第18講 歴女と王子と永遠の幻想と『始皇帝』
王宮の一室──かつての政務室を改装して作られた謎の『王子専用・私的玉座ルーム』。
いつ作らせたのかも分からない黄金の椅子の上で、ケイ王子がご満悦の様子で腕を組んでいた。
「ふふふ……ふはははは!!!」
ケイ王子が玉座の上で高笑いする。
「よーし、今日からこの国は“ケイ帝国”とする! 文句ある奴は……粛清っ!!」
控える侍女と兵士たちが困惑気味に拍手を送っていると、そこへ通りかかった古尋が現れる。
「……あー……やっちゃってるなコレ……」
彼女は眉間を押さえ、深い深いため息を吐いた。
「おー、コヒロ! 見て見て! 僕の新しい王政ごっこルーム!」
「それ、“ごっこ”って言えるうちにやめとけ」
「なんだよ! やっぱ王様ってのはさ、全部自分で決めるのがカッコよくね?
こう……誰にも逆らわれずに、全部の国を統一してさ! 命令ひとつで世界が動く的な!」
「…………」
古尋はその言葉に、しばらく無言になる。
そして、静かに呟く。
「……いたよ、そういうヤツが。全部を手に入れようとして、全部を決めて、全部を永遠にしようとした王が」
「えっ、マジで!? 最強じゃん! その人、誰!?」
「始皇帝。秦の王にして、最初の“皇帝”だよ」
「皇帝って、なんか超スゴそうな響き!」
「なら、ちゃんと聞け。あいつは全部を手に入れた。
でも……それでも、満たされなかった」
私は不敵に笑った。
「今日は、“すべてを統一し、すべてを恐れた男”の話をしてやるよ。王子、お前にはまだその玉座は、軽すぎる」
*
王宮教室――
「さーて、今日の講義は一味違うぞ。なんせ、“皇帝”のお話だからな。世界初の」
古尋はチョークを構え、黒板に大きく書き殴る。
『始皇帝――すべてを手に入れて、なお恐れた王』
ケイ王子が首をかしげる。
「“始皇帝”? “しこうてい”って読むのか? それとも“はじめのコウテイ”?」
「“しこうてい”で合ってる。中国史上、初めて“皇帝”を名乗った男、秦の王・政だ。 紀元前221年、戦乱の中国を次々と滅ぼして、たった一代で統一した!」
眼鏡をクイっと整え、
「彼の強さは、えげつなかった。わずか13歳で王位について、武将や謀臣を使いこなし、7つの国をすべて滅ぼした」
古尋は黒板に「戦国七雄」と書いて、すべて斜線で消す。
「斉・楚・燕・韓・魏・趙・秦……全部を滅ぼして、唯一の支配者となった。
そして“王”じゃ足りないと、『皇帝』を名乗った。世界で初めての、最強の王の称号!」
ケイ王子は興奮して、
「おお……僕の2歳上で王!? カッケー! でも僕そんな覚えられない……。僕も“超皇帝ケイ”とか名乗ろうかな!」
「その発想がもう危ねぇわ!! しかも“超”ってなんだよ!」
「始皇帝は、支配のために“法家”って思想を採用した。簡単に言えば、善悪よりも“ルールの徹底”を重視する考え方」
「ルールがすべて、ってこと?」
「そう。情や仁よりも、“違反したら即罰”のシステム。これで民衆をビビらせて従わせた。
さらに“焚書坑儒”――思想統制のために本を焼き、学者を生き埋めにした」
「えっ……やば……」
ケイ王子は震えた。
私は低く語る。
「“皇帝”ってのは、時に“正しさ”より“支配しやすさ”を選ぶ。
その結果、始皇帝の周りは“NO”って言わない連中ばかりになった」
「そして彼は、"死ぬのが怖くなった"。自分が作った巨大国家、それが崩れるのが怖くなった」
私は黒板に別の言葉を書く。
『死ぬのが怖くなった皇帝は、不老不死を探し始める』
「全国に"不老不死の薬"を探させ、徐福という──これまた後々教えたいんだが──海の向こうにまで派遣した。……結果、見つからなかった。水銀が良いと聞けば採った。まぁ水銀は毒物だから、彼の死因の一つにもなった可能性があるわけだが。
それでも、死を恐れた始皇帝は、巨大な墓を作った。地下宮殿に、自分の代わりに戦う“兵馬俑”を並べて」
ケイ王子は首を傾げ、
「兵馬俑って……人形の兵士?」
「そう。よくわかったな。1000体以上の等身大兵士を並べた、死後の軍隊だ。
"自分が死んでも、永遠に戦い続ける国家"を夢見てたんだな……」
「晩年の始皇帝は、誰の意見も聞かず、部下の名前すら覚えなかったと言われている。 彼はすべてを手に入れたが、"恐怖と孤独"の中で死んだ。旅先の馬車の中でな」
「……その死後、わずか数年で秦は滅んだ」
「……え?」
「全部を一人で支えようとした国家は、皇帝が死んだ瞬間に崩れたんだよ」
古尋は黒板に最後の言葉を書く。
『独裁は永遠を夢見て、孤独に死す』
ケイ王子はしばらく黙り込んでいたが、やがて小さく呟いた。
「……なんか、最期が、さびしいな……。あんなに強かったのに」
「そう。だから“全部欲しい”って思ったときほど、“何が本当に大事か”を考えなきゃいけない。王になるってのは、独りになることじゃない。“支える人を残す”のも、王の責任だよ」
始皇帝の話を終え、私は黒板の粉受けにチョークを置いた。
教室にはしんとした沈黙が流れていた。ケイ王子も、さすがに今日は言葉少なげだ。
「……全部手に入れて、全部守ろうとして、全部背負って、でも、孤独に死んだんだな」
王子がぼそりと呟いた。
「そう。強さは孤独を呼ぶ。でも、孤独で築いた国は、続かないんだよ」
私は、疲れたようにカーディガンの袖を直しながら言う。
「王になるってのは、“全部やる”んじゃない。“全部残す”ってことだ」
ケイ王子はしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げる。
その目には、どこか妙な光が宿っていた。
「……よし、決めた」
「お、おう……?」
「僕、“永遠の王”になる! 始皇帝が失敗したなら、僕が完成させてやる!!」
「……は?」
*
そして数日後――王宮中庭
私は偶然、騒がしい騎士団の声に誘われて中庭へ向かう。
そこで目にしたのは――
「おい……なんだあれ……?」
王宮中庭のど真ん中に、巨大な石像が建てられていた。
等身大より少し大きく、そしてなぜか“ポーズがドヤ顔”の王子像。
「ふふん♪ 完成したぞ!! “ケイ皇帝永遠記念像”!」
ドヤ顔で胸を張るケイ王子。手にはスケッチブックと石工の指示図。
「はっ!? これ、お前が作らせたの!? よくお前の父とかから得られたな!?」
「うん! 始皇帝が兵馬俑を並べたように、僕も未来のために残しておこうと思ってさ!」
「いやいや!! それ、教訓部分どこいった!? 滅んだって話聞いてた!?」
「だってコヒロが言っただろ? “全部残すのが王の役目”って!」
「違う!! 遺物のことじゃなくて! 制度とか理念とかそっちーっ!!」
私が頭を抱える一方、石像の前で何やら儀式的ポーズを取り始める王子。
「さあ諸君! この石像を10体、100体、王国中に建てるのだ!
そして名づけて“ケイ馬俑計画”! 我こそが永遠の王なりーッ!」
「──やっぱこいつ、始皇帝よりヤバい独裁者タイプかもしんない……」
古尋は脱力しながらも、黒板の隅に小さく書き残す。
『永遠を目指すときほど、現実を見よ。──秦の教訓』
石像の背後から風が吹き抜ける。
『永遠の王』を目指した王子の野望は、風とともに揺らぎ始めていた。




