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第25講 歴女と王子と決闘と『ワイアット・アープ』

 その日、王城の中庭は妙な緊張感に包まれていた。

「動くな! 両手を挙げろ、ならず者め!」

 ケイ王子が木の枝を銃に見立てて叫ぶと、召使いたちは顔を引きつらせながら両手を上げる。誰かが笑えば本気で怒られるし、逆らえば「撃たれたフリをしろ!」と命じられる。


 ──どうやら最近、王子は西方から持ち込まれた冒険譚の本を読んだらしい。そこに描かれていた「荒野のガンマン」の姿にすっかり心を奪われ、以来、毎日のようにガンマンごっこを繰り広げているのである。


「ふはは! これぞ西部の正義だ! 私こそ王国最強のガンマン、ケイ・D・チャールズ17世!」

「王子様、お強うございます! さすがです!」と、例のごとく女官リョーキューは全肯定。


 ……だが巻き込まれている召使いたちはたまったものではない。洗濯物を干そうとした女中が「お前、銀を盗んだな!」と脅され、庭師は「決闘だ!」といきなり木刀を突きつけられる始末。


 私はとうとう溜息をついた。

「……おい王子、それ、全然違うから。浪漫に憧れるのは勝手だけど、ガンマンってそんなお遊びじゃないんだよ」

「え? 違うの?」

「当然。ガンマンってのは命を懸けた生き方で、西部開拓時代を象徴する存在だ。たとえば有名な人物に──ワイアット・アープって人がいる」


 こうして私は、迷惑な“決闘ごっこ”に熱中する王子を前に、ガンマンの実像とワイアット・アープの物語を上着を翻し、語り始めるのだった。


「ワイアット・アープ……?」

 王子が木の枝を腰のホルスター(らしきベルトの隙間)に突っ込みながら首を傾げる。

「そう。アメリカ西部開拓時代を代表するガンマンであり、同時に保安官だった人物だよ」

 私は腕を組んで言った。

「西部劇の映画や小説に登場するガンマン像──勇敢で、正義感が強く、銃の腕も立つ。実はその“元ネタ”のひとつが、このワイアット・アープなんだ」


「へえ! つまり本当に実在したヒーローか!」

「……まあ、ヒーローって言葉をそのまま信じると危うい。彼は人々を守るために戦ったけれど、そのやり方は常に称賛されるものじゃなかった。時に法を越え、暴力でしか解決できない場面もあったからな」


 私は言葉を切り、王子の木の枝を指差した。


「たとえば、ワイアット・アープが有名になったのは“OK牧場の決闘”という事件だ。ごっことは違って、そこに立っていた者は誰もが本当に死ぬ覚悟をしていた」


 王子の顔が、少し真剣味を帯びる。


「1881年、アリゾナ州トゥームストーン。街を仕切る保安官代理ワイアット・アープと、その仲間たち──実の兄弟や、親友の伝説的ガンマン“ドク・ホリデイ”が、無法者クラントン兄弟と対峙した。数十秒の銃撃戦。煙の中で銃声が鳴り響き、わずか三十発ほどの銃弾が飛び交っただけで、数人が倒れた」


「……三十発で、決まった?」

「そう。西部劇のように何百発も撃つんじゃなく、命を分ける一瞬の応酬だった。ワイアット・アープは撃たれずに生き残り、“不死身の男”と呼ばれることになる」


 王子は思わず腰の木の枝を抜こうとして、また私に睨まれる。


「でも、王子。彼はただの無法ガンマンじゃなかった。もともとアープは保安官で、街の治安を守るために銃を取ったんだ。無法と秩序、その境目で生きていた人間だった」


「……なるほど。遊びで撃ち合っていたのではなく、街を守るために命を懸けたんだな」

 王子は少しだけ居住まいを正す。


「そう。西部を開拓した時代、人々は荒野に町を作り、金を掘り、家族を養おうとした。だが同時に盗賊や無法者も跋扈していた。アープたちは、そういう“秩序を壊す者”に対抗する象徴でもあったんだ」


「むむ……なんだか格好いいな。やはり私は王国最強のガンマンになるべきでは」

「……やめろって言ってんのに」

私は額を押さえながら溜息をついた。

「さて、ということで今日の講義はワイアット・アープだな」


  


王宮教室。黒板の前に立った私は、チョークで大きく名前を書きつけた。


『ワイアット・アープ――西部開拓の保安官』


「ワイアット・アープ。十九世紀アメリカの西部開拓時代に生きた、最も有名なガンマンの一人だ」


 王子は頬杖をつきながらも、興味深そうに目を輝かせている。

「その人も“決闘ごっこ”みたいなことをしたんだろ?」

「……ごっこじゃない。本物だ。命を賭けた決闘をな」


「まず、“ガンマン”と呼ばれた者たちは、みんな銃を持つならず者ってわけじゃない。牛追いのカウボーイ、賞金稼ぎ、無法者……そして治安を守る保安官。西部は無秩序で、誰が“正義”かはあいまいだった」


 チョークで、「無法」「決闘」「保安官」と書いて丸で囲む。


「アープは、もともと放浪や博打に身を投じた荒っぽい若者だった。だが次第に“法を守る側”へと回り、保安官として町を仕切るようになったんだ」


「悪人から正義に……まるで物語のヒーローじゃん!」

 王子が感心する。

「そう見えるかもしれないが、実際はもっと泥臭い。権力争いや私怨にまみれた中で、銃を抜かざるをえなかったんだ」



「そして彼を一躍有名にしたのが――“OK牧場の決闘”」


 私は黒板に大きく、

「1881年 アリゾナ州トゥームストーン」と書く。


「町を荒らす“クラントン兄弟”率いるカウボーイたちと、アープ兄弟、それに仲間のドク・ホリデイ。両者の因縁が積み重なり、ついに街外れの馬小屋――OK牧場の裏で銃撃戦になった」


 王子はごくりと唾を飲む。

「すげぇ……本で読んだ西部劇みたいだ」

 この世界に西部劇あんのか……? 私は疑念を抱いたが、すぐに講義モードに戻る。


「だがな、現実はもっとあっけなかった。撃ち合いは三十秒足らずで終わり、四人が死んだ。後に“伝説の決闘”と呼ばれるが、実際はただの血生臭い私闘に近い」


「えっ、三十秒!? 短っ!」

「そうだ。西部劇では何分もにらみ合って華麗な撃ち合いを描くが、現実は一瞬で決まる。だからこそ恐ろしい」


 私はふっと息を吸い、声色を低く変える。

「……俺は、ワイアット・アープ」


 王子が、「きた! 憑依魔術だ!」と、身を乗り出す。


 背筋を伸ばし、机を打ち鳴らす。

「町を守るために俺は銃を抜く! 血まみれの荒野、吠える無法者! 法律は紙切れだ! だが人々の暮らしを守るため、俺は銃を抜いた……。」


 目がぎらつき、声が熱を帯びる。

「誇り高き開拓の町を荒らす者は許さん。撃つのは正義のためだ。だが忘れるな――銃は人を救うと同時に、人を滅ぼす!」


 私は黒板にチョークを叩きつけ、大きく書いた。


『銃は道具――使う者次第で正義にも悪にもなる』


 しんと静まり返った教室で、王子だけがワーワーと拍手する。


「うおぉ……コヒロ、完全に今ワイアット・アープだ! やっぱり憑依魔術すげぇ!」

 ……いや、ただ熱演しただけだっての。


「その後、彼は町を転々としながら保安官を務め、やがて老後は映画の監修をして暮らした。自らの半生を語り、伝説を“作り直した”とも言われている」


「え、自分で英雄になっちゃったの!?」

 王子は目を丸くする。

「そう。西部の伝説の多くは、当事者が誇張し、語り継がれるうちに脚色された。だからワイアット・アープは“英雄”でもあり、“ただの人間”でもあったんだ」


 私はチョークを置き、腕を組んだ。

「いいか王子よ。決闘は浪漫なんかじゃない。命を落とす一瞬の賭けだ。彼の生涯は、正義と無法の境界線に立ち続けた証だったんだよ」


 王子はきらきらとした目で拳を握った。

「すげえ! 僕も決闘やってみたい!」

「話聞いてたか……?」


 嫌な予感しかしなかった。

 講義が終わるや否や、王子は立ち上がった。


「よし! 僕もワイアット・アープみたいに決闘だ! 勝負だリョーキュー!」

「はい殿下! 命を賭けた決闘にお付き合いいたします!」

 女官リョーキューは当然のごとく全肯定。こいつはこいつで本当にイエスマンすぎないか……? あのアホについていってなんかいいことあるのか……?


 二人は庭に飛び出していった。


 しばらくすると――。

「さあ、正午の鐘だ! 引き金に手をかけろ!」

 王子が木の枝を銃に見立てて仁王立ちし、リョーキューも真似て向かい合う。召使いたちは慌てて距離を取った。


「バンッ!!」

 二人は同時に声を上げ、木の枝を振り抜く。

 だが王子は勢い余ってバランスを崩し、背中から派手に転倒した。枝はぽきりと折れ、リョーキューが「殿下ぁぁ!」と叫んで駆け寄る。


「い、今のは僕の勝ちだ……!」

「殿下はお強いです!」


 私は遠巻きにその光景を見つめ、深々とため息をついた。

「……ワイアット・アープも泣くわ。これじゃ“西部の英雄”どころか“中庭のアホ王子”だな」


 そう呟きながら、頭を抱えるしかなかった。

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