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第31講 歴女と王子と歯車仕掛けの夢と『チャールズ・バベッジ』

 王宮の執務室。朝からケイ王子の怒号が響いていた。

「おそい!! 予算書の集計、まだ終わらないのか!? もう昼になるぞ!!」


 机の上には羊皮紙と算盤、そしてうんざりした顔の文官たち。

「申し訳ありません殿下、数字の桁が多すぎて……」

「だからってミスるな! 昨日も“十万ルメル”を“十ルメル”って書いたせいで、港の連中が怒鳴り込んできたじゃないか!」


 私は部屋の隅で腕を組みながら、(あーあ、またやってる)とため息をついた。

 ケイ王子は焦れて机を叩き、叫ぶ。

「魔導計算機とか、ないのか!? 数字を入れたら勝手に答え出してくれるやつ!」

「……あるよ」

「え?」


 静まり返る室内で、私はぼそりと呟いた。

「“魔導”じゃなくて“機械”でな。私の世界にいた――チャールズ・バベッジ。世界初の“考える機械”を夢見た天才だ」


 王子の瞳が一瞬できらりと光る。

「なにそれ! 人間じゃなくて機械が考える? ……それ、魔法よりすごくない?」

「まあな。けどな――理解されたのは、彼が死んでから百年以上あとだ」



 *



 私は黒板の前に立ち、いつものようにチョークを握る。

「19世紀、イギリス。蒸気と煙の時代。

 あらゆる工場が稼働し、鉄道が走り、国が“計算”で動いていた時代だ」


 チョークが走るたびに、歯車の図と蒸気機関の絵が浮かぶ。


「だがな、当時の“計算”は全部手作業だった。天文学、航海、保険――どの分野でも膨大な数表を作ってたが、人間の手で計算してたから、誤りだらけ。

 “計算表のミスで船が座礁した”なんてのも珍しくなかった」


「うわ、それはやばいな……」


「そこで立ち上がったのが、数学者チャールズ・バベッジ。

 彼はこう言った――“私は、誤りだらけの表を見るたびに神の怒りを感じた”」


「おお、名言っぽい」


「そして考えた。“なら、人間じゃなくて間違えない人間を作ればいい――機械で”。

 こうして、世界初の自動計算機“差分機関(Difference Engine)”の設計を始めた」


 私は黒板に“歯車とレバーの図”を描きながら続ける。

「当時の技術でこれは狂気の沙汰だった。何千個もの歯車、金属の精度は1/100インチ単位。蒸気機関で動かし、入力も出力もすべて機械仕掛け。

 でも、バベッジはそれだけで終わらなかった。もっと上を目指した――“解析機関(Analytical Engine)”。

 それは、入力・演算・記憶・出力を持つ、“今のコンピュータ”の祖先だ」


 その言葉を言い終えた瞬間、王子が目を丸くした。

「……それ、もしかして、今の僕たちが使ってる魔導演算機みたいなやつ?」

「そう。けどバベッジのは魔力じゃなく、理屈で動く」



 チョークを握る指が震え、カーディガンを翻し、私の声が熱を帯びていく。


「歯車は心臓だ! レバーは神経! 数列は思考!

 人が“考える”という営みを、鉄と蒸気で再現しようとしたんだ!!」


 黒板に勢いよく“数列”と“歯車”を描く。

「彼は叫んだ。“いつかこの機械が、計算のすべてを担う時代が来る!”」


「きた! コヒロの憑依魔術!!」

 ケイ王子が椅子を倒しながら叫ぶ。


「だが、当時の政府は誰も理解しなかった。『こんなものに金を使うより、軍艦を作れ』と打ち切られ、支援者も離れた。

 バベッジは孤独に研究を続けたが、生きている間に一度も完成しなかった」


 私は声を低め、静かに言葉を落とす。

「だが彼の夢は死ななかった。150年後、ロンドンの科学博物館で“バベッジの設計図どおりに再現された差分機関”が動いたんだ。

 一度も狂わずに、正確な答えを出して。」


 静寂。

 黒板に残る歯車の図が、光を受けて銀色に輝いた。



「……すげぇ。人間が、“考える機械”を作ったのか」

「そうだ。だが、彼の天才は時代に早すぎた。理解されず、資金も尽き、孤独のまま死んだ」

「なんで……そんなにすごいのに」

「“未来の人間にしか理解されない発明”ってのがあるんだよ。

 天才はいつも、未来に生まれすぎる」


 ケイ王子はしばらく黙って、それからぽつりと言った。

「……じゃあ、もし僕がこの世界でバベッジみたいな機械を作ったら、“未来”を作ったってことになるのか?」

「おい、変なフラグ立てんな」



 *



 翌日。

 王宮の中庭は、なぜか鉄くずと歯車の山と化していた。

 その真ん中で、ケイ王子が目を輝かせて叫ぶ。

「見ろ、コヒロ! “魔導歯車式自動計算機”だ! これで予算計算も一瞬だぞ!」

 リョーキューが手帳を抱えてうっとりと頷く。

「殿下……素晴らしい発想です! 歴史に名を刻む時が来ましたね!」

 その横で、白衣姿の科学院主任のダラン・フェンが青ざめていた。

「……殿下、それ……王立時計塔の部品では……?」


 言い終わる前に、装置の奥から「ボンッ!」と鈍い爆音。

 黒煙が立ちこめ、女官リョーキューが悲鳴を上げる。

 ケイ王子の金髪が煤で真っ黒になった。


「だから歯車を魔力炉につなぐなって言っただろ!!!」

 私は頭を抱えて叫んだ。


 しかし当の王子は、煙の中で咳き込みながらも、口元を緩めていた。

「けほっ……でもさ、もし完成したらさ、“考える魔導機”になるんだろ?

 なんか……未来がちょっとだけ、見えた気がした」


 私は呆れ顔のまま、ふっと笑う。

「……お前はほんと、バカのベクトルが天才寄りなんだよ」


 夕陽の光が煙の中を透かし、王子の頬に橙の影を落とす。

 煤けた笑顔は、どこか誇らしげで――

 その日、王宮の片隅で“未来の音”が、ほんの少しだけ鳴った気がした。

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