第29講 歴女と王子と人類初飛行と『モンゴルフィエ兄弟』
最初、古い絵本を読んでいた王子が
「この翼を広げて空を自由に飛んでいる今は絶滅したとか聞いた鳥人……いいなあ……」
と呟く。
私は、(ああ、ギリシャ神話のイカロスから我々人類も空飛ぶ夢を数千年も夢見ていたもんな……。というかこの世界鳥人いたのかよ。……まぁ、異世界だからおかしくないか……)などと心の中で独り言をしつつ、
「じゃあ、私の世界での実際に人間が空を飛んだ奴らを特別に二講に分けて教えてやろうじゃあないか!」
ケイ王子は、露骨に嫌な顔と少し期待の顔の半々の反応だった。
「え〜!一回の授業で終わらせろよ!」
「だまらっしゃい!! 人類が空を飛ぶにはまず、モンゴルフィエ兄弟ーー気球……つまり大きな袋に熱を入れて空へ上げるっていう熱気球を発明し、世界初の有人飛行を成し遂げた兄弟からだ!」
王子は訝しげに、
「じゃあその次は……?」
「動力飛行。鳥の形から発想を得て、今現在、飛行機私たちの世界での飛行機の基になった自転車屋がまさかの発明&成功したライト兄弟! ……日本でライト兄弟より先に鳥の形から空を飛んだとされる浮田幸吉やジョージ・ケイリーのグライダーを基にオットー・リリエンタールによって研究が進められていたり……とか航空力学競争は面倒だから後々な!!」
「そればっかじゃん!! いつ、フランシス・ドレーク船長やウィリアム・シェイクスピア、クリストファー・マーロウ、ベン・ジョンソン、ヴィクトリア女王、エリザベス2世とかを教えてくれんだよ!」
少し、私は感心して少し止まってしまった。
「……お前、よくあの早口講義でいつか教えなきゃな……とか言っていた奴らのこと覚えてたな……。私のほうが忘れていたよ……。若いからか?」
ケイ王子はムッとする。
「日記に書いてるし! 気になるんだもん! コヒロがそんなに教えるべきヤツらってのは今までとんでもねーヤツらばっかだったからな! あの早口の変な名前の奴ら教えろよ!?」
私は少しため息をつきながら、
「あーわかった、わかった。お前がそいつららしいなんかやらかしとか、思いつきとか、なんか聞いてきたときに講義してやるよ。我が人類史にとって、欠かせない人物達は今の連中だけじゃない……。お前に教えておくべき人物は1000を超えるだろうからな……」
ケイ王子はその私の言葉に畏れと楽しみの感情が綯い交ぜになった表情でピョンピョンと跳ねながら、珍しく自分から王宮の教室へ向かっていった。
*
「……よし! じゃあ、今日は人類が初めて空を飛んだ“モンゴルフィエ兄弟”の話からだ!」
私が黒板を握り直すと、王子は子犬のように目を輝かせて席についた。
私は黒板に、大きな袋と炎の絵を描き殴った。
『モンゴルフィエ兄弟 ――人類を空へ導いた紙屋の息子たち』
「18世紀フランス。まだ空を飛ぶなんて“夢物語”だった時代……。
その夢に挑んだのが、紙を扱う家に生まれた二人の兄弟――ジョゼフとエティエンヌ・モンゴルフィエ!」
ケイ王子は椅子の背に乗り出す。
「おおっ! 紙屋!? マジでそんな奴らが!?」
「そうだ!
で、兄は夢想家。つまり突拍子もない発想・煙を見て"上に行く力だ!"と叫ぶような変わったアイデアマン。
弟は現実派。兄の思いつきを現実にする冷静さ・紙の張り合わせや補強法を考える技術屋。だが二人が揃ったからこそ、夢は空へ昇った!」
私はチョークを叩きつける。
「兄のジョゼフは、紙の屑や布を燃やした煙に目をつけた。“この煙には上に行く力があるんじゃないか”と考えたんだ!
実際は“熱した空気は冷たい空気より軽い”という科学の原理だったんだが……彼らは必死に試行錯誤を重ねた!」
私は自分の胸を叩き、大声を張り上げた。体の中にモンゴルフィエ兄弟の当時の気分が入り込むようだ……っ!
「紙を何枚も張り合わせ、布で補強し、大きな袋を作る! 下に火を焚き、熱を吹き込む! ……するとどうだ!」
両腕を天に掲げる。
「袋がふわりと浮いた! 紙くずと火の力で! 兄弟は叫んだ。“人間も空を飛べるぞ!”」
「きたーーーっ!」
王子は机を叩いて跳ね上がる。
「久々のコヒロの憑依魔術だ!!」
だから違うって。私は顔を赤くしながらも、そのまま語り続ける。
「だが兄弟の道は平坦じゃなかった! “空飛ぶなんて馬鹿げている”と笑う者もいれば、“魔術だ、危険だ”と非難する者もいた!
それでも彼らは実験を続けた。時には紙が破れて燃え、時には気球が途中で落ちた……!」
私は拳を強く握る。
それでも! 彼らは夢を諦めなかった!」
チョークを走らせ、黒板に日付を大書する。
『1783年6月4日――アノネー』
「ついに! 高さ10メートルを超える巨大な熱気球を作り上げ、広場で公開実験を行った!
町中の人々が見守るなか、火が焚かれ、袋が膨らむ……!」
私は腕を広げて舞い上がる動作をする。
「そして……青空に! 人類の造ったものが初めて浮かび上がったんだ!!」
ケイ王子が目を丸くする。
「マジか……! それ、初めて空に浮かんだ瞬間だろ……!?」
「そうだ! その後、フランス国王ルイ16世とマリー・アントワネットの前でも披露されることになる!
ただし……最初に乗ったのは人間じゃなかった。兄弟は恐れていた。“人間は大丈夫なのか? 息ができるのか?”」
私は黒板に羊・鶏・アヒルの絵を描いた。
「そこで兄弟は、動物たちを籠に入れて飛ばした! これが世界初の有人――いや、畜人飛行実験だ!!」
「なんだそりゃーー!? ていうかコヒロヘッタクソー! なんだその畜人飛行実験って! 畜生飛行実験でいいだろ!」
ケイ王子は爆笑して机に突っ伏す。
「うるさーい!! そこじゃない! その国の一番偉い王と妃の前で動物飛ばしたんだよ!!」
「でもさ、最初に羊や鶏飛ばすとかズルくね? 僕だったら初手でドーンと自分で行くけどな!」
「……空を飛ぶというのは大海に潜るのと同じくらい危険なんだ。まず、人間がやって死んだらどうする? 大変なことになる。だから動物を使ったんだ」
私は一呼吸整え、
「そして彼らは証明した。“大気中でも生き物は大丈夫だ!”と!
そして同じ年の11月――ついに人類が、自らの体で空を飛んだ!!」
私は目を閉じ、ゆっくりと語りかける。
「パリの上空。兄弟の作った熱気球に、二人の勇敢な人間が乗り込む。観衆は十万人を超えたとも言われる。
火が焚かれ、熱が袋に吹き込まれ……気球は空へ、空へ、空へ!」
机を叩き、声を張り上げる。
「――人類、初の有人飛行!!」
王子が立ち上がり、拍手しながら叫ぶ。
「うおおおおお!! 人が……人が飛んだぁぁぁあああ!!」
私は静かに締めくくる。
「それが“モンゴルフィエ兄弟”。空を飛ぶ夢を、現実に変えた最初の人類だ」
講義が終わったあとも、ケイ王子の頬は赤く、息は少し弾んでいた。
「……人が、空を飛んだんだな……! すげぇよ……モンゴルフィエ兄弟!」
珍しく王子が真面目に感動している姿に、私も少しだけ頷いた。
「まぁな。人類の夢を、最初に叶えたのがあの兄弟だ」
*
だがその夜、科学院の実験場に連れて行かれると――
「フェン! 聞いただろ! 僕も気球で飛びたいんだ!」
「殿下、落ち着いてください! まだ燃料や紙質の改良が……!」
「僕が先に空飛んだら“空王子”として歴史に残る!」
なーに言ってんだか。まぁこの世界だとそうなるか?
王子の熱弁に押され、主任のダラン・フェンはしぶしぶ試作を開始。
一度目は――燃料の火が強すぎて、紙製の袋が燃え上がった。
「ぎゃーーっ!?」
「だから言っただろ!!」
二度目の試作で、ようやく成功。
誰も乗ってはいないが、巨大な袋はふわりと空に舞い上がり、100メートル近くまで昇った。
「うおおお!! 見たか!? 次は僕が乗る!!」
「……マジかよ……」
結局、騎士団の消防部隊と、緊急脱出装置まで用意され、私まで同乗させられる羽目に。
籠の中では、リョーキューが必死に燃料を調整していた。
「リョーキュー! もっと燃料入れて! もっと高く飛ばして!」
「……コヒロさんも手伝ってくださいよ!」
私は腕を組み、眉をひそめる。
「嫌だね。アシュリー先生から“王子が落っこちないよう監視しろ”って命令されてんだよ。あと、これ以上高く飛ぶと風の影響で変な方向に行ったりと縄が切れたりして大変なことになる」
「くうっ……!」
籠の端で王子は身を乗り出し、目を輝かせていた。
「……これが空から見たトラディア王国! 南にはルメリア港と繋がるルヴェリア海! 北西には魔境イェルダン山脈まで見えるぞ!」
「落ち着け。フェン氏が言ってたろ、この熱気球は30分は飛ぶ。……お前、途中で飽きるんじゃねえのか」
それでも王子は、子どものように目を輝かせていた。
*
その後、地上に戻っても王子の興奮は冷めなかった。
「コヒロ! 次はもっと高く! もっと遠くまで飛びたい!!」
「次の講義まで待てって!」
私は額を押さえた。
「気球や飛行機ってのはメチャクチャ危険なんだよ! “なんて事だ、もう助からないゾ”とか、“ケーキが死んだぞ”とか、“キャプテンやめて下さい!”とか、“死んでいなければ即死だった”とか、“フィクションであって欲しかった……”とか……語録まみれになるんだよ!」
「コ、コヒロ……? 何を言っているんだ……?」
私はハッとして言葉を飲み込む。
「い、いや、なんでもない……。ただ覚えておけ。飛行機ってのは事故が起きたとき、“メーデー!!”って叫ぶんだ。それを忘れるな」
王子はきらきらとした瞳で、身を乗り出してきた。
「次は……更に空を飛ぶ!? しかも、世界を飛び回るのか!?」
私は苦笑しつつ、心の底に小さな不安を抱えた。
(飛行機事故のドキュメンタリー、山ほど見てるからな……)
夜。
自室に戻った私は机に座り、偶然バッグの奥底にあった中学時代からびっしり書きためてきた人物名鑑のノートの数十ページを開いた。
次に語るべき人物の名に目を落とす。
――ライト兄弟。




