第四章 4、5日目
■61時間経過 長期計画
夜中にトイレに起きた。ランタンを持って広いフロアを横断してトイレに行く。
ベッドに戻ってもう一度寝る。寝たいのになぜか寝られない。ウーン。
「広すぎる!」
トイレが遠過ぎる。フロアが広すぎて空気が変。妙な匂いもする。ランタンの光が壁まで届かない。天井の配管が銀色でランタンの光が妙に反射する。宵の口は満腹だったし、疲労があったからすぐに寝入ったが、一度目覚めたら寝付けない。
「普段は夜中にトイレなんて行かないのにな。寝る前に水分取り過ぎたかな。明日は気をつけよう」
時刻は深夜1時過ぎだ。明日の予定は立ててない。無理に寝る必要も無いので起きよう。着替えて外に出てみる。初夏とはいえちょっとひんやりする。
「星が見えないな。曇りか?」
風に湿り気がある。雨が降るのかもしれない。明日は、もう今日か、遠出しないで生存計画の策定に専念しよう。
参考資料が欲しいな。スマホを取り出す。
「!」
ついに回線ダウンだ。いや、ここまでよく保ったよ。すごいな携帯会社。もっとも普段より通信量がものすごく少ないから基地局のバッテリー消費も少なかったのかもしれないが。
携帯網がつながらないときは飛行機モードにする。こうすると基地局を探すための電波を出さないのでバッテリーが保つ。でもBluetoothとかが使えないから後でSIMを抜こう。そうすれば通常モードでも携帯電波が出ないからバッテリーが保つ。
ネットがないとすると本か。ホームセンターにも少し本が置いてあったが、役に立つかなー。
一旦寝床に戻って荷物をまとめる。パソコンとサバイバル本とランタンだけだが。ほかのものはホームセンターで調達できる。
夜道を歩いてホームセンターに移動する。誰も居ないはずだし、動物も居ないんだけど、なんとなく不気味だよな。『闇に怯えるのは生物としての本能だ』ってどこかで聞いたな。
ホームセンターの中を書籍売り場に向かって移動する。
「わ!」
被災者の方が倒れていて躓きそうになった。
「危ない危ない。気をつけないといけないな。どうも済みません」
そのまま避けようかと思ったが、気になったのでかがんで口元に手をかざしてみる...既に逝かれたようだ。ちょっとお年を召しているようだし、体力的に保たなかったんだろうな。ランタンを床に置いて手を合わせる。縁も縁もない方だが、やっぱり気の毒だ。
とはいえ、弔ってさし上げるのも如何なものかと思う。この方を弔って、ほかの方を放置するのは筋が通らない。すべての方を弔うなんて無理だ。どこかで線を引かなければならない。どこで? ここだろう。
俺って冷酷なのかな? そういえば『冷たい人』って言われて別れた彼女もいたな。
冷たいわけじゃ無いと思う。総合的に、合理的に判断しているだけだろ? なんで冷たいっていうんだ? そういうこと言うやつは思慮が浅いんだと思う。生半可に優しい奴なんて、無責任だし、途中で逃げ出す奴ばかりじゃないか。真面目に考えてから言って欲しいよ。
ま、そっちが日本の標準か。俺が規格外なんだよな。もっと早く気がついて、しっかり英語勉強して外国で働くべきだったかな。そうしてたらこの人たちと同じ運命だったかもしれないが。
一度外に出て冷たい空気を吸う。雨が降り始めていた。一人で興奮したって、怒ったって仕方が無い。冷静になろう。
ショッピングカートを引き出して、常温の缶コーヒーと電池式の照明類と電池を集める。家具コーナーでちょっとしたテーブルと安っぽいゲーミングチェアも調達して書籍売り場へ。
探しやすくなるように、あちこちに照明を置く。頭につけるタイプは便利だ。
ざっと売り場を見回すと、やっぱり専門的な本はない。買い物のついでに手に取るようなムックとかが多い。
それでも、健康とかDIYとか農業とか、役に立ちそうな本がある。全く無駄というわけではない。いくつか本を取ってテーブルと椅子でコーヒーを飲みながらパソコンを起動しようとしたらバッテリーがない。手軽な充電方法がほしいな。
仕方がないので文房具コーナーでノートとペンを調達。ゆっくり本を読みながら、役に立ちそうなこと、気になることをノートに書き出す。
長期的に必要なものは食料だな。非常食って消費期限が大体5年なんだよな。5年経つ前に継続的に食料を調達する方法を確立する必要がある。やっぱり農業に挑戦するか。
栽培するとしたら、まず米。玄米を食べていれば取りあえず死なない。それと手軽なのは芋だ。サツマイモとジャガイモは簡単に育てられそう。
できれば麦も食べたい。ホームベーカリーを使えば簡単にパンを焼ける。ん!? パンは麦だけじゃないよな。料理コーナーに行ってパン作りの本を3冊取ってくる。
イーストと砂糖、塩、水とバターか。塩は腐らないし、その辺からかき集めれば一生困らないだろう。砂糖も腐らないよな。たしか。
食品売り場に行って砂糖を手に取った。どこをどう見ても賞味期限も消費期限も書かれていない。腐らないってことか。
あとはバターか。こいつは手に入らないな。なんか代替品はないのか?
持ってきたパン作りの本の一冊がヘルシー系だった。なるほど、オリーブオイルが代替品になるんだ。あれもたくさんあるから、2,3年のうちに栽培できればいいな。オリーブならガーデニングコーナーに苗があるし、あっちこっちの家に植えてある。
あとは家庭菜園風に何種類か野菜を植えれば良いな。
そうだ、タンパク質はどうすりゃいいんだ? 動物はいないから狩猟はできない。川に行けば魚がいるかな。当面は缶詰とかで良いだろう。
大豆を植えよう。そのまま煮豆とかきなこで食べてもいいが、味噌と醤油が作れたら嬉しいな。
新鮮なものは生産しなければ食べられない...まてよ、腐る前に食べておくべきなんじゃないのか?
外を見ると既に明るくなり始めていた。少し離れたところにスーパーマーケットが見える。
レトルトやインスタント食品を食べている場合じゃなかった。肉とか牛乳とかカット野菜はもうだめだが、果物やカットしていない野菜、発酵食品はまだ食えるだろう。
よし、朝飯にしよう。昼飯はカレーでも作るか。肉の代わりがあれば良いな。
雨がしっかり降っている中、傘を差さずに走ってスーパーに行ってみたら驚いた。店舗前の駐車場に車が立っている。屋上駐車場から落下したようだ。その向こうでは店舗に突っ込んでいる車もある。
被災したのが平日の昼頃だったからな。他の店はお客さんが少なかったけど、スーパーはお客さんが多い。車に乗っていた人もたくさんいたんだろう。
店内も被災者が多かった。とくに多いのが弁当や惣菜売り場だ。昼飯を買いに来たんだろう、高齢者や作業服を着たおじさんがでたくさん折り重なっていた。
生鮮食品の腐敗臭が強くなっている。肉、魚コーナーには近づけない。なるべく早く出よう。
カートに果物と芋、にんじん、タマネギ、豆も入れよう。みんな多めに入れていく。そうそう、カレー粉を忘れずに。ワインも入れよう。バターもまだ大丈夫そうだ。
真空パックされたベーコンならまだ食べられそうだが、肉コーナーに近づけない。缶詰のコンビーフで代用しよう。
チーズとヨーグルト、納豆もまだ大丈夫。あ、ラッキー! ロングライフ牛乳があった。90日間常温保存できる。あるだけカートに詰める。
パンも見てみる。水分が少ない奴はまだ大丈夫なはずだ。バケットを調達。レギュラーコーヒーも調達する。
アウトドアショップから調理器具類を運んでホームセンターのガーデニングコーナーに設置する。ここは周囲がガラス張りなので温室のような雰囲気だ。雨も気にならない。大量の観葉植物に囲まれてとてもおしゃれだ。
でもよく見たら元気のない奴が多い。そっか、水やってないからだ。食後にあげよう。
まずは朝食。カットしたバゲットを炭火であぶる。チーズをのせたらやっぱり美味い。牛乳も少し温めてホットミルクにする。牛乳なんて数日ぶりだな。
お湯を沸かしてレギュラーコーヒーを淹れる。椅子に腰掛けて一口すする。あれ? コーヒーってこんな感じだっけ?
そっか、レギュラーコーヒーはあまり淹れたことがないから淹れ方が下手なんだな。コーヒー豆は保って1年ってところかな。真空パックされた豆ならもっと長い間飲めるかも。酒よりもこっちの方を楽しみたいな。本で勉強しよう。
落ち着いたら植物に水やりだ。そこで気がついた。水道止まってるじゃん。
外は雨だ。大型のポリバケツを並べておいてカレーを作り始める。下ごしらえしたらじっくり煮込むぞ。その間に植物に水やりしてやろう。完璧だ!
■70時間経過 電器
うっかりしていた。トイレのことを忘れていた。
食後にもよおしたのでトイレに行った。タンク式なので1回は流せる。しかし、ここに個室は3つ。他のトイレは数えていないが、数日で水が流せなくなる。
毎回タンクに水を入れれば良いのだが、1回につき8リットルとか10リットルとか、結構な量の水が要る。ミネラルウォーターがたくさんあるとはいえもったいない。バケツで汲みたいが、どこから調達すべきか...さっき雨水を溜めたからちょっとは使えるが、喫緊の検討課題だな。
雨が激しくなる中、ホームセンターの屋上で太陽光発電関係を確認した。生きている。一般家庭一軒分ぐらいの電力は調達できる。配電を確認して店内を明るくしよう。キッチン家電も置こう。
ホームセンターの電源は良しとして、寝床にしている家具屋の方は発電機を持っていくか。
そうとなれば電化生活の道具を選ばなければ。ショッピングモール内の家電量販店に来た。
洗濯機は要らないな。いつも新品の服を着れば良い。
冷蔵庫はほしいけど、大型は運べないぞ。エレベーターが使えないからな。一人で階段で運ぶなんて無理だ。ポータブルな奴で飲み物を冷やすぐらいだな。
テレビは必要ないかと思ったが、DVDとかブルーレイソフトがあった。大画面、大音響で楽しめるんじゃないか? 持ち運ぶのは大変だから、ここの売り場にシアターコーナーを作ろう...電源はホームセンターにあった発電機で大丈夫かな? 後で出力を確認しよう。
家具屋の1階、入り口近くの外光が入ってくるあたりを片付けて居間にすることにした。カーペットを敷いてソファーとテーブルを置いた。
ホームセンターから発電機を運んで家具屋の入り口外側屋根の下に設置する。防水の電源ケーブルを店内に引っ張る。
ガソリン携行缶と手動ポンプ、エンジンオイル、ハンマーを台車に乗せて駐車場に行く。無人であることを確認してからハンマーで給油口を壊して開け、ガソリンを携行缶に移す。慣れていないからうっかりあふれさせてしまった。雨水も交じってしまったかもしれない。雨の日にやることじゃないな。
家具屋に行ってオイルとガソリンを入れたら発電機のスターターを引っ張る。3回目で掛かった。電気の出力をONにする。
居間に設置した電気スタンドのスイッチをONにすると周囲が明るくなった。嬉しい。電気が切れてたったの二晩だというのに、やっと文明社会に帰ってきた感じだ。
ミニコンポにCDをセットして音楽を流す。配信サービスが使えないから、子供の頃に戻ったような感じだ。これから機会があるたびに音楽ソースを探さなければならないな。
すぐ飲むわけじゃないが、ポットにミネラルウォーターを入れてお湯を沸かしておく。
そうそう、パソコンを充電しておかなきゃ。
さて、午前中は食料調達について考えたから、午後は健康について考えよう。ソファーに腰掛けてホームセンターの書籍売り場から持ってきたムックを眺める。
病院がないからな。怪我と病気は命取りだ。こんな世界で長生きしようとは思わないが、痛いのと苦しいのは嫌だ。被災者の皆さんみたいに寝ているうちに逝けるならいいけど。ピンコロを目指して健康を維持しよう。
そうすると、これから重労働が増えるからな。体の動かし方を研究しよう。俺も若くないし、ぎっくり腰とか気をつけなきゃ。
何なに、ラジオ体操が基本だって。写真のモデルの手の位置とかをよくよく見ると、わかった。俺のやり方って中途半端でいい加減だったんだな。ビデオで確認したいけど、お手本動画のQRコードがあってもねぇ。DVDとかないのかな。これも調査対象にしよう。ノートにメモメモ。
筋トレもしようかな。マッチョになる必要はない。見せる相手がいないから。でも、肉体労働で怪我を防ぐためにはある程度の筋力があった方が良いだろう。スポーツ用品店に行けばトレーニング器具があるだろう。トレーニング方法は本で調べよう。DVD付きの本があると良いな。平成に発行された本なら付いてる気がする。
時計を見る。人命救助のタイムリミット72時間はとっくに経過していた。まだ息のある人もいるだろうが、大半が亡くなっていると思う。助けられなかった罪悪感が湧き上がってくるが、助ける方法が解らないのだからと感情を押し殺す。サバイバルライフを楽しんでいるのも、罪悪感を隠すための芝居の意味がある。解っていて芝居をする気持ちも結構複雑だ。自己嫌悪にならないように、鬱なんかにならないように自分をだまして無理矢理楽しむんだ。
落ち込んでいるうちに外が暗くなってきた。よし、昼のカレーの残りを食べよう! そうだ! お米を炊こう!
ダイニングキッチンにしているホームセンターのガラス張りガーデニングコーナーに移動する。スーパーには行きたくないから、ホームセンターで一番高価なお米を取ってくる。電器店から運んだ高級そうな炊飯器を使うぞ。ミネラルウォーターで内釜を洗って、米をといで炊く。
できた米は美味かった。こんなに美味い米はいつ以来だろう? 俺は貧乏を脱出したんだ。喜びは中くらいだが無理して喜ぶことにした。
■80時間経過 異臭
翌日は朝から日差しが強かった。温度計を見ると既に25度近い。今日は真夏日とか、猛暑日とかになりそうだ。
書籍売り場をもう一度見回し、ノートとパソコンで情報を整理して考えをまとめる。
農業をやるなら、田んぼと畑が必要だ。屋上に上がって周囲を見渡す。ここは多摩ニュータウンのはずれだ。住宅と公園と未開拓の野原ばかりだ。地主さんは多少畑をやってる感じだが、どこも規模が小さいし、田んぼは見たことがない。トラクターがあったとしても野原を耕すのは大変そうだし、田んぼにするには水がない。
「長期的にはニュータウンを離れて別の場所に拠点を築いた方が良いな」
紙の地図を取り出して検討する。ニュータウン内には耕地はほとんどないが、その周囲は結構農地がある。バイクで探索する必要があるな。
本格的な農家にお邪魔すれば農機具や機械を拝借できる。農地も整備されているだろう。おじいさんが農業からフェードアウトしているような所はだめだ。
さて、昼飯は何を食べようかな。ホームセンターの食品売り場に行ってみる。
「ん!? なんか匂うな。いつもより強いぞ」
この辺りには腐りやすい生鮮食品はないと思うのだが。匂いの元を探していくと...いらっしゃった。被災者さんのご遺体だった。ここにいらっしゃることは薄々知ってはいたが、気にしないようにしていたのだった。俺は負け組だからな。問題は先送りするのがセオリーだが、やっぱり裏目に出たか。そりゃそうだ。
よく見ると出血の後がある。被災時に打ち所が悪くてすぐに亡くなったのだろう。昨日の雨で湿度が上がり、今日の暑さで腐敗が加速しているのかもしれない。ハエも周囲を舞っている。あ、服の縁から何かうごめいているのが見える。近づくととんでもない匂いだ。鼻の奥の方に残留する。とても耐えられない。
これはまずい。匂いだけでも厳しいが、いろんな菌が繁殖するだろう。近くにいると病気になるかもしれない。
慌てて作業服売り場に行き、工業用のマスクとゴーグル、カッパと厚手のビニール手袋、長靴を持って一旦外に出る。
「まずいぞ。家具屋はどうだ? 確認しなきゃ」
家具屋入り口に作った居間に行って深呼吸してみると、やっぱりどこからともなく漂ってくる。カッパを着て長靴を履き、マスクをしてからフードを被ってその上からゴーグルを装着。額に懐中電灯をつけたらビニール手袋をした。準備完了だ。めちゃめちゃ暑いぞ。
大型懐中電灯を灯し、家具屋の奥に入っていく。SF映画のようだ。工業用マスクをしていると匂いの強弱は解らない。懐中電灯を隈なく照らして物陰まで隅々を確認する。
一度外に出る。暑かった。全身汗びっしょりだ。汗でゴーグルが曇って大変だった。
調査結果は予想以上に深刻だ。今まで気がつかなかったというか、見ないようにしていたが、1階に5人、2階に3人の被災者さんがいた。全員既にお亡くなりになっている。腐敗するのは時間の問題だ。いや、既に始まっている。
「どうする? やっぱりご遺体を弔う必要があるんじゃないか!?」
もう午後3時だが昼飯を食う気にはならない。小型冷蔵庫で冷やしておいた栄養ドリンクだけ飲んで休憩だ。
相手は人間だ。その辺に捨てるわけにはいかない。葬儀はできないが、埋葬ぐらいしなければ。
どの範囲で? 何人いる? どこに葬る?
堂々巡りで全く考えがまとまらない。気がついたら日が傾き始めている。
「明日にしよう!」
負け組の常套手段。先送りで逃げる。
「どうしよう。ベッドで寝たくないな」
寝ているときにご遺体が起き上がって『埋葬してくれー!』なんて言ってくる夢を見そうだ。
結局、テントを張ることにした。アウトドアショップに行ってテントとテント用マット、簡易ベッドと寝袋を調達。アウトドアショップも2人の店員さんが異臭を放っていたのでのんびり選ぶ余裕はなかった。
屋根があって夜露が降りてこないだろう場所にテントを張った。初心者が取説見ながらだから、すごく時間が掛かってしまった。
もう暗いじゃないか。すっかり疲れたよ。調理が面倒だからカップ麺を食べて寝ることにした。
夜中に目が覚めた。寝ながら考え事をしていたようだ。
「そうだ! どっちにしろ農業ができる場所に移住しなければならないんだった。今日移住しよう!」
被災者の皆さんに退いていただいてまで住み続ける場所じゃなかったんだ。ここは。埋葬してあげられないのは、他の多くの被災者さんと同じだ。自分が特別扱いしてもらえなかったからって恨まないでください。
心の中でお詫びする。