第41講 歴女と王子と理性の力と『アリストテレス』
午後の王宮教室。
窓から射す陽光が黒板を照らしている。
いつもより静かだ。
ケイ王子は机に突っ伏したまま、ぐったりと顔を上げた。
「……もー、哲学とか、宗教とか、やだ……頭痛い……」
私はその横でノートをめくりながら苦笑した。
「まだ“頭を使う”うちに入らねぇよ。お前が疲れてるのは“考えたフリ”の疲労だ」
「なにその辛辣な診断!?」
「つまりだ。考えるってのは、悩むことじゃない。“問い続けること”なんだよ」
私は黒板にチョークを走らせた。
『考えるとは、世界を愛すること。』
「……今日の講義は、アリストテレスだ」
「え、あー……なんか名前は聞いたことある……」
「そりゃそうだ。考える人間の基礎を作った奴だからな」
*
『アリストテレス――“理性”という名の羅針盤』
と、黒板に書きつつ、私は語り始めた。
「紀元前4世紀。古代ギリシア。
アテネには“学ぶこと”を神聖視する文化があった。
その中で、一人の少年が師プラトンのもとで学び、
やがて“人間を知るための学問”を作った。それが――アリストテレス。」
私は黒板に描く。
“哲学”“論理学”“生物学”“政治学”“倫理学”
――それらを矢印でつなげていく。
「この人、ひとつの学問じゃ満足しなかった。
“世界を全部まとめて理解したい”って欲張りすぎた結果、
“知識の百科事典”みたいな人になった。
だから後世の人たちは彼を“万学の祖”って呼ぶ」
「……なんか、勉強の化け物だな」
「そう。けど、彼が求めたのは“暗記”じゃなく、“問いの筋道”だ。
“なぜ?”を繰り返して、答えに近づくこと。
彼の研究の根底にあったのは、“理性”ってやつだ」
チョークを握り直す。
「“理性”とは、感情や本能に流されず、筋道を立てて考える力。
アリストテレスは人間をこう定義した。
――“理性を持つ動物”。」
ケイ王子が顔を上げる。
「じゃあ理性がないと、人間じゃないのか?」
「鋭いな。
彼は、“感情や欲に支配されたままでは、人は獣に戻る”と言った。
けど、感情を否定したわけじゃない。
“理性で感情を導く”ことが人間の成長なんだ」
私は黒板にこう書く。
『感情 × 理性 = 人間の行動』
「つまり“心と頭のバランス”が人を賢くする。
これがアリストテレス哲学の根幹、“中庸の徳”だ」
「中庸?」
「うん。“どっちつかず”じゃなく、“行きすぎず、怠けず”の真ん中。
勇気と無謀の間、寛大と無関心の間、正義と独善の間――
全部その“ちょうどいい”を見つけろって考え方だ」
「うーん……難しいけど、なんかわかるかも。
僕、すぐ行きすぎるタイプだからな……」
「知ってる」
「即答!?」
私は目を閉じて、ゆっくりと声を低めた。
「――我が名はアリストテレス。
知を持つ者は、知を誇るためではなく、導くためにそれを使う。
考えぬ王は暴君となり、感じぬ王は人を失う。
ゆえに王よ、理性を剣とせよ。心を鞘とせよ。」
「きたーーっ! コヒロの憑依魔術・哲学版!!」
ケイ王子が拍手している。
今回はアシュリー先生が頭を抱え、「毎度のことながら凄まじい説得力ですね……」とため息をつく。
講義のあと、王子はしばらく黙っていた。
机の上で指を組み、ぼそりと呟く。
「……理性か。僕には足りねぇやつだな」
「まぁ足らんだろうな」
「なんか言ったか!?」
私は無視した。
「でもさ、理性って面倒だな。考えても答え出ないことばっかだし」
「それでも考え続ける。それが“理性を使う”ってことだ」
「……なんか、哲学って勇気いるんだな」
「そう。考えるって、逃げない勇気のことだ」
ケイ王子は窓の外の空を見上げ、にやっと笑った。
「……じゃあ、僕、勇気出して宿題やるわ」
「それを理性の使い方って呼ぶな!」
*
――その夜。
王子の部屋から、リョーキューの悲鳴が響いた。
「殿下!? 何をなさってるのですか!?」
「“理性を鍛えるために、全部の本を読破する”んだよ!!」
「寝てください殿下ぁぁ!!」
私は遠くからそれを聞きながら、呆れ笑いをこぼした。
(……まあ、アリストテレスもきっと苦笑いだろうな。
けど、“考える王”が生まれるのなら、それも悪くない。エウレカ。)




