第37講 歴女と王子と味覚の哲学と『ブリア=サヴァラン』
昼時。王宮の大食堂に、嵐が吹き荒れていた。
「なんだこのスープ! ぬるい! 味がぼやけてる!」
ケイ王子が匙を置いて叫ぶ。
「殿下、申し訳ございません!」
料理長が額に汗を浮かべて頭を下げた。
私は隣でパンをかじりながら、苦笑いを浮かべた。
「お前、食堂で怒鳴るのやめろ。スープが凍るぞ」
「だってまずいんだもん! 王族の食事がこれじゃ、夢がない!」
「夢のある食卓ねぇ……」
私はフォークを置いて、軽くため息をついた。
「美食家か。そういう奴なら、私の世界にもいたな……」
「へぇ? 誰だよ、そいつ」
「海原……じゃなくて、ブリア=サヴァラン。」
「誰!?」
「“味覚の哲学者”だ。お前みたいに文句ばっか言ってたが、
食の本質を悟った偉人だよ」
ケイ王子の目がきらりと光る。
「哲学者? 食べながら考える奴?」
「そう。食いながら世界を語った変人だ」
*
「時は十八世紀末、フランス。革命と戦争の荒波の中に、“一人の弁護士”がいた。
名前は――ジャン・アンテルム・ブリア=サヴァラン。」
私は黒板に「味覚=文化×哲学」と書いた。
「彼は政治家でもあり、音楽家でもあり、そして大食漢だった。
だが単なる食いしん坊じゃない。“味”という感覚を哲学の領域に持ち込んだ最初の人物だ」
ケイ王子はパンを頬張りながら聞いている。
「つまり“食いながら考える人”?」
「そう、“思索するグルメ”。彼の代表作は――
『美味礼讃(Physiologie du Goût)』。
これは“味覚の生理学”って意味だ」
私は黒板に有名な一節を書き出す。
『あなたが何を食べているかを言ってごらん。
そうすれば、あなたがどんな人間かを当ててみせよう。』
「これ、あいつの言葉だ」
「へぇ、かっけーな……」
「つまり、食はその人の生き方そのものってこと。
ただの贅沢じゃなく、“文化の鏡”だと彼は言った」
チョークが走る。
「フランス革命の混乱で国がボロボロでも、
人が“味を楽しむ心”を失わなければ文明は死なない。
サヴァランはそう信じた。
食事を整えることは、“人を幸せにする政治”でもあったんだ」
「……え、料理って政治なの?」
「そう。彼にとって“料理人”は芸術家であり、外交官だった。
――食卓を囲めば敵も笑う。パンを分け合えば戦も終わる」
「なんか、ナイチンゲールと似てんな。人を救うって点が」
「お、いいとこ突くな。
サヴァランは“人は食で救われる”と考えた。
栄養じゃなく、“心を満たす味”。」
私は少し笑って言った。
「で、彼の口癖がこれだ。
『食卓は人を結びつける最後の絆である。』」
教室が静まり返った。
ケイ王子はパンを止めて、呟くように言った。
「……じゃあ、僕も“民が笑う食卓”を作る王になるか」
「それができたら、お前はサヴァラン超えだな」
私はチョークを置き、静かに目を閉じた。
不意に、あの独特のフランス語訛りの声が自分の中から響いた気がした。
「――人は食べるために生きるにあらず。
生きるために、食を味わうのだ。
味わうこと、それは“生”を愛することだ。」
「きたっ! コヒロの憑依魔術!!」
ケイ王子が大声を上げる。
リョーキューが呆れながら「また始まりましたね」と羊皮紙にメモしている。
講義が終わると、王子はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと呟いた。
「……食べるって、生きることそのものなんだな」
「そうだ。だからお前のスープへの文句も、命がけの主張なんだよ」
「え、マジで!? じゃあ僕、食の哲学者だ!」
「違ぇよ!!!」
その日の夜、王子は王宮の厨房に乗り込んだ。
料理長や職人たちを呼び集め、こう宣言した。
「王宮料理を“民の舌”で決める!
来週、“第一回トラディア王国美味礼讃祭”を開催する!!」
*
……翌週。
城下から庶民たちが集まり、王宮中庭は大混乱になった。
出店・試食・即興の料理対決。
王子は真顔で審査員席に座り、パンを千切って味見している。
「うーん、こっちは庶民の幸福があるな! 星三つ!」
「殿下、それ別の世界の採点方式です!」
私は頭を抱えながらも、笑ってしまった。
(……サヴァラン、見てるか?
あんたの“食の哲学”は、異世界でもちゃんと受け継がれてるぞ)




