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第36講 歴女と王子と狂気の皇帝と『ジョシュア・ノートン』

 ある日の午後、王都の大通りにて――。


「全市民よ、余は宣言する! 本日をもって、トラディア帝国の皇帝とならん!」

 ――ケイ王子だった。


 街の人々が「また始まった……」という顔で見上げる。

 リョーキューは全力で頭を抱え、

 私は額を押さえながら深く息を吐いた。


「おいアホ、何やってんの」

「え? 市民の前で演説ごっこ! “王子”より“皇帝”の方が響きよくね?」

「いや、実際に宣言するなバカ! 外交問題になるだろ!」

「え、だって“王”より“皇帝”の方が上じゃん?」

「その発想がもうやばい」


 私はため息をつきつつ、ふと呟いた。

「……そういや、お前みたいな奴が昔いたな」

「えっ、マジで!? 異世界にも!? 僕みたいな天才王子が!?」

「いや、狂人だ」

「ひどくね!?」


 私は黒板を出し、チョークを握った。

「――“サンフランシスコ皇帝”ジョシュア・ノートン。

 貧困と失敗の果てに、“皇帝”を名乗った男だ」


  *


「十九世紀のアメリカ。

 ゴールドラッシュで沸くカリフォルニアに、一人の男がいた。

 名前はジョシュア・エイブラハム・ノートン。

 もとは貿易商人。だが投資の失敗で全財産を失い、破産した」


「うわー……貴族から転落みたいな感じ?」

「そう。で、彼はある日突然――“皇帝になる”と宣言した」

「おおっ!? まんま僕じゃん!」

「いや違う。お前はまだ財源あるだろ」


 私は続けた。

「ノートンは自分を“アメリカ合衆国皇帝”と名乗った。

 市民たちは最初こそ笑ったが――やがて誰も彼を笑わなくなった。

 なぜか? 彼が“誰よりも誠実に統治したから”だ」


「……え、どういうこと?」


「ノートンは街を毎日巡回した。

 貧しい者には声をかけ、困っている人には手を差し伸べた。

 警察に文句を言い、橋の建設を提案し、街の秩序を守ろうとした。

 つまり、“名ばかりの皇帝”ではなく、“心の皇帝”だったんだ」


 私は黒板に「幻の皇帝、真の市民」と書いた。

「市民は彼を愛した。

 彼が通ると皆が帽子を取って敬礼し、

 レストランは“皇帝専用席”を用意し、食事を無料で出した。

 警察すら、彼を敬礼で迎えた」


「え、それ、もはや本物じゃん」

「そう。“王冠のない王”だったんだ」


 私はさらに語る。

「彼は政府に宛てて“議会の解散命令”を出した。

 当然、誰も従わない。だが、誰も彼を罰しなかった。

 人々は彼の行動を“笑い”ではなく“祈り”として受け取った。

 彼の紙幣はおもちゃだったが、

 街の店はそれを本物の貨幣として受け取った。

 人々が“信じた”からだ」


「……なんか、泣けるな」

「彼の葬儀の日。市民一万人が道に並び、

 黒い喪服で“皇帝陛下”を見送ったという。

 ――彼は国を治められなかったが、“人の心”を治めたんだ」


 私は、ふとチョークを置いて言った。

「王とは、民に命じる者ではない。“信じられる者”だ」


 その瞬間――不思議な感覚が背中を走った。

 口から自然に言葉がこぼれる。


「――我は皇帝ノートン。

 民が笑うなら、我も笑おう。

 民が泣くなら、我も泣こう。

 権威ではなく、誇りで人を導く。それが帝の道だ」


「きたーー!! コヒロの憑依魔術!!」

 ケイ王子が興奮して机を叩く。

 リョーキューは羊皮紙には「また始まった」と書いている。



「……なんか、かっけぇな」

 王子がぽつりと呟いた。


「なぁコヒロ。僕が“王”って呼ばれるとき、

 民は笑ってるかな……それとも呆れてるかな」

「さぁな。お前次第だ」


 私は椅子に腰を下ろし、王子を見た。

「ノートンは、自分を皇帝と呼ばせたが、

 本当は“市民を王にした”んだよ」


 王子はしばらく黙っていたが、

 やがて照れ隠しのように笑って言った。


「よし! じゃあ僕も“みんなで統治する王国”を作る!」

「おい、また言葉がでかいな」

「“民主王政”ってやつだ!」

「それ、もう“王政”じゃねぇよ!!」


 私は額を押さえながらも、少しだけ笑った。

 ――狂気と理想のあいだ。

 少年王の夢は、少しずつ形を変えながら膨らんでいく。

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