第七章 新しい生活
■6ヶ月経過 新長期計画
痩せた気がする。
体重計なんて調達していなかった。なんか手足が一回りぐらい細くなった気がして心配になったので、慌てて高級な体組成計を調達して計ってみた。体脂肪率が増えているのに体重が減っている。筋肉がメッチャ減ってるぞ! 骨密度も下がっているような。測ったことがないから以前の値を知らないけど、今は標準値より下だ。
たんぱく質とカルシウム不足だな。運動不足もあるかも。積ん読状態だった健康本をひっくり返して調査と検討を行った。
その結果、管理棟1階は簡易的なトレーニングジムっぽくなっている。高級なダンベルとベンチシート、ベルトとグラブ、シューズなど、ちょっとしたグッズが並んでいる。バーベルはあきらめた。介助者がいるか、スミスマシンという巨大なレールがないと、落っことしたときに大けがをする恐れが濃厚だからだ。
ランニングマシンも重たいので運ぶのが面倒でやめた。公園の中に住んでいるんだから走り放題だしな。雨さえ降らなきゃ。
ウェアは高機能で格好いいのをいろいろ着替えている。誰に見せるわけでもないのだが。
肉が食いたい。
運動すると腹が減る。たんぱく質を摂らないと筋肉が増えない。肉が食えないと思うと異常に食いたくなる。
仕方がないのでビーフジャーキーとコンビーフとかを中心に、焼き鳥缶、サバ缶、ツナ缶、カニ缶を毎日食べている。そしてプロテインを飲む。おやつは煮干しだ。あと、寝る前とかにサプリを飲んでいる。
効果はまだ見えない。焦らずにしっかり体を作っていくぞ。これから大仕事をしようというのに、体力が足りないと始まらないからな。
俺は今3つのテーマを研究している。
ちょっと失敗したぐらいで落ち込んでいても仕方がない。だいたい他人が植えた作物を収穫できなかったからって悔しがる方がおかしいじゃないか。それに俺は負け組とは言え元々ITエンジニアだ。トライアルアンドエラーで失敗を繰り返して成長するのだ。しばらく失敗が許されない運用業務をやってたから忘れてたよ。開発しよう。開発!
前回の失敗は2つの問題があった。害虫と天候だ。
あれから公園内をよく見てみると、天敵がいなくなった虫達が我が物顔で闊歩したり飛び回ったりしていた。今はもう冬だから卵やさなぎになったり、落ち葉の下とかで冬眠しているんだろうが相当数が増えている。来年はもっと増えるぞ。きっと植物にも影響が出るな。どんな影響が出るのか俺には想像もつかんが。
多勢に無勢。奴らを倒すことは無理だ。そこで奴らから作物を隔離することを考えている。屋内農業だ。屋内で農業をすれば、悪天候にも影響されない。成功すれば毎年安定的に生産できるようになるだろう。
どこか広い建物の中で、俺一人一年分と少々の備蓄分を生産しよう。作物は米、麦、蕎麦、大豆、芋、根菜、菜っ葉類を考えている。
問題は水と光だ。
水稲は水の確保が面倒なので陸稲にしようと思う。畑で稲を栽培する方法だ。外国ではよくやられている。日本でも一部お菓子用に陸稲がされていたらしい。
田んぼに比べて水が少なくて済むとは言え、水やりは必要だ。雨水を確保することと、蒸発した水を回収することを考えている。除湿機を使うんだ。除湿してできた水を捨てずにまた作物にやろうと思う。逆に除湿しないと湿度が上がりすぎて栽培施設がカビだらけになることが予想される。換気も気をつけないと虫が入ってくるからな。
光はLEDで良いだろう。赤と青のLEDで植物は育つ。白にする必要はない。だけど、赤と青のLEDって、そんなに大量には手に入らない。やはり、普通の電気店で調達できる白のLED照明を使うしかないかな。
ということで、あとは発電だ。大規模な太陽光発電をしたい。太陽光パネルはその辺にいくらでもある。蓄電池は最近増えている電気自動車とかを使えば簡単だ。道路が使えないから運ぶのが大変だけど。
生産量だが、昔の基準だと、大人一人一年一俵だから、60kgが目標だ。資料によると、122平方メートルの田んぼが必要だ。だいたい10m×12mだ。今まで何も考えていなかったが、失敗した水田はだいたい二人分ぐらいのサイズだったってことだ。陸稲の場合は収穫量が減ることは知っているが、どのくらい減るのか詳しい資料がない。概ね半分としてやってみよう。ということは、農家再現コーナーにある田んぼと同じぐらいの広さの畑を目指せば良いってことだ。それを超えたサイズにできれば備蓄もできる。
ま、失敗したってまだまだ近隣に眠っている備蓄がある。古くなってまずくなったって、腐らなければ死にはしない。恐れずにトライすることが重要だ。
そういうわけで、屋内農業と電気工事の研究をしている。電気の方は比較的簡単だ。参考書はいくらでもある。工具も資材も探せばすぐに見つかる。しかし、手順を間違えると感電して死ぬかもしれない。容量の計算とか、作業手順とか、安全装備の辺りを重点的に勉強している。
屋内農業は資料がない。ネットが使えれば何らかの情報が手に入るだろうが、本しかない。トライアルアンドエラーでやってみるしかない。
もう一つの研究テーマは気象衛星の画像信号受信だ。GPS同様、気象衛星も生きているはずだ。今も写真を撮って地上に送信しているはずだ。それを受信して表示したい。雲の画像だけでも受信できれば、大雨と台風に備えることができる。アンテナと無線機とパソコンがあれば基本的にはできるはずだ。あとちょっと回路を自作する必要があるかもしれないが。
というわけで、例によって無線雑誌のバックナンバーを漁って、受信と画像再生の方法がないか調べまくった。これだという記事は見つからなかったが、なんとなくできそうだ。なぜか日本の「ひまわり」ではなく、アメリカの「NOAA」なんだよな。
もうちょっと詳しい資料を探して、書店と図書館の他、大学を回っている。工学部の図書館とか教員の部屋を探している。英語の本が多くて困るよ。人類が滅んでも英語が必要だとは。
そうそう、大学もそうだが、街の探索が大分楽になった。冬になって被災者さんたちの腐敗が落ち着いたんだ。最近は匂いが収まってきた。ある程度乾燥して見た目も激しさがなくなったというか、慣れたというか。虫も出てこなくなった。念のため防寒を兼ねて防護服代わりのカッパも着ているし、ゴーグルと工業用マスクは着けている。もちろんビニール手袋もまだ必須だ。ただ、履き物は長靴から完全防水のトレッキングシューズに換えた。歩きやすくなったよ。
そんな折、ふと気になって母校に行ってみた。ちょっと離れたH市の大学だ。卒業して10年以上。すこし雰囲気は変わっていたな。部員ではなかったがちょくちょく出入りしていた懐かしいアマチュア無線部の部室に入ってみた。相変わらず機材と資料で溢れかえっている。授業サボっていたのかな。後輩被災者も1人無線機の前でミイラ化していた。
そんな乱雑な部屋の一角に、大きな手作りポスターが貼ってあった。よく見ると「NOAA」と書いてある。
「なんですと!」
どうやら学祭で展示したポスターで、気象衛星の画像信号受信方法が簡単に説明してあった。そして、自分たちで作ったと思われる受信装置の概要が説明されていた。さらに、そのポスターの下には実際の無線機とアンテナ、パソコンが置いてあるじゃないか。
「お前ら! やってくれたな!!ありがとう!!!」
動くかどうか解らんが、0から始めるよりも楽だろう。顔も名前も知らない後輩たちに感謝して、その機材一式をもらい受けた。
■7ヶ月経過 移住三度目
新しい拠点を探している。大型のホームセンターだ。
やっぱりホームセンターは使える機器や資材が揃っているから便利だ。ここよりもう少し西北西の方に行けば多摩地区最大の超大型店がある。そこなら十分な広さがあるから、店内を整理すれば大きな屋内農園が作れる。乾田だけでなく、麦も蕎麦も野菜も育てられると思う。
ネットが生きていれば衛星写真で周辺の様子を確認できるのだが、紙資料しかない。図書館でちょっと古い航空写真を見つけた。目標のホームセンターが建つ前のものだが、多分周辺はあまり変わっていないと思う。
そのホームセンターは近くに畑がある。これは良い。ほったらかしでも野菜が自生するんじゃないだろうか。自分で作ったものだけだと飽きて、たまには違うものが食べたくなると思うから、時々採取して食生活を豊かにしたい。
畑は結構広いぞ。たとえ虫に食われているとしても、十分に広ければ俺一人分ぐらい採集できるんじゃないかと思う。根拠はないが。
それに、すぐ隣に工場だか倉庫だかの巨大な建物がある。その屋根にある大量の太陽光パネルが欲しいんだ。民家の屋根にもたくさんの太陽光パネルがあるが、素人の俺がハシゴをかけて取り外すなんて危険だ。フラットな屋上のパネルを頂戴する方がずっと安全だ。これで電力は確保できるんじゃないかな。
バイクにポータブルDVDナビを取り付けた。最初ハンドルに付けようと思ったんだが、結構重い。タンクに巻き付けるように積んだ。125ccのバイクでは、DVDナビを駆動するにはバッテリー容量が不足する。魔改造して大型バイク用のバッテリーをむき出しで後部座席に増設した。車用はさすがに積めない。ちなみに125ccのバイクでは充電も難しいので、バッテリーチャージャーを使って管理棟でフル充電してから出発する。
魔改造していない普通のドローンを積んで目標のホームセンターに向かう。ただ行くだけではなく、要所要所でドローンを飛ばして周辺の道路状況を確認し、軽トラが通れる場所をナビにマークしていく。通常なら30分程度の道のりだが、丸々半日かかった。帰りはマークしたルートの検証だ。
目標のホームセンターに到着。このホームセンターには初めて来た。多摩地区最大という触れ込みで話題に上っていたから気にはなっていたが、家から結構遠いし、貧乏人はホームセンターよりも100円ショップに行ってしまうからだ。
建屋は思ったより広かった。南北に長いのだが、なんだか不思議な構造だなと思って周囲を回ってみると、傾斜地を利用していて、東側から見ると2階建てだが、坂を上りつつ西側に回り込むと地上1階、地下1階に見えるのだ。つまり、2階から高低差なく地上駐車場に出られるのだ。そして屋上にも駐車場がある。エレベーターが止まっているから大きな荷物を上げ下げすることは難しい。だが、この構造だと軽トラで1階、2階、屋上の間を自由に運べる。想定外の喜びだ。
2階駐車場にバイクを停めて、念のため完全防護服に着替えて懐中電灯を持って2階の店内に入る。自動ドアは手で開けられた。北側の一角がスーパーマーケットになっていた。窓が少ないので懐中電灯を照らして慎重に調べる。
被災者は主婦と子供、高齢者が結構いる。それに従業員だ。少なくはないな。大分乾燥が進んでいるから運びやすいとは思うが、どこまで丁寧に埋葬できるかな。ちょっと検討が必要だ。
食品はほとんどダメだろう。バックヤードも含めて春になる前にかたづけて消毒しよう。夏になったらまだまだ匂いそうだから腐った食品はどこかに埋めてしまいたい。
2階の大半のスペースは郊外型大型電気店だ。東西がガラス張りなので懐中電灯は要らない。新型電気製品が大量に並んでいる。ラッキー。生活家電は全部新品に替えよう。引っ越しも楽だ。大型のテレビもある。DVDは卒業してブルーレイにしよう。音響も整えてシアタールーム兼ゲームコーナーを作ろう。
こっちは被災者さんは少ない。主に従業員だ。床にシミができているが、乾燥が進んでいるから掃除すれば大丈夫だろう。手袋とゴーグルを外し、カッパの上着のファスナーを下げて少し楽になる。
さらに南側に行くとリフォームコーナーと家具とアウトドア用品があった。ホームセンターのではなく、電気店のだ。手広くやってんなぁ。これを並び替えればリビングが作れる。以前、家具屋で寝たときは広すぎて落ち着かなかったが、このアウトドア用品売り場はパーティションで程良く区切られているし、テントを張れば落ち着いて寝られる気がする。なにより被災者さんがいないのが良い。うん、そうしよう。
止まっているエスカレーターを歩いて1階に降りる。こっちはホームセンターだ。東側はガラス張りだからある程度明るいが、西側は地下になっているので店内は懐中電灯が必要だ。
外側は園芸とか農業とか外回り関係のものが多い。植物は全部枯れている。種は使えそうだ。種芋は使えるかな? ダメ元で植えてみよう。あと、肥料と土がたくさんある。この辺りは屋内農園に使えそうなものがたくさんあるぞ。
店内に入る。南側は木材などの資材がある。電動フォークリフトがあるから充電できれば楽に移動できそうだ。
北側に移動していくと、工具や作業服などがあった。さらに行くと文房具とか洗剤とかの日用品になり、酒や飲料などの食品が並ぶ。大半の食品はもう賞味期限が切れているが、まだ腹は壊さないだろう。美味そうな奴は飲み食いしよう。長期保存できるものはそのまま活用だ。
さらに奥に行くとペットコーナーだった。さすがにみんなお亡くなりになっている。水槽は半分ぐらい水が減っている。ここも早めに掃除しないと夏になったら匂いが大変だ。水槽の処分は時間が掛かりそうだな。ちょっと憂鬱。
今夜はここに泊まることにした。美味そうなインスタント食品とお菓子と飲料、ウェットティッシュとかの衛生用品、あとタオル類と化学カイロを持って2階のアウトドア用品売り場に戻る。
長靴からアウトドアサンダルに履き替える。体を拭いてウェアも軽快なものに着替えた。ディスプレイ用に設置してあった家族向けテントをそのまま使おう。マットは敷いてあったものをそのまま使う。ブランケットもあったが暖房のない冬には足りない。周囲を探して2枚追加。さらに冬用の寝袋も用意した。化学カイロをぽいぽい放り込む。これで寒さ対策は完了だ。
カセットガスを使ってお湯を沸かし、インスタント食品を食べる。体が温まる。そうだ! お湯を使って湯たんぽを作ろう! すぐそこにあったな。完璧じゃないか。
テントに転がり込む。ランタンの明かりで近くにあったアウトドア雑誌をながめる。アウトドアの経験は、子供の頃におじさんに連れていってもらったキャンプぐらいだ。それ以来あまり興味は抱かなかったけど、意外に自分はこういう生活が合っているのかもしれない。ITエンジニアで運用を担当していたときよりずっと気持ちが良い。
そんなことを考えていたら眠くなってきた。さっさと寝よう。明日は近くを散策して埋葬場所と方法、食品類の処分場所などを決めなきゃ。日が短いから集中して作業しなきゃ。
翌朝。よく眠った。被災者さん達が襲ってくるような夢も見なかった。爽快!
さっさと食事を済ませてバイクで周囲を回る。店舗の北西側斜め向かいに公園があった。元々あった雑木林を生かした感じだ。少し開けて芝生が植えられているところがある。ここに被災者さん達を集団で埋葬しよう。
東側の坂道を下っていくと以前からある工場や畑がある。山の麓が生ゴミ系の捨て場に良さそうだ。
工場に混じって建設機械のレンタル業者があった。ユンボがある。使えるかな? 一応、無職だったときに建設系の教習所で講習を受けている。実務経験はないがちょっと乗れば思い出すだろう。
エンジンをかけてみる。電源は入るがセルモーターが回らない。バッテリー上がりだ。確認すると、普通の自動車用バッテリーが2個搭載されていた。交換すれば良いか。一応互換性を考えた方が良いからな。スマホで型番の写真を撮っておこう。
気になっていた工場の屋上に上ってみる。太陽光パネルがずらりと並んでいる。盛観だ。こいつをばらしてホームセンターに持って行くか。取り付け方法を確認する。支柱は屋上にアンカーを打って固定している。これは素人には外せないぞ。パネルだけ持って行って、ホームセンターの資材で新たに支柱を作るか。
太陽光パネルからの電線をまとめる接続箱を確認。そこから伸びる電線を追って電力変換するパワーコンディショナーを確認。でかいな。一人で運べるかな。
期待と裏腹に運搬も設置も大変そうだ。参ったな。
冬だから昼を過ぎるとすぐに夕方感が出てくる。DVDナビを頼りにカー用品店経由で公園に戻った。カー用品店では新品のバッテリーを2個とチャージャーを調達した。125ccのバイクに積むのは結構大変だったよ。ナビ用のバッテリーもあったからね。
昨日作ったルートはまずまずだ。途中ちょっと修正が必要だったが、1時間も掛からずに帰ることができた。帰ったらバッテリーをチャージして、身の回りのものの整理だ。
■9ヶ月後 インフラ
春が近づいている。あっちこっちでもう梅が咲いている。梅の実も食料になるからな。採取して加工しようか...でもわざわざ梅干し作っても酸っぱいの苦手だし、梅酒も飲みたいと思わないし...放置決定。
この2ヶ月は馬車馬のように働いた。日の出とともに働いて、日の入りとともに夕食食べて翌日の作業計画立てたり、技術面の勉強をしたりして寝る。そんな日々が続いた。
ホームセンター店内と駐車場にいた被災者さんは手厚く葬った。作業自体は雑だったかもしれないが、気持ちだけは入れた。皆さんそれぞれに人生があって、いつもの通りに生活していただろうに、何が起こったのか解らないが突然意識を失って、そのまま衰弱して亡くなったんだ。自然災害なら哀れだし、人災ならばこんな無情はない。一人一人のご冥福を祈ってから運んだよ。特に家族と思われる人達は並べて埋葬した。他人だったら多生の縁ってことでご容赦ください。運ぶときに手足が取れたりしたけど、そこは不可抗力だ。お許し願いたい。頭が取れたときは流石に悲鳴を上げてしまったが。
腐った食品や動物の遺骸、枯れた植物なんかはまとめて埋めた。汚れた什器とかは隣の空き地に不法投棄だ。ご遺体や食品のあった場所には石灰を撒いて数日おいてから掃き出して消毒した。スーパーのバックヤード機材は大きすぎて運べないから中身を捨てた後に消毒してエリアまるごと封印した。ゴキブリとかの巣窟になりそうな気もするが。
駐車場の車の移動は大変だった。キーがない、バッテリーが上がってるなどなど。エンジンかけて走るわけには行かない。
そこで移動用ホイールジャッキを使った。たまたま通りかかったディーラーの新車展示場を覗いてみたら見つかった。屋内で車を移動するときにいちいちエンジンかけないんじゃないか? って思ってよく見回したんだよ。そしたら見つけたよ。車の車輪を持ち上げて浮かせる。4輪持ち上げると手で押せる。建屋から離してなるべく邪魔にならないところに並べるだけだ。そもそも平日だったから台数が少ないし、ここの駐車場は傾斜がないし、時間は掛かったけどなんとかできたよ。筋トレの成果が出たっていうか、この作業自体すごいトレーニングになった。腰にパワーベルト巻いて頑張った。
店内も片付けた。使えそうなものとその予備を確保して、あとは不法投棄だ。どこからもクレームは来ない。
太陽光パネルの設置も完了した。工場の屋上から1枚ずつ外階段で下ろしたパネルだ。ホームセンターのプラスチックパイプで設置用の足を作った。木材の加工コーナーで簡単に切れたよ。強風の時は移動できるようにキャスタを付けた。パイプが足りなくなったので途中から木工だ。
工場にあったパワーコンディショナーは大きすぎて運べないので断念。個人宅から頂戴した。それでも大きくて重い上に、どこの家庭でも裏側の狭いところに設置されていたから作業は辛かった。安全第一で作業したよ。だから自分の体は守ったけど、パワーコンディショナーは何個か壊しちゃった。
と言うわけで、電気系統は複数に分かれた。仕方がない。統合しようかとも考えたが、勉強したとは言え電気工事は実務経験がない。火災の原因になるかもしれないからな。あまり無茶はしない方が良いと考えた。それに、系統を分けておくとメンテナンスがしやすいし、いきなり全滅というリスクを避けられると思ったから結果オーライだ。
工学部で良かった。分野が違うとは言え、独学である程度身につけられる下地ができていたから。
さらに気象衛星の画像信号受信用アンテナも設置した。後輩達よ、よくやってくれた。雲の写真だけでもあると大変に助かる。
パソコンの中にあった資料を見たら詳しい作り方が載っていた。受信機は地デジ用を魔改造したらしい。元ネタは例のマニアック無線雑誌のようだ。そしてソフトは自分たちで作ったのではなく、外国製のフリーソフトだった。うーん、褒めすぎたかな。ま、いっか。
NOAAは静止衛星ではないのでアンテナの向きを変えて追跡する必要がある。そこの自動化はできていないので、ノートPCで衛星の位置情報と信号強度を見ながら手で向きを変えなければならない。なかなか面倒でまだコツが掴めないが、梅雨までにはマスターして大雨に備えたいと思っている。
肝心の映像だが、テレビの天気予報で見た雲の写真と大体同じだ。台風なら大体の大きさと位置は確認できそうだ。半日とか1日前の画像と比較すればスピードも大体解るだろう。慣れたら前線も解るかもしれない。よく研究しよう。
農業用水は雨水を使う。屋上と雨樋を掃除した。雨樋の先を2階の駐車場に置いたタンクに溜めることにした。ここからパイプとホースで1階の畑まで流す算段だ。資材はホームセンターに売るほどある。
そして今、俺は野望に燃えている。風呂に入るのだ。停電になる前にアパートでシャワーを浴びて以来、ずっと後回しになっていた。水を集めるのも大変だし、沸かすのも大変だからだ。臭くは無いと思うぞ。拭いてはいたからな。
屋上駐車場には店内入り口がある。そこだけ3階になっているのだ。この3階の屋根に降った雨水を雨樋で集めて、太陽熱温水器に流し込む。これもホームセンターの売り物だ。説明書によると、天気が良ければ冬でも40度ぐらい、夏は70度にもなるという。ここは日当たりが良いから快適な風呂に入れそうだ。
雨水を直接風呂にするのは嫌なので、太陽熱温水器に入れる前に浄水器を通すことにした。発泡スチロールの箱にカートリッジ式浄水器を6個はめ込んで大型の浄水器を作った。太陽熱温水器よりも高くなるように足場を組んで設置する。上から下へ自然に流すわけだ。そして、この発泡スチロールの箱に入るように雨樋をカットして取り付ける。道具も材料も使い放題だから助かるよ。
浴槽は電気屋のリフォームコーナーにあったユニットバスを解体した。屋上にコンクリートブロックを並べて土台にし、ユニットバスを置いて太陽熱温水器からホースで給湯すればフルオープン露天風呂のできあがりだ。景色が良いとはいえないが、まあまあだ。
ちなみに風呂の排水はそのまま屋上に流すので農業用になる。だから洗剤は使わない。お湯でしっかり浸け置き洗いすればそれなりにキレイになる。9ヶ月も風呂に入らなかったのだから、洗剤を使わないくらい全然平気だ。
肝心の畑だが、まだ作っていない。種まきまでまだ3ヶ月ぐらいある。畑にする巨大プランターの制作と土作りを並行して作業する予定だ。
土はホームセンターにあった園芸用の土と有機肥料で作る。1階の外、屋根があるスペースにブルーシートを広げて作る予定だ。
1階の売り場を片付けて畑用のスペースにする。大型のプラスチックコンテナの底に水抜き用の穴を開けて巨大プランターにしようと思っている。園芸コーナーのプランターも野菜用にそのまま使う予定だ。
ホームセンターの天井は高いから、天井の照明を点けても作物にとっては暗くて生長しないと思うんだ。だから天井照明は使わない。木の角材で柱と梁を組んで照明を取り付けようと思う。電気屋とホームセンターの照明器具を総動員して配置を計画している。
もうじき本格的な自給自足が始まるぞ!
■12ヶ月後 始まる
泥まみれになりながら工夫して危機を乗り越える。知恵と勇気と不屈の闘志。そして有り得ないほどの回数の幸運に助けられながら。
「やっぱりサバイバルって言うのはこうだよな」
大画面に映るブルーレイ映画の主人公のことだ。
「それに比べて...これでサバイバルって言えるのかねぇ」
今の俺のことだ。大音響が響いている。柔らかい1人掛けソファーに深々と身を沈め、大型の缶を小脇に抱え、手を突っ込んで中のローストナッツを掴んで口に突っ込む。冷えたコーラを飲みながら。映画を見る前に風呂に入ったからバスローブを着ている。初夏だがスポットクーラーで暑くもない。
リビングが充実した。アウトドア用品売り場を寝室にしているが、パーティション越しの電気店売り場側にソファーとカーペット、AV機器を並べてリビングにした。周辺にはDIYでパーティションを作って、一般家庭のようだ。テレビは100インチ有機ELだ。一番高そうなアンプとスピーカーで7.1チャネルオーディオを作った。ソフトはDVDとブルーレイだ。この電気屋にはあまりなかったので、ドローンを飛ばしたあの街まで調達に行った。古いものから新しいものまで、映画やドラマを大音響でたくさん見ている。
音楽もたくさん聴いている。以前は聴いたことがなかったクラッシックやロックなんかも聴いている。結構元気が出てくるものだ。
ところが、大きな音を出したら自作のパーティションが振動して変な音がするんで、裏に補強材を付けたり、表に吸音材代わりのタイルカーペットを貼ったり、いろいろ工夫したよ。今では音響は完璧だ。
ゲームもやってる。高額なゲーム機とヘッドマウントディスプレイで楽しんでいるが、ネットワークが使えないのでシナリオとかが限定的ですぐに飽きてしまう。困ったもんだ。
読書も充実している。図書館や書店からいろんな本を持ってきて、ソファーにごろ寝して読んでいるとよく眠れる...いや、いろいろ勉強になる。料理とか農業とかDIY、オーディオ、AV関係も結構読んだな。リビングの充実はその成果だ。
被災から1年が経った。また夏が来る。既に汗ばむくらいの陽気だ。
この1年、不安になったり、悲しくなったり、前向きに突き進んだり、いろいろあったな。毎日毎日、運用という名のコンピュータのお守りの仕事で憂鬱だった日々に比べるとなんだかやりがいがある。人類が俺一人になったかもしれないって言うのにな。
相変わらず誰も助けに来てくれない。外国軍の偵察機も飛んでこない。ホントは俺が気がついていないだけかもしれないが。
ラジオと無線は時々聞いている。簡単なアンテナだから遠くの電波は取れないけど。相変わらず人の声は聞こえない。確実に受信できるのはGPSと気象衛星NOAAだけだ。
畑は完成した。でっかいプランターを並べただけだけどな。米を直播きにした。それとジャガイモとサツマイモ、菜っ葉類とナスとトマト、大豆だ。種は園芸コーナーにあった。玄米は農協から調達した。種芋は去年住んでいた公園の畑で収穫しておいた奴だ。どれも芽が出てきた。嬉しいものだ。
水やりはじょうろで手作業だ。水は雨水を溜めているので、遠くまで汲みに行くという作業はない。台車に大きなポリバケツをおいて自作水道栓をひねって水を入れる。畑に移動してじょうろで散水するんだ。
ホームセンターで商品を並べていた什器をそのまま利用して、少し高いところに除湿機を並べた。タンクは外してホースで大型バケツに流し込むようにしている。高級機は湿度50%に設定する。廉価機は節電モードで連続運転するとちょうど良い。快適な農場になった。溜まった水の方を優先して作物に散水するので、溜めた雨水が足りなくなるという事態には陥っていない。今のところは。
照明は朝晩自分で電源を操作する。バッテリーの蓄電容量に余裕があれば長めに点灯させている。成長が早くなるんじゃないかと期待している。
あと、作物に音楽を聴かせるとよく育つっていう話を聞いたことがある。モーツァルトが良いのだとか。電気屋から大型のオーディオセットを持ってきて、バッテリー容量に余裕があるときだけモーツァルト全曲集CDを再生しているが、果たして効果があるものかどうか。
風呂は快適だ。大雨の日は入らないが、小雨の日はお湯の温度が十分高ければ入っている。毎日毎日、景色を眺めながら入っていると、なんだか贅沢をしている気分だ。
雨は何日も降らないときがある。水がもったいないので、1回入ったお湯は発泡スチロールの箱に戻している。サイフォンの原理で、慣れると簡単に汲み上げることができる。衛星写真でしばらく雨が降りそうもないときは3回使い回すこともある。浄水器を通しているから衛生面は問題ないことにしている。交換用カートリッジもちゃんと確保しているしな。
食事は大分制限されてきた。一般的なインスタント食品は賞味期限をとっくに過ぎているので、よくよく考えてから食べている。味が落ちるだけなら問題ないが、腹を壊したら死ぬかもしれないからな。
菜っ葉類は近くの畑を巡回するとある程度採取できる。季節によっては果物も採れる。採れる量はほんのちょっとずつだが、まだ不自由はしていない。
肉が食いたい。生肉はないので、相変わらずジャーキーと煮干しと缶詰で耐えている。
ビーフジャーキーを煮てみたがあまり変わらなかった。匂いは結構良かったにも関わらずだ。
電気圧力鍋に入れてカレーとして半日煮込んでみた。これは食えた。けっこう美味かった。でも、薄いせいか、肉感がイマイチだった。やっぱブロックの肉が食いたいよな。
そんなこんなで簡単な食事が多いものの、時には料理の研究もしている。ホームベーカリーでパンも焼いているし、高級コーヒーメーカーも楽しんでいる。既にミルクはないけど。
電力に余裕があるときはホームベーカリーでピザ生地を作って電気オーブンでピザを焼いたりしている。チーズが手に入らないので味気ないから、何かで代用できないだろうかと検討中だ。
何にも追われることがない生活だ。作物の世話はそれほど手が掛からない。環境維持のための敷地や周囲の見回りと、足りないモノと食材と刺激探しのための少し遠出することが多くなった。
そんな充実した毎日だが、時々やるせなくなる。何度も考えることを止めようと思ったが、無理に抑え込んでもやっぱり考えてしまう。なぜこうなったのか。本当に他に人はいないのか? たった一人で生きている必要があるのか? たとえ貧乏であっても、以前のつまらないIT運用の方が今よりマシだったんじゃないか? 幸せって何だっけ?
そうなんだよね。リビングが充実して余裕が出てくると、逆にこれで良いのかと疑念が湧いてくる。10日にいっぺんぐらいやる気がなくなる。たいてい寝れば翌日には治るのだが、放っておくと鬱になるかもしれない。
そんな心配が心の奥底にたまり始めた頃、書店をよく見るとメンタル系の本が大量に並んでいた。そうだ。被災前はメンタルに課題や問題を抱えている人がたくさんいた。そんな人達のための本だ。
いろいろ読んで試してみたよ。美味いモノを食うとか、歌うとか、踊るとか、運動するとか。でも俺には合わなかった。美味いモノを食おうと努力しているが、手に入る食材が減ってきているので、俺の料理の知識や手元の本では代用品が見つからず、努力すればするほどガッカリすることが多くなった。歌も踊りも元々好きじゃないから、効果が出るまで続けられないんだよね。
そんなときに手に取ったのが瞑想の本だった。これはできると相当効果がありそうだ。
寝室の一角に瞑想コーナーを作った。薄暗くしてお香を焚いてみた。ホームセンターにたくさんあるクッションの内、高さと堅さがちょうど良いものを選んで尻の下に敷く。尻だけ少し高くすると楽にアグラが組めて腰も楽だと書いてあったからだ。確かに。
瞑想では何も考えない。考えないのが瞑想なのだが、何も考えないようにしようと思えば思うほど思考が迷走してしまう。すごく難しい。これもダメか、と思ったが、毎日寝る前になんとなくやっている。まだ無の境地にはほど遠いのだが、なんとなく楽になった気がする。その程度でも十分なのかな。