第3話 最初のKGI(重要目標達成指標)
翌朝、わたくしは埃っぽい領主の館の執務室で、引継ぎの老役人から領地の現状について最終報告を受けていた。羊皮紙に記された数字は、想像以上に悲惨だった。莫大な負債、来たるべき冬を越すには絶望的に不足している食料、そして王都へ納めるべき税の、長期にわたる滞納。
「このままでは、冬を越せずに領民の半数が死にますな」
老役人は感情のこもらない平坦な声でそう告げた。長年、この絶望的な状況を見続けてきたせいで、感覚が麻痺しているのだろう。
「承知しました」
わたくしは頷き、羽根ペンをインク壺に浸した。
「では、最初のKGIを設定します」
「けーじーあい……?」
「重要目標達成指標、です。三ヶ月後の冬期死亡率をゼロにします。そのためのKPI――重要業績評価指標は、越冬可能な食料備蓄量の確保と、住民の体温を維持する燃料の確保。この二点です」
役人が呆然と口を開けているのを尻目に、わたくしは白紙の羊皮紙にマインドマップを描き始めた。中心に「食料問題」と書き、そこから三本の線を引く。「土壌改良」「短期栽培作物」「保存食開発」。それぞれの項目から、さらに具体的なタスクを枝分かれさせていく。
問題は感情で嘆くものではない。分解し、分析し、具体的な数値目標に落とし込み、解決策を逆算して実行するものだ。それが、経営コンサルタントとしてのわたくしのやり方だった。
*
その日の昼、わたくしは村の広場に全領民を集めていた。
ざわめき。猜疑心に満ちた視線。彼らにとって、王都から来たお飾りの貴族令嬢など、新たな搾取者でしかないのだろう。その空気感を、わたくしは肌で感じていた。
「皆さんに、わたくしからの最初の施策を発表します」
できるだけ通る声で言った。広場が一瞬、静まり返る。
「本日をもって、ノルドクレイ領における税の徴収を、一時的にですが、全面的に停止します」
広場がどよめいた。信じられない、という表情。罠ではないか、と疑う目。
「ただし、無条件ではありません。その代わり、皆さんには全員参加で、この領地の土壌調査と、資源の探索を行っていただきます」
まずはこの事業のポテンシャル――アセットを正確に把握する必要がある。そして何より、彼らに「自分たちの手で未来を変える」という当事者意識、プロジェクトへのコミットメントを植え付けなければならない。
領民たちが半信半疑で顔を見合わせる中、長老のギデオンと目があった。
「……戯言だ。口先だけの甘言にすぎん。どうせ俺たちをただ働きさせて、何か企んでるんだろ」
その言葉は、領民すべての心の声を代弁していた。わたくしは、壇上から降りると、ギデオンの目の前まで歩み寄り、その疑念に満ちた瞳をまっすぐに見据えた。
「ええ、その通りです。わたくしは、この領地を立て直すという壮大な事業を企んでいます。それはギデオン、あなたの言う『甘言』以外のなにものでもない」
続けて断言した。
「結果で示します。それが、わたくしのやり方です」
不信と反発の嵐。ヤジと暴言の渦。わたくしの態度のせいで、石が飛んできそうなくらい険悪な雰囲気になった。よし、成功。悪評だとしても、彼らはもうわたくしの一挙手一投足に注目するだろう。
ヤンキー効果を狙いますわよ。
辺境再生プロジェクトは、こうして第一歩を踏み出したのだった。