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第22講 歴女と王子と星を測る力と『ジョン・フラムスティードとグリニッジ天文台』

 夕刻。

 私は、ケイ王子が天文台に行ったと聞き、どうせしょうもないことをしているんだろう……と思いながら珍しく、王立天文台へ足を運んだ。


「って、何やってんだよ、あのアホ王子……」


 私は、ため息混じりに小声で呟いた。


 天文台では、魔導院所属の占星術師や魔導師と、科学院所属の天文学者や科学者たちが、何やらあわあわと困りぎみに遠巻きに立ち尽くしていた。


 その中心──


「おおーっ! 今こっちの路地でパン屋のおっさんが粉ぶちまけたー! ……って、あれ? 後ろで子どもが笑って……。で、あっちでは……わっ! あの女、服脱ぎ始めた!! うおおお!!」


 王立天文台の大型望遠鏡を、覗き込んで実況中継している王子がひとり。


「おいアホ、天文台の望遠鏡で何やってんだ!!!」


 私は階段を登り切るや否や、全身の怒声でぶちかました。


「わっ!? な、なに怒ってんだよコヒロ!?」

「お前、星を見るための国家機関の設備で国民の覗き見してんじゃねぇよ!!  天文台は民間を監視する装置じゃねえ!! スパイ映画でも使わねえぞ!!」

「でもさー、民の暮らしを観察するのって王として大事じゃん?」

「観察の方法がおかしいんだよ!!!」


 私はブチブチ言いながら、ふと望遠鏡に目をやった。


(……しかしこの望遠鏡、結構古いな。だいぶガタがきてそうだし、レンズに魔素シミまで出てるじゃん……これじゃ星どころか虫の羽すら見えねぇぞ……)


 科学と魔術の狭間で混線している設備を前に、私は半ば呆れつつ、腕を組んだ。


「……まあいい。ちょうどいいからここで講義しよう。場所も天文台だしな」

「え、ここで!? てか授業だったの!?」

「うるせぇ。授業に場所は関係ない!

 今から"ジョン・フラムスティード"と彼が初代天文台長を務めた"グリニッジ天文台"の話をする……。耳の穴かっぽじって聞け!」


  ☆


王立天文台の大望遠鏡前に立ち、私はゆっくりと腕を組んだ。

 ケイ王子は先ほどまでは望遠鏡を覗いていて市井の様子を見て楽しんでいたが、今は、椅子に座り、すでに私の言葉に耳を傾けている。


 その後ろには、学院所属の天文学者、魔導院の星詠みの魔導師たち──

 彼らもまた、半ば唖然としながら、この"講義"を見守っていた。



「……さて、王子。星ってのは、ただ綺麗なだけじゃない。

 星は"道しるべ"であり、"時間"であり、"力の基準"でもあるんだ」


 私は望遠鏡の金属の棒に手を置く。


「私のいた世界――"地球"では、かつて帝国が海を越えて支配を広げていった。

 けれど、海で迷えば、軍隊も商船も沈む。

 だから必要だったのが、"星の正確な位置"だったの。

 そうして作られたのが、国立の天文台!

 その一つに、"グリニッジ天文台"というものがあったのだ!!」


「ぐり……?」

 王子が口をひらく。


「グリニッジ。イギリスという国にあった、星を観測するためだけに建てられた建物だ。

 そしてそこに任命された初代台長が──ジョン・フラムスティードという人物だった」


 私はゆっくりと望遠鏡の鏡筒を指差した。


「彼は、自ら望遠鏡を組み立て、星を何万も観測し記録した。

 それも、自分の目と手で、何年にも渡って。

 なぜそんなことをしたのか?

 ──正確な"天体暦"をつくるためだ」


 私はいつの間にかに天文台の学者が用意していた大型の簡易黒板に星の円をなぞる。


「星の動きを記した暦があれば、船は夜でも迷わない。

 天候や季節も読める。

 そして“時間”を国のどこでも同じにできるようになる

 ──"時間を合わせる"っていうのは、簡単なことのようで、実は国家の支配と直結していた」


 魔導師の一人が、思わず唸るように呟いた。

「……天文魔術では"星の名"がずれると、術式すら変化します。

 時間と星の対応を"統一"するという思想、それは……」


「そう。……それは"科学による秩序"の確立だった。

 しかも、ただ便利にしたいからじゃない。

 人々が“同じ時を生きる”ための、共通の物差しが欲しかったのさ」


 私は静かに言葉を置いた。


「王になる者にとって、豪奢さも勇気も必要だろう。

 でもな──"正確であること"ほど、民の信頼を得るものはない。

 フラムスティードはそれを、星を測ることで証明した」



 しばしの沈黙。

 魔導師や占星術師と科学院の科学者たちは、顔を見合わせるように何かを思案していた。

 そして王子が、小さな声でぽつりとつぶやいた。

「……僕も、時間……ちゃんと守ろうかな……」

「まずは早起きからだな」

「いやきつっ!!」



 私は一歩、望遠鏡に近づく。

 ゆっくりと天井の星図を見上げ、静かに目を閉じる。

 心の奥底に、記憶が降りてくる。

 ──風が吹く。イギリスの曇天。パラパラとノートに記される星の記録。

 それは誰にも理解されず、嘲笑されながらも、決して折れなかった男の軌跡。


「……夜が、来るたびに私は天に向かった。星が一つ落ちるたびに、国の未来を一つ、測ったんだ──」


 私の声が低く、震えるように変化していく。


 その瞬間、魔導師の一人が目を見開いた。

「……おお! きたぞ、噂のコヒロ殿の"憑依魔術"だ……!」


 私は、天文台の中心にある黒曜の天球儀へと手を伸ばす。


「──我が名は、ジョン・フラムスティード。

 星を測り、時を刻み、帝国の"正確さ"を刻んだ者である!!」


 床を踏みしめる。

 天井の星座が淡く光り、魔導式照明がチカチカと明滅する。


「誰もが"目立たぬ"と笑った。

 "お前の星図など地味だ"と、書き写されたまま忘れられると──そう言われた!!」


 私は拳を握る。

「だが私は黙って観測した! ひと晩も、百晩も、千夜も!

 ──王子よ、知っているかね!?

 星を正しく測るということは、"すべての人の明日を測る"ということだ!」


 王子が、ごくりと唾を飲む。


「間違った地図を渡されたら、船は沈む。

 ずれた時間で動けば、戦に負ける。

 正確さは、地味だが強い。静かだが偉大だ。

 それを支える者は、決して表舞台には出ぬ。だが──その支えがあるから、王が王でいられる!!」


 私は、天文台の天井を仰いで、力強く叫んだ。


「──ゆえに我が道は、星を測ることなり!

 我が観測が、未来を導き、国家を支え、時を統べる!!」


 その場が静まり返る。

 魔導師も天文学者も、誰一人声を出さない。

 ただ──その魂の熱だけが、空気を震わせていた。


 私は深呼吸し、スッ……と肩から抜けるように、口調を戻す。

「……ふぅ、フラムスティードさん、あとはよろしく」


 ケイ王子がポツリとつぶやいた。

「……なあコヒロ……。そういう、"ちゃんとした人"がいたってだけで……なんかもう……すげぇな」


 私は静かに、にやりと笑った。

「わかってんね、王子」


 講義の熱が去ったあとも、天文台はしばらく静まりかえっていた。

 大望遠鏡の冷たい金属音が、どこか余韻を残して響いている。


 その中で、ケイ王子がぽつりと呟いた。

「……地味だけど……星って、マジですげぇんだな……

 時間も国も、空から決まるなんて、そんなの……ロマンだろ……」


 私は頷きながら、ひとこと。

「そうだよ、王子。"ロマン"と'正確さ"は両立する。

 だからこそ──星を信じて観測し続けた人間がいたんだよ」


 王子は、目をキラッキラに輝かせて言い放った。


「よし!! じゃあオレが、“この王国の星の時間”を作る!!」

「は?」


「時計台も魔導院の鐘も! みんなこの天文台の星の動きに合わせて作り直す!

 "ケイ標準時"って名前にしよう! おーい!! 大工と魔導技師呼んでこーい!!」

「待て! ストップ! 落ち着け! 星の動きは今でも見てるし! やめろ! その子午線を掘るな!! このトラディア王国だけじゃなく、他の国にも迷惑がかかるレベルになる!!」


 私と科学者、魔導師たちが総出で王子の暴走を止めに入る。


 科学院の主任天文学者は青ざめて叫ぶ。

「ケイ王子殿下! この天文装置の再校正には月単位の作業が……!」

「じゃあ"月単位"で改修しよう! この望遠鏡も古いんでしょ!? よし! 僕が直す! 王国の予算から出してやる!! いいよね!?」

「だーかーらー! 勝手に国費使うなー!!」


 騒然とする王立天文台の中を、疲れた私は壁へもたれかかった呆れて見る。


 (……もう……なんなんだこのバカは)



 ──でも、結果的に。

 ケイ王子の“星の時間”構想は、天文台の老朽設備刷新計画として正式に採用されることになった。

 まーた、あの王子の家臣の全肯定イエスマンの仕業だな……。いつか直接会って文句言っておきたい……。



  ☆



 改修計画案の提出式典。

 学院の天文学者たちが、私の前で深々と頭を下げた。

「コヒロ殿! 今回の件、本当にありがとうございました。あのアホ……ではなくケイ王子殿下があれほど科学と天文に関心を持たれるとは……。あなたの教育の賜物です……!」

「えっ……いや、私はただ……"アホがしょうもない覗きをしていたからブチギレて講義しただけ"というか……」


 私は、微妙な顔で王子を見る。

 王子は望遠鏡の上であぐらをかきながら、星空を見上げていた。


「なーなーコヒロ。オレ、星に名前つけていい?」

「ダメだ」

「えー……」

「……自分の名前を星につけるんなら、とりあえずとってりばやいのは自分で新星見つけるかしないとだな……」


 そんなふうに私は、少しだけ呆れながら、でも──ほんの少し、胸の奥で、気づき始めていた。


(……このアホ王子の教育って、もしかして……国を動かすってやつ……なのか……?)


 魔導師たちは静かに星図を巻き戻し……。

 科学者たちは未来の暦を調整し……。

 そして王子は、またひとつ星の名前を考えていた。

 王立天文台の夜が、少しだけ賑やかになった。

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