寿命売り・3
長髪の男は1000万円を受け取ると、5束ずつ右のポケットと左のポケットに入れた。
そして寝ている患者の足元に行くと、おもむろに布団をめくった。
「なっ!?」
「では、行きましょうか」
唖然とする患者の家族と関係者に満面の微笑みを向け、野木を促した。
めくったそこに患者の足は無かった。
ただ、漆黒の暗闇がぱっくり口を開けていた。
男はそれこそ布団に潜り込むように、足から中へ滑り込んだ。掛布団を掴んだ手を残して男の姿が消える。
上げられた掛布団の縁を野木は受け取り、恐る恐る同じように布団の中の闇に身体を滑り込ませた。
掛布団を掴んでいた野木の手はすぐに吸い込まれ、布団はパサリと閉じた。
明子は急いで足元の掛布団をめくってみたが、そこには久しぶりに見る父親の痩せた足があるだけだった。
病室の中はますます静かで、モニターの音だけが規則正しく響いていた。
そこは真っ暗なゆるい下りの狭い階段だった。長髪の男が一歩進むたびに、両側の壁のくりぬきにひとつずつ置かれたロウソクが灯り、前を照らし、通り過ぎると消えていった。
真っ暗闇の中は特別寒いわけでもなく暑いわけでもなく、風もなければ臭いも無い。ただ砂利を踏むような感触と響く足音が洞窟の中を思わせた。
やがて階段の先に煌々と光る黄色い明かりが見えて来た。
光の漏れる穴をくぐるとそこには無数のロウソクが、岩肌のあちこちに立てられていた。
ロウソクの長さはまちまちで、灯った炎も大きいのから小さいのといろいろあったが、なにせ数が多いので、拓けた洞窟の中はとにかくオレンジ色に明るかった。
「もしかして、これが……」
野木はあたりを見渡しながら息を呑んだ。落語の『死神』を聴いたときに想像した場面とそっくりだった。
「そうです。皆さんの寿命です」
男は穏やかに答え、まだ先へと進んだ。
「こんなにあったら、どれが誰のなんてわからないだろう」
ロウソクに名前など書かれてないことを確認しながら、野木が険しい顔で言う。
「私さえわかっていればいいので」
男はあっさりと答える。
「それとも野木さんもお知りになりたいですか?ご自分の寿命」
男はちらりと野木を振り返って言った。
野木は答えに詰まった。知りたいような知りたくないような。でもせっかくここまで来たのだし、『先生』の炎を移した後、時間があれば見てみたいような……。
「これです」
男が立ち止まり、手のひらで指されたロウソクを見て野木は悲鳴を押し殺した。
示されたロウソクはもうほとんど溶けていて、炎は今にも消えそうに心細げに揺れていた。
「ご依頼主さまの寿命ですが……、早くしないと消えちゃいそうですね」
自分のロウソクでなかったことに、あからさまに野木は安堵した。
そんな姿を見ていた男がにやりとしたので、野木は自分の不謹慎さを払うように慌てだした。
「早く!ロウソクを!」
手を出す野木に、男はロウソクを渡した。
直径も長さも3センチくらいの、短いロウソクだった。しかも頭の部分が途中で切ったように平らで、芯も出ていない。
「新品じゃないのか?」
お仏壇に供えるような、芯が頭からしっかり伸びているロウソクを想像していた野木は訝し気な声を出す。
「まさか」
男は肩をすくめた。
「それは寿命を売りたい方から譲り受けたものです。だから1000万円かかるんですよ」
男は札束の入ったポケットをポンポンと叩いて見せた。
「寿命を、売る……?」
ますます野木の眉が寄る。
「はい。私は、早く寿命を終わらせたい方から、もう少し長く生きていたい方へ寿命の仲介をする、寿命仲介人です」
「寿命を早く終わらせたいって、それはつまり……」
呆然とする野木に、男はあっさりと言った。
「早く死にたい方です」
「駄目だろう!」
思わず投げつけそうに振りかぶったロウソクを、野木は慌てて握りこんで男に返す。
手のひらに1年分の短いロウソクを押し返された男は、きょとんとした顔をする。
「なぜです?先方はもう了承済みですよ。お買い上げくださる方の条件なども提示されてありませんし」
「そ、そんな……!人の命なんか……!誰か犠牲にしてまで生きながらえるなんて……!」
実質、人殺しと変わらないではないかと野木は肝が冷えた。いくら大事な『先生』とはいえ、直接殺したわけではないとはいえ、人の命の犠牲の上に寿命を延ばすことなど考えられないはず。
「心配なさらなくても、この方は1年寿命をお譲りしたからといってすぐにお亡くなりになるわけではありませんよ」
男は1年分のロウソクを親指と人差し指で挟んで振ってみせた。