第16章:祭りの熱狂、運命が起こした本当の事故
『札幌銀河流舞フェスティバル』、本祭の日。
大通公園は、地鳴りのような演舞の音と、叩きつけるような鳴子のリズム、そして数万人の観客が発する途方もない熱気に支配されていた。
私は、その熱狂の渦から少し離れた、特設ステージが見渡せるビルの屋上から、全てを見ていた。
灰になった心で、ただ、最後の観客として。
『対象、天野大和および橘詩織。メインステージ前に到着』
アルの報告に、私は双眼鏡を覗いた。
人混みの中、詩織に手を引かれるようにして、大和がいた。その表情は硬く、心から楽しんでいるようには見えない。私の言葉が、小さな棘のように心の隅に刺さっているのが、痛いほどにわかった。
それでも、彼は来た。私の言葉に「逆張り」して、詩織との未来を選んだのだ。
これで、終わり。
私の負けだ。
そう思った、その時だった。
ステージの演舞が最高潮に達し、頭上のドローンが巨大な不死鳥を描き出した、まさにその瞬間。
金属が引き千切れるような、耳障りな悲鳴のような音が、爆音の音楽を突き破って響き渡った。
次の瞬間、ステージの照明やスピーカーを吊り下げていた、巨大な鉄骨のトラスの一部が、ゆっくりと、しかし確実に、観客席に向かって傾ぎ始めたのだ。
「……え?」
人々の歓声が、一瞬にして恐怖の絶叫に変わる。
誰もが、何が起きたのか理解できずに、空を見上げていた。
『警告!ステージ機材の構造的欠陥による、大規模な崩落事故が発生!』
アルの絶叫に近い警告が、脳内に叩きつけられる。
歴史データには、こんな事故、どこにもなかった。これは、運命の修正力?いや、違う。もっと混沌とした、純粋な悪意の塊のような、予測不能な「運命の暴走」。
双眼鏡のレンズが、震える手で一点を捉える。
崩れ落ちてくる鉄骨の、その真下。
あまりの出来事に、腰を抜かしたように動けなくなっている詩織と、彼女を庇うように立ち尽くしている、大和の姿があった。
――逃げて。
声にならない叫び。
でも、もう間に合わない。
思考より先に、体が動いていた。
私は屋上のフェンスを乗り越え、非常階段を、一段飛ばしで駆け下りる。理屈じゃない。確率でもない。
ただ、愛した人が、今、死んでしまう。
『マスター、危険です!マスター!』
アルの制止の声も、もう聞こえない。
人混みを、獣のような叫びを上げながら、かき分ける。
「どいて!どいてください!」
スローモーションのように、巨大な鉄骨が迫ってくるのが見えた。
あと、数メートル。
届かない。
「大和っ!!」
未来で、何度も呼んだ、その名前を。
今、初めて、この世界の彼に向かって叫んだ。
私の声に、彼がはっとしたように、こちらを向く。
その、驚きに見開かれた瞳。
それが、私が見た、彼の最後の顔だった。
私は、最後の力を振り絞って、地面を蹴った。
そして、彼の体を、全力で突き飛ばした。
――ドンッ。
背中に、鈍い、信じられないほどの衝撃。
一瞬、視界が真っ赤に染まり、そして、何も見えなくなった。
祭りの熱狂も、人々の悲鳴も、鳴子の音も、すべてが遠くに聞こえる。
薄れゆく意識の中で、最後に聞こえたのは、彼の声だった。
私が突き飛ばしたせいで、数メートル転がった彼が、血の気の引いた顔で、私に向かって何かを叫んでいる。
「……お前っ……!」
その声は、驚きと、混乱と、そして、今まで聞いたことのない、深い、深い絶望の色をしていた。
ごめんね、大和。
やっぱり私、あなたの前から、消えるべきじゃなかったみたい。
そこで、私の意識は、完全に闇に呑まれた。
◇
突き飛ばされ、何が起きたのか、大和には理解できなかった。
ただ、さっきまで自分がいた場所に、巨大な鉄骨と、血を流して倒れている、あの女の姿があった。
自分をストーキングし、つきまとい、訳のわからないことばかり言っていた、あの女が。
今、自分の身代わりになって、そこに倒れている。
なぜ。
どうして。
「う……あ……」
言葉にならない声が、喉から漏れる。
頭が、理解を拒絶する。
「あああああああああああああああああっ!!」
意味の分からない、魂からの絶叫が、祭りの喧騒を切り裂いて、響き渡った。
お前は、一体、誰なんだ。
その問いは、もう誰にも届かなかった。




