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第48講 歴女と王子と命を救う知と『北里柴三郎』

 その日、王宮はいつもより静かだった。

 ……いや、正確には“くしゃみの音が響きすぎてうるさかった”と言うべきか。


「へっくしゅん! へっくしゅん! アシュリー先生、大丈夫ですか!?」

「大丈夫ではなさそうですね……ちょっと重めの風邪でしょう……熱もありますし」


 リョーキューが慌ててアシュリー先生に薬草茶を差し出す。

「先生、こちらを……」

「すみません、リョーキューさん。殿下も飲みなさい。予防として」

「まずいっ! 薬なのに甘くしとけ!」

「そんな子どもみたいな……」

「僕まだ十一歳だし!」


 私はその様子を遠巻きに見ながら、ため息をついた。


「……で? 王立医療局の医者は?」

「出払っているようでございます!」

「出払ってる!? えっ、この王都に医者ってどれくらいいるの!?」

「えーと……三十人ほどかと……」


「三十ぅ!? この王都、十万人くらいいるのに!?」

 ケイ王子が叫んだ。

「これじゃ、国が風邪ひいたら誰も診れねぇじゃん!」


 その言葉に、私は思わず口角を上げた。

(……やっぱり、この子、こういう時の勘がいい)


「なあ、コヒロ。昔の日本でも、医者が足りなかったんだろ?」

「うん、そうだな。けど――」

 私は立ち上がり、少し笑った。

「そんな時代に、“病を敵に回した男”がいた。学問で命を救った、日本の“医学の父”」


「……また来たな。誰だよ?」

「北里柴三郎。日本で最初に“命を科学で救った”医者だ。」


 *


 『北里柴三郎――病を敵に、知で戦った男』

 私はチョークの粉で少し咳き込みつつ、書いた。


「十九世紀の日本。まだ医学が“呪術と祈祷”とほぼ同じ扱いだった時代――

 北里柴三郎は熊本の小さな村に生まれた。

 子どもの頃から勉強が嫌いで、しょっちゅう悪ガキ仲間と喧嘩してたらしい」


「僕も勉強嫌い」

「うるさい。でも、ある日。母親に“病気を治す人間になりなさい”と言われた。それが、彼の人生を変えた」


 ――西洋医学との出会い


「当時の日本では、医学といっても漢方中心。

 “病気は気の流れ”なんて言われてた。

 でも彼は、西洋医学に目をつけた。


 “目に見えない敵――細菌”を倒すためには、科学しかないってな。」


「へえ……なんか燃えるな」


「彼は医師免許を取ったあと、ドイツに留学した。

 そこで出会ったのが、細菌学の巨人ローベルト・コッホ。

 彼は言った。“科学の力で病を暴く。それが真の医者だ”。


 北里はそこで破傷風菌を発見し、世界に名を轟かせた」


「破傷風って……アシュリー先生が言ってた。あのちょっとした傷から感染するやつ?」

「そう。それを防ぐための“血清療法”を見つけたのが、北里だ。

 人類が“感染症に勝てる”と初めて証明した男でもある」


 ――帰国、そして孤立


「けど、帰国してからが地獄だった。医学界は古い権威の巣窟。

“海外帰りの若造が出しゃばるな”ってな」


「え、ひどくね?」

「ひどい。研究費も打ち切られ、研究室も追い出された。

 ……でも、その時に手を差し伸べたのが、福沢諭吉だ」


「えっ!? ゆきち!? この前の“学問のすすめ”の人!?」

「そう。その福沢が“学問は人を救うためにある”って言って、

 北里の研究を支援した。

 自分の塾――慶應義塾の中に“伝染病研究所”を作らせたんだ」


 王子は目を輝かせた。

「うわ、繋がってんのか!」

「そう。福沢の“独立自尊”が、北里の“医の自立”を支えたんだ」


 ――ペストとの戦い


「北里はその後、香港でペストが大流行した時に派遣される。

 疫病と闘う現場に自ら乗り込んで、

 病人の間を歩きながら、冷静に検査と治療を続けた。

 その姿に現地の人たちは“白衣の武士”と呼んだんだ」


「うわぁ……。死ぬかもしれないのに……」

「そう。けど彼は言ってる。“病と闘う者が、恐れてどうする”。

 そして、“病人を見捨てる医者は、医者にあらず”とも」


ごほんごほんと咳込みつつ、続ける。


「北里は“病を治すだけの学問”じゃなく、“人を生かすための学問”を信じた。

 病気を“敵”として科学で斬る。

 けど、その刃の根っこには、いつも“人間への愛”があった」


 私は黒板に、ひとつの言葉を書いた。


 『至誠と努力――誠を尽くし、力を尽くす』


「これが、北里の生涯の信条だ。

 彼は最期まで白衣を脱がず、研究室の机の上で息を引き取った。

 “科学者である前に、医者でありたい”と言いながらな」



 ケイ王子はいつものようにしばらく黙っていた。軽口もない。

 やがて、小さな声で言った。


「……僕、医者って“薬出して終わり”だと思ってた。

 でも、この人は“人を救う”って、本気で信じてたんだな」


「そうだな。北里にとって、病気は敵だったけど、“患者は戦友”だったんだろうな」


 王子は少し考えてから、ぽつりと呟いた。

「……この国にも、もっと“戦える医者”を増やさないと」


 *


 翌週。

 王立病院の前に、巨大な布が掲げられていた。


 『王立感染症対策局 設立』


「おいおい、やりすぎだろ……ごほん」

 私は頭を抱えた。少し頭痛。

 横でリョーキューが感極まったように手を合わせている。


「殿下のご決断……尊いです……!」

「いや、決断早すぎるだろ!」

「“至誠と努力”って言葉がすごく刺さったんだよ!」

「それ口にするたびに説得力が下がるぞ!」


 そんな騒ぎの中、王子はふと空を見上げ、

 風に揺れる白衣を見て、小さく呟いた。


「……“治す”って、戦うことなんだな! ……というかコヒロお前も風邪ひいたのか……大丈夫か?」


 珍しく心配そうなケイ王子を見て、私は小さく笑った。ごほん。

 やばい。私も風邪ひいたかも。

「いや、ただの季節病だろ。野菜とかとってりゃ治るさ。王子、お前は近寄るなよ。うつるから――あ、馬鹿は風邪ひかんか」

「なんだとお!!」

 ぷんすかしているケイ王子を見て私は少し元気になった気がした。

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