③
「ねぇ……お父様、どうするの?」
「確認をしたいが我々が間違いを指摘するわけには……もし本当にミシュリーヌ宛てだとしたら……だが、うーん」
ミシュリーヌはクロエの影に隠れて、特に話題も上がることもない平凡な令嬢だ。
わざわざミシュリーヌを選んだとなると、その理由もまったくわからない。
クロエと勘違いした、ということは本当にないのだろうか。
ということは、名前を書き間違えた線が濃厚だろう。
そう思い、納得していたのだが……。
しかし第一騎士団の騎士団長アントニオのメモ入りである。
『ミシュリーヌ嬢、オレリアンを頼む』
所々、紫色の液体で汚れた紙。
ガタガタの字のメッセージ本人かは疑わしいが、わざわざ悪戯でアントニオの名前を使うことはないだろう。
(……やっぱりクロエとわたしの名前を間違えたのかしら)
ミシュリーヌも父もさりげなくクロエではないかと確認しようとしていたが、運が悪いことにがオレリアンは騎士団の仕事で急遽隣国へ行っていて確認ができない。
これ以上、こちらにはどうしようもない状態に困惑。
オレリアンはなるべく早めに返信が欲しいと書かれていたため、隣国から帰ってくるまでには決断するべきなのだろう。
乱雑な字ではあるが、しっかりと必要な部分は書き込まれていた。
諦めたのか父は吹っ切れたのかミシュリーヌの肩に手を置いた。
「ミシュリーヌ、こんなチャンス二度とないぞ!」
「ですがお父様……本当にわたしで大丈夫でしょうか」
「レダー公爵と縁を結べるなどありがたい。もう後戻りはできないし、とりあえず行ってこい!」
「…………はい」
ミシュリーヌはシューマノン子爵家のためにこの婚約を受けるしかなかった。
あれよあれよとミシュリーヌとオレリアンの婚約話がまとまってしまい、今に至る。
そして初めての顔合わせで、オレリアンに直接『この婚約は間違いだった』と、言われたことでミシュリーヌは何ともいえない気持ちになった。
何が間違っているのか理由を聞いてもいいか悩みつつ今に至る。
気まずい空気が二人の間を流れていた。
オレリアンの表情がまったく動かないのも恐ろしいではないか。
(エーワンお兄様は嘘つきね。レダー公爵は、どうしてちゃんと名前を確認しなかったのかしら……。まぁ、今となってはどうしようもないんだけど)
それよりもオレリアンの顔色が悪いように見えるのは気のせいではないだろう。
彼の健康状態が気になり、そわそわしていたミシュリーヌだったが、このタイミングで言うわけにもいかず黙っていた。
「…………」
「…………」
ミシュリーヌもオレリアンに気持ちがないため、彼にどう思われてもどうでもいいのだが、正直なところを言えば間違えて欲しくなかった。
それに明日は月に一、二度ある第二騎士団の公開練習だ。
ミシュリーヌの心配事は一つだけ。
(推し活のことを否定されたらどうしましょう……)
実はミシュリーヌには日本で暮らしていた前世の記憶がある。
小さな頃から重い病で病院で過ごして、ほとんどベッドから出ることができなかった。
唯一、できることといえば画面越しでの推し活だけ。
苦しい治療を乗り越えたのは推しが心の支えになってくれたからだ。
本当はもっともっとやりたいことはたくさんあったが、結局死ぬまでは病院から出ることはできなかった。
(健康だったら、人生が変わっていたのかな……)
普通に生活できること。そのことがうらやましくて仕方なかった。
ライブに行ったり、グッズを買いに行って、推しについて語り尽くしてみたかったという未練を残したまま病で命を落としたのだが……。
気がついたらミシュリーヌになっていた。
その記憶が蘇ったのはミシュリーヌが七歳の時だ。
ミシュリーヌは高熱を出して、目が覚めたら別人になったと屋敷では話題だったのだが、その話はひとまず置いておこう。
(生きているだけで最高なのに、健康な体で過ごせるなんて夢みたいだわ……!)
ここがたくさん読んでいた小説のうちの一つ。
その小説の中の自分がミシュリーヌとして第二の人生を与えられたと気がついたのはすぐのこと。
ミシュリーヌはクロエを虐めていく悪役令嬢の一人だ。
クロエは心にトラウマを抱えながらも懸命に前を向くヒロインとなる。
ミシュリーヌは両親が頭を抱えるほどに意地悪でプライドが高い令嬢……のはずだった。
だけど記憶を思い出したことにより、クロエを傷つけようなどと一切思わない。
そんな気持ちはまったくなくなった。
(今度こそやり残すことのない素晴らしい人生にしましょう!)
クロエが絶世な美女なため嫉妬してしまう気持ちはわからなくないが、ミシュリーヌは元気な体と健康に感謝の気持ちしかなかったからだ。
今は恋愛などしている場合ではない。
許されるならば自分のために時間を使いたい、そう強く思った。
暫くは神に感謝の祈りを捧げて、やりたいことをやろうと決意する。
この時はまだこの世界で推し活をしようだなんて思ってはいなかった。
前世では推し活以外にも数えきれないほどに、やり残したことがあったからだ。