第六章 お一人様農業
■1ヶ月経過 生活の充実
生存者や外国から飛んでくるかもしれない電波を受信するために、農家再現コーナーの隣にある南北に50mほど延びる丘の上にアンテナを建設した。
電線はここより北側の古い市街にある電気工事業者から木製ドラムに巻かれた状態で調達した。アンテナにするには適していないかもしれないが、長さが十分にあればそれなりに感度が得られるだろう。重かったな。軽トラに積むのは大変だった。
そもそも軽トラでそこまでたどり着くまでにバイクでのルート探索が大変だった。現地には電動ではないエンジンフォークリフトがあったんでそれを使ったが、初めてだったのでドラムを落っことして1つ壊してしまった。運転難しかったな。
工事の基本方針は安全第一だ。治療を受けられないから怪我をしたら死ぬかもしれない。ガテン系の装備を揃えた。安全靴から作業服、名前の解らない便利そうなベルト、ヘルメット、手袋。暑いからファン付きの作業服を着ている。ちょっとした工事の作業員に見えるんじゃないかな。バッテリーはたくさん用意した。
ドラムを積んだまま軽トラを農家コーナーと丘の間の通路に停めて、ケーブルをほどいて丘の上に引っ張り上げる。丘の北側だ。そこからさらに南の端まで引っ張っていく。途中、何度もドラムに戻って電線をほどき、たるみを伸ばしながら。ものすごい重労働だった。給水も多かったな。
まず、丘の南側。あらかじめ掘っておいた少し深めの穴に、建設業者から調達した鉄パイプを差し込み、砂利で塞いで踏み固める。鉄パイプの先にはワイヤー2本と調達した電線を付けておいた。ワイヤーを南側の木に固定する。2本のワイヤーと電線がそれぞれ120度近くなるようにしたかったが、木の生え方が微妙だ。100度、100度、160度ぐらいになってしまった。強風で倒れるかもしれないが、そのリスクは受容しよう。
丘の北側に戻ってもう一本鉄パイプを立てる。こっちは木が少ない。固定用ワイヤーの1本はちゃんと固定できたが、もう1本が心許ない。近日中に補強が必要だ。
ワイヤーを固定してから脚立を立てて、あらかじめ電線に通しておいた滑車を鉄パイプの先端に固定する。電線を引っ張ってある程度電線が水平に近くなったところで重りを付けて仮固定する。電線は重いから、鉄パイプが倒れないかドキドキだったがなんとか張ることができた。
アンテナは完成。ドラムに戻って残った電線をほどき、長屋門に持って行く。窓から中に引き入れて工事完了だ。電線の隅を加工して無線機に接続するためのコネクタを取り付ける。これくらいの作業はアマチュア無線部で体験させてもらったことがあるから問題ない。事前にパーツと工具も用意した。長屋門の一室を無線室にする。蔵の方が快適かな、と思ったが電線を通すのが面倒だった。せっかくの蔵に穴を開けるのは気が引ける。長屋門なら穴ぐらい良いだろう。そんな感じだ。
書店で無線系雑誌の広告を調査し、近隣の無線専門店を探した。オフロードバイクで何度も往復して軽トラが通れる経路を見つけ、大型の無線機とBCLラジオと発電機を調達した。準備から完成まで2週間も掛かってしまった。無線機用のアンテナはまだ建てていないが。
そうそう、マニア系無線雑誌も調べて、簡単な魔改造で自衛隊や警察の無線を受信できる無線機も調達した。隠しコマンド一発打つだけなんだよね。最初からマニア用に作られているってことだ。後でこっち用のアンテナも用意しなければ。
夜、ラジオの電源を入れて慎重にチューニングダイアルを回す。機械的な信号はちょっとあるものの、人の声や音楽らしきものは全く聞こえない。ラジオ放送で使われる中波と短波は全滅だ。
次の日も、次の日も、何度も聞いた。時間帯も変えて見た。早朝や昼間にもやってみた。だけどラジオ放送は受信できなかった。今は夏だから北半球はかなり遠くまで電波が飛ぶはずだ。天気が良ければヨーロッパや北米の電波も受信できる。もちろんとても弱いけど。デジタルだと全く無音になってしまうが、アナログ放送はよく聞けばノイズか人の声かを聞き分けることぐらいはできる。
俺は耳が良い方だ。その俺が全集中で聞き耳を立てているのに何も聞こえない。やっぱり全世界的にラジオ放送は途絶えているんだ。
あれだけの時間と労力をかけたのに無駄に終わってしまった。覚悟はしていたけど脱力感がたまらん。
放送は途絶えているが、人類が絶滅したとは言い切れない。どこの国でも多くの設備が残っているだろう。知識と技能のある人がいればラジオ放送も復旧するかもしれない。これからも時々受信に挑戦しよう。
あと、自衛隊とかの業務無線の受信にも着手しなければ。
無線が気になって農作業はあまりしていない。雑草を見かけたら取る。何か実っていたら収穫して食べる。そんな程度だ。
秋になったら収穫が大変だ。今は図書館や書店で資料を調達しているところだ。
農業系の学校に行けば教育資料が充実している気がするが、被災したのが平日の真っ昼間だからな。真面目な学生さんはみんな学校にいただろう。今どうなっているかは想像に難しくない。ちょっと行きたくない。
日々の生活は充実した。
よく見たら管理棟の屋根に太陽光発電パネルが載っていた。建屋の裏側には蓄電池も設置してあった。容量はそんなに大きくないが、調理家電を使うには問題ない。バッテリーで動く機材の充電もここでしている。長屋門にある発電機は無線室専用だ。ガソリンの調達が面倒だから。
2階の事務室は調理室に変身している。元々職員の人が使っていた湯沸かしポット、電子レンジ、冷蔵庫はそのまま使わせてもらっている。炊飯器、電気圧力鍋、ホームベーカリー、コーヒーメーカーを電気店から調達してきたんだ。ここに住んだ方が便利そうだが、やっぱり寝るときは畳の上が良いので炊飯と食事だけしたら母屋に戻っている。
コーヒーメーカーはすごい。外国製で、カプチーノとかも作れる。電気店で値札を見て驚いた。俺の1ヶ月分の給料ぐらいするじゃないか。被災していなかったらとても手に入らない代物だ。ロングライフ牛乳があるうちにカプチーノを楽しむ。レギュラーコーヒー自体、いつまで入手できるか解らないが、当面楽しませてもらうつもりだ。
あと、元々管理棟の外に置いてあった洗濯機を使っている。タオルって新品は水を吸わないんだよな。肌に触れる衣類もいきなり新品を身につけると違和感がある。使い捨てにしていると調達頻度が高くなってそれも面倒だ。というわけでほどほどに洗濯している。
下水道は今のところ生きているから排水は問題ない。給水は井戸から手押しポンプで汲むのでちょっと大変だが、たいした問題ではない。
生ゴミは雑草や落ち葉と併せて堆肥作りをしている。プラスチック類はまだ処分方法を考えていない。食品が入っていたものとかは匂うので、匂わないものと分けて2つの山にしている。俺一人の世界で環境破壊とか気にしても仕方がないが、やっぱり身についた道徳心というのはそう簡単には消えない。処分方法は長期的検討課題として残っている。
シアタールームはまだ作っていない。快適な空間とか電力とか、解決すべき問題が多い。だから母屋で布団を敷いて、ごろ寝してバッテリー駆動のポータブルDVDプレーヤーで映画を見てる。中心街にCD・DVD専門店があるのでソフトは見切れないほどある。
何かの参考になるかと思って、サバイバルものを中心に見ているが、全然参考にならない。文明の利器が何もなくなるとか、凍り付いているとか、仲間がいるとか、宇宙とか、結局脱出して元の生活に戻れるとか、俺の置かれた状況とは設定が大分違う。
俺には文明の利器がたくさんある。食料もしばらくは問題ない。ある意味とても恵まれている。ただ、周囲に誰もいないという不安と、ご遺体があちらこちらにあって病気に気をつけなければならないということが問題だ。病気や怪我を治療してくれる人もいない。ちょっとしたことが命取りになりかねない。安全と健康が第一だ。
今後は娯楽としてビデオを見よう。
■2ヶ月経過 堕落と喪失感
雨の日。農作業ができないと思い、太陽光の発電量が少ない中、管理棟でアニメのDVDを見た。ソフト屋でボックスで頂戴してきた奴だ。1日中見てた。夜遅くなっても見ていた。徹夜した。天気が良くなったのに眠くて働けない。テーブルに突っ伏して一眠りする。
目が覚めた。飯を食ったら外はもう薄暗い。
「ああ、今日は作業にならないな」
アニメDVDの続きを見た。別の作品も見た。結局3日潰れた。ダメ人間の典型だ。こんなんだから負け組なんだよ。
4日目の朝。心機一転、アニメを封印することにした。
農地を見回すと、雨で流されてきた落ち葉が水路を塞いでいた。ダメじゃん、さっさと掃除しなきゃ。反省、反省。
野菜も熟れすぎた奴があった。食べ損ねた。勿体ないとも思うが、種が取れるかもしれないからそのまま栽培を続けることにした。災い転じて福と成す。前向きに考えよう。批難する人は誰もいないから。
公園内の調査も行った。人気のコーナーには少なくない被災者さんが倒れている。自然に土にお帰りになるのを待つ方針だ。
木工体験コーナーがあった。平日だったので開いていなかったようだ。工具も揃っているし、適当な木材もある。そんなわけで木工の資料もいろいろ集めた。今のところ必要性はないので何も作っていない。
ただ、そこにあった大量のおがくずは集めて母屋に持って行った。夜、緊急でトイレに行きたくなったときは母屋の一角にあるナチュラルトイレを使っている。用を足したあと、上からおがくずをかけることで消臭剤にしている。あとで肥やしにするかもしれないから消臭剤とかは使いたくないんだよね。
無線は時々聞いている。全然変化無い。各種のアンテナも調達してアマチュア無線や自衛隊とかの業務無線も聞いている。まったく何も聞こえない。最近は自動送信と思われるデジタル信号っぱい音も減った。バッテリーが切れたんだろう。
作業の合間に空も見ているが、飛行機らしきものは全く見えない。飛行機雲もできない。
「都心はどうなっているのかな」
思いついた。ドローンを飛ばそう。魔改造してアマチュア無線機を積もう。数十キロ電波が届くはずだ。それで困難な移動をせずに映像で様子がわかる。
思いついてから準備に丸1ヶ月かかった。無線関係の雑誌に参考になる記事はあった。大型電気店で一番大きいドローンを、無線機専門店で小型の無線機を調達した。
ドローンに元々ついている無線機をアマチュア無線の小型無線機に変更。コントローラ側もアマチュア無線機に変更した。一応改造できるだけの知識はあるが経験が無い。半田付けも得意じゃない。回路設計も初めてだ。時間がかかるのは仕方が無い。
飛ばす前に入念にチェックする。コントローラからの指令でちゃんと動くか、映像伝送できるか。
公園内で練習。あっちこっち飛ばして様子を確認する。被災者さんが多いところはあまり行っていないから、結経状況把握に役立った。
次は近くのターミナル駅周辺を調査する。自動車事故や被災者さんの位置がおおよそわかる。建物の中を覗こうと思ったが、それは上手くいかなかった。少し高度を下げて飛んだら、何かに引っかかって墜落した。慌ててバイクで取りに行ったよ。
駅周辺で3回試して自信をつけたところでいよいよ都心探索だ。
天気が良くて風が穏やかな日を選んだ。ドローンの練習を兼ねて探索した軽トラが通れる経路を使い、電力会社のビルに行った。
防護フル装備でビルに侵入。鍵を壊して屋上に出て、防護服を脱いだ。安全帯とヘルメットを着用。ちょっとした高所作業者だ。ドローンとコントローラーを持って命綱を操りながら鉄塔を登り、上段の平場に座り込む。この辺りでは一番高いところだ。手すりに命綱をかけてから東を見渡す。いくつかの高層ビルがあるが、概ね視界は良好。新宿ビル群まで見渡せる。
ドローンの電源を入れ、コントローラーを操作する。いよいよ離陸だ。
東に向かって飛んでいく。どんどん小さくなって見えなくなった。映像はちゃんと飛んでくる。
ATSがちゃんと作動したようだ。鉄道事故は見当たらない。少し南にずれてみる。新しい幹線道は比較的事故が少ないが、高速道路と国道はめちゃくちゃだ。
火事の現場もあった。民家の密集地だろうか、結構広範囲に焼けている。
多摩地区と特別区の境界辺りだ。そうだ。大きな公園を見てみよう。鉄道の駅近くに有名な公園がある。俺みたいに避難している人がいるかもしれない。
公園をざっと眺めたがテントなどはない。あちらこちらに被災者さんが倒れていて、この近くで人が生活できる環境ではない。やはり避難している人はいないようだ。
あきらめて新宿方面に向かう。ビル群の端に見慣れない大きなものがある。何だろうな? ズームしてみる...飛行機の翼みたいだ。そういえば航空路が変わって最近は新宿上空を飛ぶことになったって話題になってたっけ。あの辺りはとんでもない大惨事になっていそうだ。
見てみたいという下世話な気持ちもあったが、あまり悲惨な光景を見るとメンタルに影響が出るかもしれない。渋谷方面を見てみよう。少し方向を変えて進める。神宮にも公園にも生存者はいないようだ。カラスすら飛んでいない。ただ、木々が生い茂っているだけだ。
あ! いけない。もうドローンのバッテリーがない。これでは帰ってこれない。
ちょっと残念だがドローンはあきらめよう。必要ならまた作れば良い。時間は掛かるが費用は掛からない。思い切って政府機関を見てみよう。進路を東に変えて青山、赤坂から永田町方面に向かう。
オフィス街の道路はめちゃくちゃだった。お昼休みだったからな。歩道にも被災者がたくさんいる。火災も相当あったようで、あちこちに黒焦げのビルがある。
ようやくお堀が見えてきたところで映像が途切れた。バッテリー切れで墜落したんだろう。
結局明るい情報は何も得られなかった。政府が生きているかもしれないが、見た範囲、救助も復旧も何もしていない。無理をして都心に行ってみる価値はなさそうだ。
意気消沈して鉄塔を降り、防護服を着てビル内を通り軽トラに戻った。
「ほんとに俺一人なのかな」
やけ酒でも飲むか...止めておこう。酒に手を出すと溺れそうな気がする。久しぶりに何か甘いものでも食べよう。
ああ、そういえば集めた缶詰の中にあんこがあったっけ。切り餅もあったな。夕食らしくないけどお汁粉でも食べよう。
■3ヶ月経過 収穫
秋の気配が濃厚だ。稲の穂も垂れ下がってきた。そろそろ水を抜いて借り入れか。
畑の方でも大豆が実っている。枝豆にしてちょっと食べたが、酒飲みじゃないからそれ以上欲しいとは思わなかった。大豆にして保存方法とか、加工の仕方を研究しようと思って完熟するまでそのままにしておいた。
公園内を見回すと、木々にたくさんの実がなっているが、ほとんどどんぐりだ。縄文人の主要な食糧だが、これを食べるようになったらおしまいだな。柑橘系の木がないな。ミカン類を食べたかった。貴重なビタミン源だからな。
大量にあったのがひまわりだ。ひまわりの種は油を取ったり、おやつになったりするらしいので収穫して母屋の庭で干した。花の部分をカットしてかごに入れ、軽トラの荷台にまとめて持って帰り、ほぐして種を取り出して、ブルーシートの上に広げる。たったそれだけのことだが、結構疲れる。農業ってほんとに大変だ。この後の稲刈りは能率良くできるだろうか。心配だ。
畑を見回っているとちょっと様子が変だ。何だか葉っぱが食われている。虫かな?
よくよく見ると名前はわからないがバッタ類がいる。結構いる。菜っ葉の根元を持って強めに揺さぶったら大量に飛び出してきた。
しまった。鳥がいないからな。天敵がいなくなって昆虫類が爆発的に増えたか。これはたまらん。食べられそうな作物も早めに収穫することにした。
そういえば! 田んぼに行ってみる。やっぱりこっちもバッタに食われている。よく見ると一部は枯れている。枯れた稲とその周りには小さい黒い虫がたくさんくっついてる。
「なんじゃこりゃ! まだ収穫には早いぞ」
どうするか。農薬を撒くべきか。いや、玄米で食べたいんだ。完全食だからな。玄米さえ食べていればとりあえず死なない。せっかくの胚芽を捨てたくない。水中にもいろいろ虫がいる。こいつらはたぶん益虫だから殺したくない。
管理棟に行って農業関係の本を調べる。農薬の一覧とか要らないし。
何々、害虫は初夏からで始める!? 早めの対策が重要だって! ここに来たときはもう警戒しなければならなかったのか。ってことは、見た目よりも被害は大きいかもしれないな。
結局、手元の資料では農薬を使う方法しか書かれていなかった。
資料を入手したときにざっと読んで、害虫のことも頭の片隅にはあったんだよな。でも、ITエンジニアなんてやっていると虫このとなんて意識にないからな。
しばらく考えて、2つの策をとることにした。1つは食べるために1枚の田んぼは手で虫を捕る。残りの3枚はあきらめて農薬を使って虫を全滅させる。食べる1枚に虫が来ないようにするためだ。
農業系ホームセンターに行って農薬と散布の道具を入手する。新しいカッパとマスクとゴーグルも入手する。農薬を吸ったら大変なことになるからな。
注意書きを入念に読んで、農薬の濃度を適切にして散布していく。稲が込み入っているところに分け入って、上から下まで丁寧に散布していく。これで虫どもは死ぬかここから逃げ出すだろう。
食用に選んだため池側の田んぼに入っていき、隅から隅まで1株ずつ丁寧に観察し、小さな虫をビニール手袋をはめた手で潰していく。1日では終わらなかった。毎日毎日、10日もやった。一通り終わっても、またすぐ虫がやってくる。畑の方も手で虫を潰す。畑が終わったらまた田んぼだ。毎日毎日、大変な思いで作物を守った。
その日も虫対策で疲れ切っていた。風呂に入りたいと思うが、まだ作っていない。お湯に浸して絞ったタオルで体を拭く。これだけでも大分良い。
日もだいぶ短くなったので、母屋の雨戸を閉めてさっさと寝ることにした。風が少し強いな。虫が吹き飛ばされてくれると良いな。そんなことを考えながら。
疲労で泥のように眠っていたときだった。ものすごい音がして飛び起きた。雨戸がガタガタ言っている。風の音がすごい。雨がたたきつけているようだ。
「しまった! 台風だ」
台風対策なんて何も考えていなかった。雨戸はあるが、隙間から雨水が浸入している。縁側はやばいぞ。
布団が濡れないように押し入れに上げて、カッパを着て外に出る。母屋は100年以上前に建てられたものだ。頑丈だから簡単には壊れない。それは解っているが、雨戸とかは消耗品だろう。雨戸が壊れて浸水するとやっかいだ。一旦管理棟に避難する。平成の建物が安心と考えるのは早計かもしれないが。
ずぶ濡れで、吹き飛ばされそうになりながら、蔵の陰や長屋門の陰に隠れながら移動する。
しまった。長屋門の無線室の窓が破られている。機材がやられたな。アンテナが気になるが暗くてよく見えない。
管理棟に着いた。ここは無事だ。ドアを開けたときに吹き飛ばされそうになったが、なんとか中に入ってドアを閉めた。1階の納屋でカッパを脱いで2階に上がる。
太陽光発電のバッテリー容量は十分あるが、念のため余分な機材の電源を切って節電する。
カセットガスコンロでお湯を沸かしてインスタントコーヒーを飲む。やっと一息ついた。
窓には雨がたたきつけられているが、安心したのか眠くなった。どうせ外は暗くてよく見えない。夜が明けるまでもう一眠りしよう。
夜が明けた。雨は少し弱まったが風は相変わらず強い。台風は関東まで来るとスピードアップして半日ぐらいで通過してしまうのが普通なんだが、今回はもう1日ぐらい暴れそうだ。天気予報が見られれば良かったのだがな。
窓から外を見ると、畑の支柱はほとんど倒れていた。田んぼの稲は風に踊らされている。貼り付いている虫たちも生きた心地がしないだろう。
丘の上のアンテナは北側の支柱が倒れていた。そういえば補強するの忘れてた。余った電線が風に踊っている。
こういうとき、負け組は無駄な悪あがきをしない。もう、どうしようもないので開き直ってインスタント食品を食べて、コーヒーを飲みながら漫画を読んで1日過ごす。
夕方になると雨が上がった。風も少し弱まった。長靴を履いて田畑を見回る。
畑の方は支柱が倒されているものの、菜っ葉類はまだ食べられるものがありそうだ。
田んぼは悲惨だった。農薬を撒いた方はともかく、食用に残した1枚の田んぼも全部の稲が倒れて水没していた。隣のため池とつながる水路が広がって水位が上がっていたせいでもある。
とにかく稲を起こさなきゃ。
田んぼに入って稲を倒れている方向と逆方向に起こして根元を踏みつけてみた。立つには立つが、他の稲に取りかかっていると、時折吹く突風に負けてまた倒れてしまう。何か支柱が必要だ。
管理棟に戻り、野菜用の支柱と紐を抱えて戻った。手っ取り早く2本をX状に組んで、起こした稲が寄り掛かれるように田んぼに突き刺した。これを順番にやっていく。
あっという間に支柱が足りなくなった。
こりゃダメだ。今の時点で刈り取れば多少は食べられそうだ。でも、無理をする必要はない。まだまだ備蓄はある。人の営みはなくなったが、まだその辺の店に行けば食べられるものはいくらでもある。2,3年は大丈夫だ。江戸時代じゃあるまいし。わざわざ半熟の米を食べるか?
俺は田んぼをあきらめた。
母屋に戻った。大きな被害はない。雨戸の隙間から浸水しただけだ。雨戸を少し開け、ぬれた畳を起こして乾かす。今夜も管理棟で寝よう。
無線室を見に行った。ひどい有様だった。修復するより廃棄して作り直しだな。アンテナも倒れたし、そもそも作り直す必要があるのか? 誰か生きているのか?
自然て怖いな。人間がたった一人で立ち向かえるものじゃないよ。
それ以降、現実逃避した俺は毎日毎日、漫画を読んだりDVDを見たり、ぐだぐだと過ごした。もう何にもやる気が出ないんだよ。