「有害鳥獣」で悪かったね
人間はせっせと有害鳥獣の駆除に励みます
僕たちに何の罪があるのでしょうか
ともに時代の犠牲者ではないですか
その1 居酒屋にて
居酒屋は今日も混んでいた。
ウナギの寝床のような店内は、トイレに行くにも爪先立ちになる必要がある。常連ばかりだ。心得たもので、カウンターの客は体を前傾させてやり過ごす。
柴山は酒が進まなかった。
今日も散々だった。
「今朝、裏の畑へ収穫に行ったら、ダイコン、全部やられとった。自分らが食べん分まで引き抜いて、齧って捨てとる。役所は何をやっとるんや。役立たずが」
おばあちゃんに一時間ちかく怒られた。サルの食害だ。
「なに、柴山君、静かやない」
隣に誰か座ったと思ったら、上司の茶畑だった。アラサーのシングルマザーだ。
茶畑課長は熱燗を注文し、柴山にも注いでくれた。
「怒られとったなあ。ウチら頭を下げてなんぼの商売や。朝の来ない夜はない。嵐はいつか通り過ぎる。そんなに落ち込むことないって」
二人は市の有害鳥獣対策課に勤める。
当市も例に漏れず、有害鳥獣対応に追われている。
今年度はイノシシ八〇〇、サル三〇〇、シカ三二〇〇を捕獲目標に掲げている。捕獲は主にくくりワナ、檻で行われ、猟師たちは害獣を仕留めると、両耳と尾を切り取り、画像データにして書類とともに役所に提出、一頭につき、イノシシとシカはそれぞれ一万円、サルは二万円の奨励金を手にする。
毎年、多額の予算を使っていながら、効果が挙がっているという実感がまるでなかった。この点については、柴山たち市職員は市民と意識を共有していたのである。
午後のクレームも頭を悩ませた。
「庭でタヌキが死んどる」
おじいちゃんからの電話だった。早く片付けてくれ、という。
「それがね、タヌキはガツガツに痩せていたらしいのですよ。エサがないのでしょうか」
柴山は茶畑に酌をしながら訊いた。
「いっそ、大量に餓死してくれたら、大助かりや」
茶畑は笑いながら、手羽先のから揚げにかぶりつこうとした。徳島特産物の阿波尾鶏を使っている。この店の一番人気だ。
その2 消滅集落
始発のバスに乗る。
終点で降りた。ほかに二組のハイキング客らしいのがいた。柴山は尾根へと続く山道を登った。今日は尾根伝いに古道をたどり、JRの駅まで降りてみる計画だ。
古道は真っ暗だった。鬱蒼とした杉の大木が繁る。大小の岩が行く手を遮る。人々の行き交った往時をしのばせるものは、何もなかった。
前方が明るくなり、なおも進むと、眼前にいきなり瀬戸の海と島々が広がった。道端に腰を降ろすと、道祖神が繁みからわずかに顔をのぞかせていた。
道祖神の横を、南方に降りる道が出ていた。再び、昼なお暗い道が続いた。
自然は不気味に沈黙していた。生き物の気配はなかった。
峠に出たのか、足元に森林地帯が広がっている。なだらかになった山腹の中央に、こんもりした森があった。周囲を杉木立が取り巻いている。
集落跡だった。たくさんの人々の営みを眺めてきた村は、役割を終えたかのように眠りについていた。
柴山は心地よい疲れを感じながら、目を閉じた。
鎮守の森で笛や太鼓が鳴っている。お祭りのようだ。急いで行って見ると、動物たちが相撲をとっていた。
「これが最後の秋祭りになるだろう」
長老と思しきシカが柴山に言うともなく言った。
「見てみい。飢饉でみんな、あんなに痩せてしもうて」
柴山は投げ飛ばされ、足元まで転げてきたタヌキを助け起こしながら、訊いた。
「それで、この後、みんなどうするのですか」
「町へ出ていくしかないな。人間の後を追って」
シカは孫が勝ったのか、話の途中で、歓声を上げた。
戦後、国土緑化運動により、植林が進んだ。成長が速く、金になる杉をこぞって植えた結果、日本の森林の六割は杉、ヒノキを含めると九割強が針葉樹で占められるようになった。
折悪しく、外国産木材が輸入自由化されて国産木材の価格は暴落した。過疎化と高齢化により林業人口は激減し、森林は荒れ放題、今や土石流など自然災害の温床と化している。
保水力に優れた広葉樹が駆逐された結果、動物たちの水飲み場は涸れた。エサとなる木の実が手に入らず、ついには人里に出没し始めたのだった。その人里も、家を離れる時、村人が家の周囲に杉を植えて出て行った。こうして、村は瞬く間に杉林に席巻されてしまった。
柴山は心が痛んだ。
ここが動物たちの楽園であったのは、ほんの一瞬間に過ぎなかったのだ。
その3 アメとムチ
四国を雨台風が襲った。
線状降水帯が長く居座り、各地に記録的な豪雨をもたらした。山に囲まれた当市では土石流の爪痕も生々しく、防災対策の抜本的な見直しが迫られていた。
隣で酒をあおっているのは、確か防災課の若手だった。
気の毒だった。土石流に関する限り、人災の側面は否定できない。
「広葉樹林の効用に今さら気づいても遅い。一度崩してしもうた自然のバランスは取り返しようがない」
同僚とグチをこぼしている。
柴山は遠慮がちに声をかけた。
「それなんですけど、ちょっといいですか」
杉林をクヌギやカシ、ナラなどの広葉樹、さらには栗や柿、ミカン、イチジク、桃、梨などの果樹に変えられないか訊いてみた。
「なんのため」
「そんなことして、何になるの」
二人は取り合わなかった。
「野生動物たちに安心・安全な住みかを取り戻してやるのですよ」
柴山が言うと、二人はまじまじと柴山の顔を見た。
「ある消滅集落で実験的に始めてみる。砂防ダムなんか作るより、せっせと杉を伐り出して、跡に広葉樹を植林していくのですよ。環境保全、防災対策の上からも、とても有効だと思いますよ」
話はまとまった。今度の土曜は現地調査に出かけることになった。
「柴山さん。来年、予算がついても、絶対に『野生動物のユートピア建設』などとは口が裂けても言ってはいけませんよ。我々も環境保全・防災対策で通しますので」
柴山に釘を刺すことを忘れなかった。大っぴらに生物多様性などというと、たくさんの敵を作ってしまう。
その4 コーラスグループ
杉が間伐され、森林に光が差してきた。
苔や下草が生え初め、地中にしみ込んだ雨水は湧き水となって土地を潤した。木が芽吹き、花が咲くと、鳥や蜂が山野を飛び交うようになった。
茶畑課長は年度末になると、ご機嫌斜めになる。予算があまり執行されていないからだ。
「また、防災課に持って行かれるよ。ウチはジリ貧状態やない」
柴山は茶畑の焦りなど、どこ吹く風だった。
三人はこの週末も鎮守の森まで出張っていた。
「さっき、タヌキがいましたよ。コロコロ太って」
「奥の枝が揺れてるのは、サルじゃないですかね。気が早い」
防災課の職員は個体数を記録している。こんなことは休日にしかできない。それに、上層部に見つかると、大目玉を食う。
「柴山さん。あんた、ここに来ると、いつも何、聴いているの」
若い防災課員のために、杉山はスマホのボリュームを少し上げた。
「『ライオンは寝ている』(The Lion Sleeps Tonight)ですよ。トーケンズ(The Tokens)の」
二人はすぐに覚えた。大声で歌ったが、ここではだれにも気兼ねする必要がなかった。
「だけど、人間はなんでこんな素晴らしい土地を捨てたのかなあ」
防災課の若手がつぶやいた。
「先祖代々、ここで暮らしてきたのだろう」
先輩職員が言うともなく言った。
「二〇世紀になって、それまで考えもしなかった時代の波が襲ったのだろうな。動物たちは帰ってきているけど、人間がここに戻って生活を再開することはないだろうな」
柴山も同感だった。
「そうですね。相当な自覚がないと、ここで共生していくことは、できないですから」
柴山はいつもの音楽を口ずさみながら、動物たちに近づいて行った。防災課の二人が後に続く。ドゥーワップが様になってきた。