第55講 歴女と王子と笑いの効能と『安楽庵策伝』
その日、大会議室でケイ王子は、ちょっとした“地雷”を踏んでいた。
「――いや、そんな真面目くさった話、眠くなるっての」
王子の無邪気な一言に、宰相・ビルス卿は頭を抱え、他の役人たちは凍りついた。
誰もが目をそらし、空気がひりつく。
リョーキューが青ざめてひそひそ声で迫ってきた。
「こ、古尋さんっ……! 殿下が……殿下が“場を凍らせる魔術”を発動なされて……!」
「いや……魔術じゃなくて失言でしょ」
私は仕方なしに立ち上がり、王子の首根っこを掴んで大会議室から廊下に連れ出した。
「お前なぁ、ああいう場で空気を凍らせるのは一番やっちゃダメなんだよ」
「だって本気で眠かったんだもん! なんであれで怒るんだよ!」
「当たり前だ! “本音すぎる王子”は破壊兵器なんだよ!」
私はため息をつき、黒板のある教室に歩いていった。
「ふーん……空気凍るくらいで騒ぎすぎじゃね?」
「……じゃあ教えてやるよ、“空気を溶かした男”の話を」
「空気を溶かす……?」
*
いつもの教室。私はチョークを握り、
『安楽庵策伝 ――笑いで人を救った男』
と書いた。
「安楽庵策伝。江戸時代初期の坊さんであり――」
「ぼ、坊さん!?」
「そう。お笑いの坊さんだ」
「そんな職業ある?」
「あった。彼は“落語の祖”と呼ばれる。
説教のついでに面白い話をして、
人々の心をほぐし、笑わせ、導いた男だ」
「坊さんが落語……?」
「当時は戦乱の世が終わった直後で、人々は疲れていた。
策伝は言った。“笑いは病を追い払い、語りは人の心を開く”」
王子は目を丸くする。
「……そんなことできんの?」
「できる。笑いは“心の毒抜き”だ。その毒抜きで、民を救ったんだよ」
「策伝は“醒睡笑”という本を書いた。これは日本最古の笑話集。
庶民のボケから武士のアホ話まで、全部ネタにした」
「庶民も武士も?」
「そう。“身分は違っても、人間は同じように笑う”って考えだった」
「へぇ~……なんか優しいじゃん」
「優しいというより、したたか。笑いは、難しい話より心に届く。
説教で殴るより、落語で笑わせたほうが、人は言うことを聞く」
「……なんか僕も刺さるんだけど」
「刺され。策伝は“空気を読む天才”だった。堅苦しい場でも、“ひとつの笑い話”で場を変えた」
私は袈裟の真似をしながら、声色を変えた。
「“笑えば病も逃げてゆく。語れば心も近づくもの。怒りは一瞬、笑いは一生”」
「うわあっ、出たよ憑依坊主!!」
「“堅くなるな、力むな、眉を寄せるな。まずは笑え。心を開かねば、人の言葉は入らぬ! 笑わぬ阿呆は損々!”」
王子は言葉を呑んだ。
「……なんか、強いな……笑いの坊主」
「そうだ。笑いは武器。
言葉を柔らかくし、人を動かす力になる」
*
「よしケイ、今日は“笑いの練習”だ」
「僕が!? え、なんかやだ!」
「空気凍らせた罰だ。自分の言葉で“空気を溶かせ”」
「うっ……」
「では殿下。何か“おもしろ話”を」
「ぼ、僕の……おれの……昨日の出来事……えっと……あの……リョーキューが……転んで……」
静寂。
私とリョーキューとアシュリー先生、シバール将軍らが真顔で見つめている。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「ひ、ひええええ空気凍ったぁぁぁ!!!」
ケイ王子が震える。
「お前、どうやったら十秒で氷点下になるんだよ! ちゃんと内容まとめてから語れよ!!」
「なんだよこれ!! くそ恥ずかしいぞ!!」
*
帰り道、王子がぽつりと言った。
「……僕、今日わかったよ。
言葉ってさ、“正しい”だけじゃダメなんだな。
人が聞きたくなるように、優しくしなきゃ……」
「それがわかれば世界が違う!」
「でも僕、落語とか絶対むり!」
「まぁな。まずは空気凍らせないことから始めようか」
「うぐっ……」
王子の顔は恥ずかしさと笑いが入り混じって、どこか“人間味”が増した気がした。




