表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

52/56

第51講 歴女と王子と働く理由と『カール・マルクス』

 その日の朝、私は珍しくまともな朝食をとっていた。

 パンとスープ。コーヒー。静かな時間。

 ――だった。


「コヒロさん! 大変です!!」


 扉が勢いよく開き、珍しくリョーキューが駆け込んでくる。

 王宮文官が青ざめてる時点で嫌な予感しかしない。


「どうしたんですか。アホがまた料理長を泣かせたとか?」

「違います! ……いえ半分はそうですが!」

「やっぱりか」


 リョーキューはきゅっと羊皮紙を握りしめた。


「最近、王都の労働者たちの様子がおかしいのです」

「おかしい?」

「ええ。街の職人や商人たちが“働く気力がない”“賃金が上がらない”“生活が苦しい”などと……」

「……そりゃ昔からだろ」

「ですが最近は“王国の構造に問題があるのでは?”と囁かれているのです」


 私はコーヒーを吹きかけた。


「おい、やめろ。危険な単語が出たぞ」

「ええ……正直、治安維持局も気にしています」

「なんで私に相談するんだよ。私は他世界のオタクだぞ」


 そこへ、ケイ王子がパンをくわえながら現れた。


「なんか外で“働いてもあんま変わんねぇ~”って言ってる大人多いぞ。

 どうしたんだアイツら」


 私は顔を押さえた。

 このタイミング……避けられない。

 ならば逆に“正しい知識”を薄めて教えるのが教育者の仕事だ。


「……よし王子。今日は“働く理由”の授業だ」

「は? 仕事の話?」

「そう。そして“社会”の話でもある」


 私は呟いた。

「カール・マルクス ――人はなぜ働くのか」


「マ、マル……? なんか強そうだな」

「髭は強いが本人は学者だ」

「なんだよ学者か」

「学者になんだよ学者って言うな」


 *


「さて、十九世紀のドイツ。

 その頃のヨーロッパは“産業革命”で急激に変わっていった。

 機械で大量に物が作れるようになった代わりに――」

「働く人が大変になった?」

「そう。長時間労働、安い賃金、貧しい暮らし。

 機械は豊かさを生んだけど、働く人が豊かにならないという矛盾があった」


 王子が眉をひそめる。


「なんで? いっぱい作れるなら給料も増えるんじゃね?」

「理屈ではそうだけど、現実は違った。

 “誰かが得をする仕組み”の中では、働く人に利益が還元されないことが多いからだ」


「……なんかやな話だな」

「まあ、だからこそマルクスは考えた。

 “人はなぜ働くのか”

 “働くことで人は幸せになるのか”

 “社会は誰のためにあるのか”――と。」


 私は黒板に書く。


 『人は、働くことで自分をつくる』


「マルクスが言ったのは、“働くことそのものが人間の尊厳だ”という考えだ。

 ただの賃金のためじゃなく、“自分が世界に何を残すか”が大事だってことだな」


 王子は意外そうに目を丸くした。


「……へぇ? 金の話じゃねぇの?」

「むしろ彼は“金の価値より、人の価値を見ろ”と言ったんだ」



「じゃあ、働く人を苦しめているものは何か?

 マルクスは、社会の“仕組みそのもの”を研究した」


 私は慎重に、言葉を選ぶ。


「マルクスはね、“社会はみんなで作るものだ”と言った。

 王様だけのものでも、金持ちだけのものでもない。

 働く人、支える人、作る人――みんなが参加して形になる」


「じゃあ、この国も?」

「もちろんそうだ。兵士、農民、職人、商人、医者、教師……“働く人が元気でいられる国”が一番強い」


「……そっか」

 王子はぽつりと呟いた。


「でも現実は、働いても報われない人が増えると不満が溜まっていく。それが街で起きている状況だ」


「じゃあ、僕がなんとかするの?」

「王子は“なんとかする責任がある人”だからな」


「うっ……」


私は姿勢を正し、声を低くした。

「――“人は働くことで、人間になるのだ”」


 ケイがビクッとする。


「“富は目的ではない。

  人が幸せに生きるための“手段”である。

  働く者が疲弊した社会は、いずれ自らを壊すであろう”」


「なんか……重いな」

「重いけど、核心だ。

 マルクスが言いたかったのは“人を大事にしろ”ってことだよ」



「じゃ、今日のまとめだ。

 “働く人が元気じゃない社会は危ない”

 “社会はみんなで作る”

 “王子はその中心にいる”」


「……僕、そんな大事な役なのかよ」

「そうだよ。

 王子が“働く人にちゃんと目を向ける”だけで、国は変わる」


 王子はしばらく黙って――

 ぽそっと言った。


「……じゃあ、街を見に行く」

「え?」

「働いてる人の顔、見たことないし。僕、もっと知りたい」


 その顔は、ほんの少しだけ大人の表情だった。


 *


 しかし――。


「古尋さん! 殿下が街のパン屋で“仕事を手伝う!”と言って生地を全部こねすぎて台無しに……!」

「うわぁ……」

「さらに、鍛冶屋の手伝いに行き、ハンマーで床を破壊し……!」

「うわぁぁ……」

「最後に市場で“働くって大変なんだな!”と叫びながら野菜を投げてしまい……!」

「なんでそうなるんだよ!!」


 街の人々は苦笑しながらも、王子のドタバタを見守っていたらしい。


 王子は戻ってきて、手と顔を泥と小麦粉で汚しながら言った。


「……働くのって、大変だな」

「うん」

「でもさ、働いてる人って……かっけぇな」

「それが分かったなら十分だよ、王子」


 私は笑って、彼の頭をぽんと叩いた。


 *


その日の王子の日記には、こう書かれていた。


“働く人がいるから、国は動く。

 じゃあ僕は、みんなが働きやすい国にしたい。”


 ――マルクスもきっと、それだけ言いたかっただけだったのかもよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ