第20講 歴女と王子とスポーツで語る平和と『イフィトスとクーベルタン男爵』
「え、なんで私まで行くの……?」
私は早朝すでに疲れていた。
王宮の長い廊下を、足早に歩くアシュリー先生に半ば引きずられる形で、王宮のそばにある競技場へと向かっていた。
「国民スポーツ大会は国家行事です。王子の教育係たる者、当然貴賓席にてお付き添いを」
「いや、競技見るだけでしょ? 私、体育は……見学派だったんですけど……」
「ご安心ください、今日は観戦です。……ただし、“静かに”なさってくださいね。あちらには──」
荘厳な装飾と儀礼の中、私は目を疑った。
──現・国王・レオン16世陛下。
誤召喚の初日、玉座でぼんやりと私を見ていたあの人物が、今、数日ぶりに目の前にいた。あの野郎……。
左右には重臣たち。鋭い目つきで静かに佇むシバール・ジョシュア将軍、最近代わった現宰相のビルス卿……まだ話したことはない。さらに貴族と政治家や企業家の老若男女がずらり。こんなに国民がいたのか……。
そしてその隣、玉座の控え席で不満げに頬杖をついていたのは──
「つまんねぇ……」
あのケイ王子だった。
「僕も出たかったのに! なんで王子だからって貴賓席で観戦だけなんだよ~! 僕だって走りたいし投げたいし跳びたいし、王族もスポーツやっていいじゃん!」
「ふむ……」
私は軽く肩をすくめて言った。
「“参加することに意義がある”。よく聞く言葉でしょ」
「それ!違う!それ! そう言って王子の僕にも出させてくれればいいのに!」
「……でもそれ、元々はクーベルタン男爵が考えたわけじゃないんだよ」
「へ?」
ケイ王子含む全員がこちらを見ているがもう止められない。
私はふっと背筋を伸ばし、貴賓席のざわめきの中で、語り始めていた
「“参加することに意義がある”……。
あの言葉の元ネタは、1908年のロンドン五輪で、エセルバート・タルボットという主教が選手たちに送った説教だった。
クーベルタン男爵はそれに深く感銘を受け、スポーツの真の意味として語り継いだ」
王子がぽかんとする中、私の口調は熱を帯びる。
「そのクーベルタン男爵が情熱を捧げたのは、ある王子の物語──古代ギリシア、イフィトス。戦乱が続くギリシアの地で、彼は神託を受けて決意する。“争いをやめ、競技で競え”と!
そして生まれたのが──オリュンピアの祭典」
戦争を止めるために人が走り、投げ、跳ぶ。これは“娯楽”じゃない。“誓い”だったんだよ……!」
そして私は、すっと片腕を掲げる。
「思い出せ! トロイア戦争! 親友・パトロクロスを失ったアキレウスが、その死を悼んで開いた── 死者のための競技会!!」
「うわぁ!! 来た来た来た来たあああ!! 父上ぇ! 皆ァ! これだよこれ! これがコヒロの憑依魔術!!」
「……なんだこれは……」
貴賓席が一瞬で静まり返った。
しかし私は、まったく気づかず言葉を続けていた。
「王が走るというのは、民に夢を見せるということだ! 勝つかどうかじゃない、走る姿こそが誓いになる! 国を越えて、戦を越えて、言葉を越えて──走れ、泳げ、跳べ、王子よ!!」
場に、呆然とした静寂が戻る。
私の肩で、イフィトスの熱がすっと抜けていった。
そして、静かに言葉を切り替え、手に持ったチョークのような指先を空へ掲げた――
(中略:私・猪俣古尋の熱血クーベルタン演説はよ校長先生の挨拶並みに長かった)
「──王子よ!! 競技とは、誇りであり、祈りであり、友情であり、誓いである!
君が走り、泳ぎ、跳ぶことで、誰かが勇気を持つ! その一歩が、未来の平和になる!!」
その瞬間、貴賓席がピタリと凍りついた。
ケイ王子がひとり、拍手喝采。
「うわぁ!! 父上! これがコヒロの憑依魔術だよ!! クーベルタンが今ここにいたぁ!!」
私は憑きものが落ちたようにふらりと座に戻る。
その隣で震えていたレオン王が、ポツリとつぶやいた。
「……やはり本物だった……目が完全に、別人だ……預言書の通り……幻の憑依の魔術……っ!」
すかさず宰相のビルス卿が冷静に意外と柔らかい口調で割り込む。
「コヒロ殿の言うことは、まぁ……半分くらいは正しいと思いますが、魔術とは違う何かだと思いますよ」
しばしの沈黙のあと──
王が静かに、そしてどこか覚悟を決めたように、口を開いた。
「……ケイ王子よ」
「え、あ、はい!?」
「……走れ、泳げ、そして飛ぶのだ!」
「ち……ち、父上!?」
ケイ王子は全身から花火のように喜びを炸裂させる。
「やったぁぁあああ!!」
そして王子は、全競技への出場登録を申請した。これが地獄の始まり、スポーツの恐ろしさを知る事となる……。
「コヒロ!! 見てろよ!! 僕、全部やるからな! 全部!!」
「お、おう……あの、全競技って何競技……?」
1競技目 王子、障害物競走を笑顔で完走
2競技目 円盤投げで方向ミスして客席直撃。被害者なし。あわや大惨事。
その直後、王子、しゃがみこんで真顔になる。
「ぜぇ……ぜぇ……コヒロ……無理……」
「おい! 夏季オリンピック競技は約50種目あるんだぞ!!」
「オリンピックじゃねえよ! ただの運動会だよ! そんなに種目ないって!! 聞いてねえよ!!」
「だまって俺についてこい!!」
「鬼か!? それ別の奴の何かだろ!? 次は誰憑依してんの!?」
その日、王国史上初──
“王子による全種目チャレンジ”という奇行記録が残された。
「父上えええ!! 助けてええ!!!」
久しく、息子と接していない国王陛下殿は息子が頑張っている姿を見て、ただただ、感動していた。
「これらを記録する機械か魔術はないのか!? 早く!」
そして謎の教育係・猪俣古尋はその日、「最も熱くなっていたで賞」という小学校でもなかなかないダサい賞を受賞した。
私はケイ王子とともに全力で燃え尽きた。
アシュリー先生が、競技場の黒板に記す……。
『勝たなくても、挑むその姿が、誰かの胸を熱くする──』