寿命売り・8
表向きはロウソクの会社だった。
LEⅮが主流の今、急伸するロウソクの会社は瞬く間に世界中で知られることとなり、引く手あまたとなった。
ロウソクの形をした、買える寿命。
1年から年単位で。最長20年まで。
飛ぶように売れた。最初は富裕層。それから中間層。借金をしてまでももう少し生きたいと言う人たちはいた。
もっと長い寿命を売ってほしいという声もあったが、そこの線引きだけは絶対に崩さなかった。
生まれてすぐの赤ん坊のためにロウソクを買いに来た父親がいた。20年だけでもいいと泣いていた。
野木の心は揺らいだが、絶対に崩せないと堪えた。
ロウソクを購入する人間は、誰もそれが他人の寿命だとは知らなかった。
明子は野木を解雇し、ロウソクの会社の取締役に据え置いた。
どれだけ抵抗しても、野木には選択権がなかった。
あの日『先生』の寿命を買うと決意したのも、『先生』のロウソクの火を移したのも野木だった。
5000年分のロウソクは瞬く間に減って行った。
毎日男が補充をしていたが、追いつかなくなるのは時間の問題だった。
売り手の寿命をせめて5年は残したいというのが明子の意向だった。5年あれば、手にしたお金で心残りなく余生を過ごせるのではと思ったからだ。
「5年でも明日でも10年でも、あまり反応は変わりませんでしたがね」
男は笑ったが、明子の自己満足な良心だった。
自己満足な良心は、しょせん自分の都合しか指針にしていない。
「ロウソクは、意識があるうちに契約しておかなくては使えないの?」
男は片方の眉だけ上げた。
「あくまで寿命はご本人様のものですから」
「絶対に?」
明子も片眉を上げた。
「私のささやかな良心です」
初めて男の表情が無くなった。
明子は机の上に手を組むと、真剣に男を見据えた。
「死にたいと思っているのに結局生かされて、延々とベッドに縛られる人生なんて本人たちは望んでいないんじゃないかしら?」
男も明子を見据えた。
「もし喋れるんだったら、すぐに寿命を売ってくれってあなたに言うんじゃないかしら?」
男は何も答えない。
「ご家族だって延々医療費を払い続ける生活に疲れているんじゃない?」
男はふっと笑うと、また穏やかな笑顔で言った。
「私は良心に背く行為はいたしません」
明子はあっさりと言った。
「私が行くわ」
そのホスピスには意識の無い寝たきりの患者ばかりが入院していた。視察と称してあらかじめ院内を見学していた明子は、生気のない院内に居た堪れない異常さと魂の抜けるような神聖さを同時に感じていた。
数日後、変装した明子が見舞客のふりをして入ったホスピスの病室に、男はすでにいた。
あらゆるモニターや点滴に繋がれた患者の布団をめくり、男と明子は足元の暗がりへと滑り込んだ。
初めて見る洞窟の中を、明子は物珍し気にきょろきょろと見回した。
オレンジ色に輝く洞窟の中には大小さまざまなロウソクがたくさんあって、本当にどれがだれのか全くわからない。
まだ新品のような長いものもあれば、蝋がすっかり溶けて、今にも消えそうなものもある。
あの日の父親の灯もこんなのであったのであろうかと、明子は思い返した。
「これです。これが先ほどの方のロウソクです」
男は1本のロウソクを指した。
「……長いじゃない」
それは持ち主が寝たきりであることを全く連想させない、長いロウソクだった。
「この方はあと30年、あのベッドの上で過ごされる予定です」
明子は眉を寄せた。
「なんで……」
「こうなるとは思われなかったのでしょう」
男は静かにつぶやいた。そしてポケットから小さな鎌のようなものを出すと、明子に渡した。
「ロウソクの上を持って、炎が消えないように慎重に、必要なところで切ってください。切り取った上の部分は横に置いて」
男が言い終わらないうちに、明子はそのロウソクの炎を鎌の先で潰した。
男は何も言わなかった。驚きもしなかった。
明子は炎の消えたロウソクを見つめたまま、言った。
「……本人だって望んでないでしょう、こんな人生」
男は何も答えない。
明子は昂然と顔を上げ、男に言った。
「他の患者のロウソクはどれ?」