと!」
私は一つの結論に達した。彼の逆張りを、逆利用するしかない。
正午過ぎ、私は彼の会社のビル前で、ランチに出てくる大和を待ち伏せた。
「あ、あの!」
私の姿を認めた瞬間、大和の顔が「うわ、出た」とあからさまに歪む。完全に害虫を見る目だ。心がギシギシと音を立てるが、今は耐えるしかない。
「今日のお昼、もしよかったら、あそこのカフェ『L'aube』、すっごくおすすめですよ!パスタが絶品なんです!」
私は満面の笑みで、わざとらしくカフェを指差した。
私の必死の演技に、大和は一瞬、怪訝な顔をした。だが、すぐに彼の天邪鬼な思考回路が作動したらしい。
「……そうか。なら、俺はラーメンにする」
彼はそう吐き捨てると、私に背を向けて、カフェとは逆方向にある人気のラーメン屋へと歩き出した。
よしっ!
私は心の中で、勝利のガッツポーズを決めた。ざまあみなさい、あなたの逆張り癖なんて、お見通しなんだから!
私は彼の背中を見送ると、 勝ち誇った気分でその場を去ろうとした。これで橘詩織と出会う可能性はゼロになったはず。
……だが、その時だった。
ラーメン屋の角を曲がるはずの大和が、数メートル手前でピタリと足を止めた。彼の視線の先には、昼休みのサラリーマンや学生たちでできた、長蛇の列。合理主義者の彼が、貴重な昼休みをこんな行列に費やすはずがない。
案の定、彼は忌々しげに舌打ちをすると、くるりと踵を返した。
「(まずい、カフェに戻ってくる!)」
私は慌てて近くの電柱の影に隠れた。しかし、大和はカフェには目もくれず、私とは反対側の歩道に渡ると、スマホを取り出して何かを検索し始めた。そして、全く別の方向へと歩き出したのだ。
「(……助かった)」
心底ほっとしたが、一抹の不安がよぎる。念には念を入れないと。
私は彼の後を、気づかれないように慎重に尾行し始めた。
彼が入っていったのは、大通りから一本入った、少しレトロな雰囲気の喫茶店だった。歴史データには存在しない場所だ。私はサングラスをかけ、雑誌で顔を隠しながら、彼の視界に入らない、一番奥の席に身を潜めた。
ほっと胸をなでおろした、その時だった。
大和が座った隣の席で、ノートパソコンと格闘していた女性が、突然「ああっ、もう!」と声を上げた。ショートカットが似合う、快活そうな雰囲気の女性だ。
「どうしたんですか?」
大和が、珍しく自分から声をかけている。
「すみません!突然Wi-Fiが切れちゃって……。あと少しでデータを入稿しなきゃいけないのに!」
女性が半泣きで訴える。それを見た大和は、少しだけ考えるそぶりを見せると、自分のスマホを取り出した。
「……俺のでよければ、テザリング使いますか?」
「えっ、いいんですか!?神様!」
女性――小松里奈と名乗った彼女は、フリーのデザイナーらしかった。大和のおかげで無事に入稿を終えた彼女は、すっかり彼に懐いてしまったようだ。
「天野さん、ですよね?私、この辺りで仕事してるんです!このお礼、絶対にさせてください!」
そう言って、二人はごく自然な流れで連絡先を交換していた。
私の席から、二人の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
私が守ろうとした歴史には、存在しなかったはずの、新しい恋の火種。
ラーメン屋の行列という、たった一つの日常的な偶然が、全く新しい運命の分岐点を生み出してしまったのだ。
『警告。未確認のタイムライン分岐を検知。新規対象『小松里奈』との恋愛発展確率、12.7%』
アルの無慈悲なアナウンスが、私の脳内に響き渡る。
店を出ていく二人の後ろ姿を見ながら、私はテーブルに突伏した。
「……もう、やだぁ……」
私の涙声は、喫茶店の穏やかな喧騒の中に、虚しく溶けて消えていった。




