第3頁―――副題『足音』
教導員さんを見送った私は背後に現れた気配に溜息を吐く。
「おやおや、溜息を吐くと幸せが逃げてしまいますよ?」
「誰の所為だと思って………」
「フフッ、フフフッ!誰の所為なんでしょうね。よければ教えていただけませんか?」
白々しい笑みを浮かべてそう訊ねる男に嫌気がさす。
振り返り、モニターの光を背に受ける男を見る。
その影はシルクハットに燕尾服を身に纏い、鈍色の杖を突いていた。
「それで、魔法使いさんは何で此処に?」
そう私が聞くと男―――魔法使いは首を傾げて言う。
「いや、なに。特に用事があってきたのではないのです」
「はぁ、そうですか。それなら………」
「それに―――用事は既に終わっているので。ここには顔を見せに来ただけです」
「―――っ。そう、ですか。その用事とは?」
「彼、いや彼女でしょうか?君たちが教導者と呼ぶ存在を見たかっただけなのです」
思案気な魔法使いは思い出したかのように笑みを浮かべる。
その姿は顔が見えないのもあってとても不気味だ。
「そうだ、そういえば君の研究は何処まで進みましたか?」
「それなら粗方解読出来てますよ」
「おぉ!それはそれは。私の持ってきた資料は役立ちましたかね?」
「………悔しいですが、とても役に立ちました」
解読が行き詰っていた頁が魔法使いの持ってきた資料のお陰で進んだのも事実であるが、素直に認めたくはない。
この研究はあくまでも私だけで進めたかった。
その思いは教典の内容を知れば知るほど強くなった。
あの資料が無ければきっと解読は不可能だった。けれど、その対価として教典の内容をこの怪しい人物に開示することの忌避感は契約をする前と比べても計り知れないほど膨らんでいる。
そんな私の内心など露知らず、魔法使いは揚々と満足気に頷いていた。
「うんうん、それなら重畳。私も用意した甲斐があるというものです」
そして、魔法使いは宙に手を伸ばして私が良く使う研究スペースへの《《扉を開き》》、幾つかの資料の束を手に取って私に言う。
「研究レポートを見せて頂いてよろしいでしょうか?」
「えぇ、そういう《《契約》》ですから。お好きにどうぞ」
「そうれはそうですが、一応の礼儀は大切でしょう?まぁ、良いというのなら少し失礼………」
どの口が言うのか、と思う。
魔法使いは資料を手に取ってパラパラと読み始める。
事後報告上等、契約を結んでいる以上私が拒否をしないのを知っている筈なのにこの男はわざとらしく声を掛けるのだ。
カサリと紙の擦れる音を聞き流しながらこれまで分かった教典の内容を思い出す。
教典の内容は大きく分けて五つ。
一つ―――〝神の証明〟。
目に見えない因果、大いなる意思ともよべる創造主。
その存在の教えと実在性を説いた神話が描かれている項目であるそれは、よく読み込めば単なる崇拝の内容ではない事が分かる。
神の制定、神秘の規定、奇蹟の痕跡。
地上に齎された恩恵は人類の在り方を変え、その存在を昇華させた。
二つ―――〝楽園の証明〟。
いつか至るべき救済の果て、待ち望まれる未来の証明が描かれている。
その遥か最果ての地、既に消えた神々が住まう土地の証明は正に矛盾。
楽園の観測、理想郷の発見。
いつか向かうべき目的地を指し示す航海図は最果てを指し示す。
三つ―――〝試練の踏破〟。
来る終末、世界の滅びを予言した終末頁。
十の試練が科せられた人類はその踏破を望まれた。
願い、乞われた終末論。
何時かの誰かが託した意志が原罪として振り下ろされる。
四つ―――〝救済の奇跡〟
空白の一頁。
この世に貴賤無く、無慈悲で無価値とでも言わんばかりの場所である。
五つ―――〝 〟。
何もない。
表題は空白でありながら何かを書き込むようなスペースだけが開けられている。
五つの内の二つは解読ということが出来るものでは無く、他の三つの解読作業を進めていた。
そして、その果てにこの教典の作者は宗教家などではないという事を私は知った。
これは人為的な計画書。研究の工程、研究の目的が記されたものなのだ。
歴史を紐解く者、人類の歩みを進める者として私が取れる手段はただ一つ。
対抗策を。この終末を乗り越える策を、武器を、場所を創り出す。
―――それが、私の存在理由だと思うから。
魔法使いは資料を読み終えたのだろう。
最後の一頁を束の最後尾に戻すと、資料を整えてモニターの前に置く。
「なるほど、興味深いです」
「お気に召しましたか?」
「えぇ、満足しました。私が知りたい事の片鱗も確認できましたし、とても参考になりました」
ありがとうございます、そう言った魔法使いは私を見る。
「そろそろ私もお暇させていただきます」
「そうですか」
「はい。また、頃合いを見て顔を出しますので」
「………えぇ。お待ちしてます」
思ってもいない事を言ったのが表情にでも出ていたのだろうか。
魔法使いは私のことを一瞥すると、笑みを浮かべて姿を消した。
そうして一人ぼっちになった空間で、私は知らず知らずのうちに詰まっていた息を吐き出し、肩に乗りかかる荷を自覚する。
「はぁ………あんまり隠し通せないよね」
「早くアレの解析を進めなきゃ」
そう肩の重みを降ろすように呟き、私はポケットからライターを取り出した。