エピローグ:僕の隣で笑う、朱里(きみ)
あれから、季節は一巡りした。
札幌の街は、再び赤や黄色に色づき始め、空は高く、澄み渡っている。
一年前、俺の人生に、彼女という名の、奇妙で、厄介で、そして何よりも愛おしい特異点が現れた、あの季節だ。
「……ねえ、見て。きれい」
隣に座る彼女――朱里が、公園の木々を見上げながら、子供のようにはしゃいだ声を上げた。その指先が、ほんの少しだけ、陽の光に透けて、きらりと光る。
俺たちの戦いは、まだ終わってはいない。
あの日、俺たちが選んだ「運命への逆張り」は、壮絶を極めた。
俺の理論と、彼女の「この世界にいたい」と願う強い意志、そして破損したアルから得られた断片的な未来の技術。その全てを組み合わせ、彼女という存在を、この時間に無理やり定着させるためのアンカーを打ち込む。それは、時空という荒れ狂う海に、一本の脆い錨を下ろすような、無謀な賭けだった。
何度も、彼女の体が消えかけた。そのたびに、俺は彼女の手を握りしめ、彼女は俺の名前を呼び続けた。
俺たちは、二人で、運命と戦った。
結果として、彼女は、この世界に留まることができた。
時折、強い感情の昂りがあると、体が少しだけ透けてしまう、不安定な存在のままだけれど。
「……何を、にやにやしてるの?」
俺の視線に気づいた朱里が、小首を傾げて尋ねる。
「いや。一年前は、あんたに『このベンチに座るな』って言われたな、と思って」
「……うっ。そ、それは、その……」
顔を真っ赤にして、しどろもどろになる彼女。その反応が、たまらなく愛おしい。
俺は、彼女の、もう透けてはいない手を、そっと握った。
確かな温もりが、そこにはあった。
俺の人生は、めちゃくちゃになった。
平穏で、合理的で、誰にも心を許さない、安全な日常は、もうどこにもない。
でも、不思議と、後悔はなかった。
空っぽだった俺の世界は、彼女が来たことで、喜怒哀楽の全ての色で、満たされたのだから。
「ありがとうな、朱里」
「……え?」
「俺を見つけ出してくれて、ありがとう」
俺の言葉に、彼女の瞳が、みるみるうちに潤んでいく。
そして、次の瞬間、彼女は、俺が未来で失ったはずの、そして、この一年間、ずっと取り戻したかった、最高の笑顔を見せてくれた。
僕の隣で笑う、朱里。
ああ、俺が守りたかった未来は、これだったんだ。
その時だった。
俺が修理して、今は朱里の腕に戻っているブレスレット『アル』が、静かに、しかし鋭い警告音を発した。
『警告』
スクリーンに、一つの文字が浮かび上がる。
『時空連続体に、新たな、そして既知のアンカーを検知。座標……マスターのいた、30年後の未来です』
新たな、そして、既知の?
俺と朱里は、顔を見合わせた。
それは、俺たちの戦いが、まだ始まったばかりであることを告げる、始まりの合図だった。
でも、もう怖くはなかった。
俺は、隣で同じように覚悟を決めた顔をしている、彼女の手を、もう一度、強く握りしめた。
どんな未来が来ようと、どんな運命が俺たちを待ち受けていようと。
二人でいれば、きっと乗り越えていける。
俺たちは、頷き合うと、色づき始めた公園を、未来へと、ゆっくりと歩き出した。




