第19講 歴女と王子とやりすぎイタズラと『四条天皇』
私は1階の王宮図書室から、2階の自室、王宮の渡り廊下を歩いていた。
下の階からバカ騒ぎ声が聞こえる。
「うおおおお! すっげぇ滑るぅぅ!! おっとっとと! うおわあああッ!?」
階段の手すりをウォータースライダーのように滑り降りてくる人物が一人。
まぁ誰だか考えなくても、ケイ王子、こいつしかいない。
「着地ぃぃ! 大成功──ッ!」
「はあああ……」
私は手で顔を覆って、深々とため息をついた。
王子の背後では、びしょ濡れの侍女たちが、オイルがばら撒かれた階段を掃除中だった。
「コヒロ! 見た!? 今のスライディング大ジャンプ! 僕の名付けて“滑帝ケイスライダー”だ!」
「…………」
私は、じっと王子を見つめて一言。
「……いたな、そういうやつ。昔も」
「え? 誰?」
「天皇。やりすぎた自分のやったイタズラで滑って死んだ奴」
「……へ?」
「いいか、王子。これは怒ってるんじゃない。呆れてるんだ。
今日の講義は、“調子に乗りすぎた王”だよ。しかも、ガチの“天皇陛下”。歴史に実在した」
ケイはぽかんと口を開ける。
「……そんなバカな死に方する奴、いねーだろ……?」
「いるんだよ、王子。私のいた国に、京都に、御所に、ちゃんと実在していたし、記録にもちゃーんと残っている!。
その名も──四条天皇。
“史上最もしょうもない死に方をした帝”と名高い、18歳で崩御の悲劇的コメディ天皇……つまり皇帝」
古尋は踵を返し、教室へと歩き出す。
「さあ、“王子のイタズラがどこまで許されるか”を学びに行こうか、ケイ」
「え、え、え!? 僕のために!?」
「違う。お前があまりにアホだったから、丁度いい教材を思い出しただけだ」
「ちょ、待って!? 僕、死ぬとかそういう話じゃ──」
「“滑って落ちて死ぬ”んだよ。まさかのガチで」
「そんな皇帝、いるかあ!?」
「だからいたんだよ、私の国に!!!」
王宮教室・静まり返った空間――
私は黒板の前に立ち、無言でチョークを走らせる。
『四条天皇――やりすぎ、イタズラ、ガチ崩御』
ケイ王子が席で不服そうにむくれる。
「……タイトルの時点で悪意しかねぇ……なんか韻踏んでるし……」
「史実だからし仕方がない。むしろ歴史書に書かれてる内容が、もっとあれなんだよ……」
私はカーディガンの袖をまくりながら、いつものように板書の前へ。
「四条天皇。日本、京都の朝廷で即位したのは──なんと12歳のとき」
「……え、それ僕の1歳上じゃん」
「そう、たった1歳違い。つまり、王子とほぼ同世代で“最高権力者”になった人物なんだ」
「うっわ……ちょっと親近感湧くな……」
「ただ、実際に政治をしてたのは、元の天皇であるお父さん。"院政"って仕組みでね。
だから、四条天皇自身にはほとんど決定権がなかった。つまり──ヒマだった」
「え、それって……」
「まぁ、察しの通り」
古尋は、低くつぶやく。
「書に耽るわけでもなく、蹴鞠をするわけでもなく──イタズラに走った」
「具体的には?」
ケイ王子が興味津々で訊く。
「猫を追い回す、魚を放流する、水をぶちまける、側近に砂をかける、女官を脅かして逃げ回る――などなど。
悪ガキ全開の所業が、記録にすら“ちゃんと”残ってる」
「え、それ僕のやったこととだいたい……」
「まさに、王子の前世かと思ったわ。前にやった晏嬰が仕えていた景公よりアホだもんな」
古尋は静かにチョークを持ち直す。
「で、ある日。御所でまたやらかしてた四条天皇は──"猫を蹴って追いかけてた"らしい」
「ちょ、動物に当たるのはよくないだろ!」
「そう思うよな?
でも残念ながら、本人はノリノリだったんだ。
そしてそのとき、御所の板の間で──まぁ、案の定、足を滑らせた。見事なフラグ回収」
古尋は黒板に書く。
『転倒 → 頭部強打 → そのまま崩御』
「18歳。突然の、事故死。崩御」
ケイ王子、いつものポカン顔。
「早すぎね? ていうか、僕より精神年齢低くね?」
「わからん。まぁあの時代で18歳ならもうちゃんとした大人なはずなんだがな」
コホンと私は咳を一回して、
「まぁ、猫とじゃれてたか、はたまた追い回してたか……。女官たちにいたずらを仕掛けようとして自分が引っかかったか……。どれにせよ、記録には"転倒し、崩御され”とあるんだよ。いくら偉くても記録に残った以上は千年単位でネタにされる続けるから。
そして、当時、貴族たちも衝撃だった。"天皇がイタズラで死ぬ"なんて前代未聞。
でもそれって、周囲が注意できなかったせいでもあるんだ」
黒板に最後の言葉を書く。
『誰も止められない王は、やがて自分の足で転ぶ』
ケイ王子は、椅子にもたれてぼそっとつぶやく。
「……さすがに……僕でも、滑って死ぬのはちょっと……」
「その“ちょっと”が命取りなんだよ、王子」
「……でもさ、猫蹴るのはダメだし、水ぶっかけるのも怒られるし……じゃあ王って、何やってもダメじゃん」
「“何をやるか”じゃない。“どう見られるか”を忘れちゃいけないんだよ。王は“見られてる側”だからね」
教室には静けさが戻る。
でも、王子の脳内では、何やら新たな“計画”が動き始めていた──
*
それから数時間後。
私は、やたらと静まり返った王宮の中庭を通りかかった。
……静かすぎる。
王子がいる場所で、騒がしくないってのは、それはもう事件の前兆だ。
そして、予想通りだった。
中庭の噴水周辺に、こっそりと仕掛けられた"水入り革袋"、それを踏むと「パシャッ!」と小さな水飛沫が跳ねる"びっくり水爆弾"が丁寧に並べられていた。
しかも……狙いが見事に"通行人の足元"オンリー。
「……うわぁ……」
私は思わず、額を押さえた。
そのとき、茂みの陰から金髪のガキンチョがひょっこり顔を出す。
「へっへっへ……引っかかった! "いたずら皇帝ver2.0"、安全設計済みッ!!」
「お前な……」
「猫も蹴ってないし、滑りそうなとこ全部回避してあるし、角度も計算済み! "失敗しないイタズラ"ってやつよ!」
「……お前の学び方、間違ってないか……?」
アホ王子は胸を張りながら言った。
「四条天皇の件から僕が得た教訓はただ一つ──やるなら、バレないように、そして転ばないように!」
「最低だな、このアホが!」
でも、どこか得意げに笑う王子の姿を見て、私はまた、深々とため息をついた。
……結局、歴史の授業で一番得したのは、イタズラのスキルだったらしい。
黒板には最後こう書いていた──
『悪ふざけは進化する。でもそれを見抜けるかは、王の器次第』




