寿命売り・5
かの大国の大統領が交代した。
関税に通商に辣腕を振るうそのやり方に、この小さな国は思うままに翻弄された。
なんとか起死回生の手を打たねばと役人は頭を抱え、たいした切り札も持たないまま、それでもなんとか交渉の席を持てることとなった。
しかしその直前、大統領が倒れた。意識不明の重体ということで、会談はお流れとなった。
流れた会談になおさら頭を抱えるものが多いなか、無かったはずの切り札を得たと閃いた者がいた。
今や自分が『先生』と呼ばれる立場になった明子が、今は自分の右腕となった野木を呼んだ。
「あの男を探しなさい」
明子は言った。
なんとなく、あの男がいそうな場所は見当がついていた。
1000万円以上払えそうで、危篤の人間がいるところ。
そもそもあの男に会ったのも、その医者の紹介だった。
「あれから何人か、紹介されましたか?」
会うなり野木は訊いてみた。
「まあ、何人か」
医者は肩をすくめて言った。
「ほとんど断られましたけど。信じてもらえなくて」
それが本来の反応なのだろうな、と野木は安堵した。
「彼に会いたいんですけど」
医者は露骨に鼻白んだ。
それでも野木はあの男を連れて行かねばならなかった。
「会いたいと思えばすぐ会える相手でもないんですよ。一体どこから現れるのかもわからないし。危篤の患者さんが現れたら、いつのまにかそこにいるって感じの人で……」
「私をお探しですか?」
突然医者の後ろに現れた男に、医者も野木も声を上げて驚いた。
「いつからいたんですか……」
探していたとはいえ、いざ現れるとつい気味の悪いものでも見るような目で野木は男を見てしまう。
だがそんな野木の視線など全く意に介することも無く、男はにっこりとほほ笑んだ。
「私を必要としている人がいらしたようなので」
野木は姿勢を正して男と向き合った。
「寿命を、お譲りいただきたい」
「毎度ありがとうございます」
男は深々とお辞儀した。
「あ、でもその前に」
野木は大切なことを確認し忘れていたことを思い出し、慌てた。
「寿命は、外国人ともやり取りできるのか?」
「ええ。人間であれば誰とでも」
男はにっこりとほほ笑む。
「ロウソクの部屋への行き方は」
「前回と同じです」
ハードルが高いなと野木は思った。相手は大国の要人である。その病室に、小国の一介の政治関係者がやすやすと入れるわけはない。どうすれば……と悩む野木に、男は軽く言った。
「大丈夫ですよ。私が先に行きます」
口に出したわけではない。誰のためとも言っていない。なのに何故この男は余裕で笑うのか。野木はますます眉間を寄せてその美しいが薄気味悪い男をみつめた。
「ところで、何年にします?それを先に決めておきませんか。どうせあちらの方は、どう説明したってご納得されないでしょうし、とりあえず目覚めさせればいいだけの話でしょうし」
つまりその人物の寿命はこちらの都合で決めておけということなのだろうか。野木はごくりと息を呑んだ。
その人物の任期は4年。辣腕は厄介だが、ここで命の恩を売っておけば、4年はこの小国は安泰かもしれない。
「……4年」
喉から絞り出された野木の答えに、男は優雅に頭を下げた。
「承知いたしました」
「先に行っている」と言った男を信じて、野木は明子ら数人と共にかの大国へ出発した。
驚くことに、着くなりすぐに病院へ来いと関係者から連絡があった。
行くと病室へ通され、そこに男はすでにいた。
顔立ちの全然違う人々が、忌まわしいものでも見るように男や野木たちを見ていた。
そんな周りの空気などお構いなしに、おっとりと男はほほ笑んだ。
「こちらの説明はしておきました。そちらのお話を、どうぞ」
なぜ寿命を渡したいのがこの人物とわかったのか。どうやってここまで来たのか。考えることすら野暮なのであろう。社交辞令を滔々と述べる明子を、この男はにこにこと見守っている。たぶんウソやごまかしはこの男には効かない。野木は男から目を離すことができなかった。
明子の話に周りの人間たちは毛の一筋も動かされたような様子はなかったが、明子は冷静に野木と男を見て頷いた。
「では、行きましょうか」
男は野木を見て言った。
「え?私、ですか?」
さすがに野木は面食らった。ロウソクの火は身内や信頼できる人がやるものではないのか。
「信じてないから、誰もやりたくないそうです」
男はにこにこと言う。
「ですが……」
一国の要人の命なのだ。突然請け負うには荷が重すぎる。野木は焦った。
「野木。あまり他の国の人間に知られたくないの。わかるわね?」
明子の耳打ちに不安なものを感じたが、もう断ることはできないようだった。腹を括った野木は、男を見て頷く。
男は寝ている要人の足元をめくり上げた。周りの関係者たちが一斉に警戒し、そしてどよめく。
シーツをめくり上げたそこは、やはり漆黒の闇であった。
その中に男と野木が、するりするりと滑り込んでいく。
ぱたりと閉じたシーツを誰かが勢いよくめくったが、そこには要人の足があるだけだった。
病室の面々が驚きを隠せないなか、明子だけは固唾を吞んでそれを見守っていた。