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星界フラグメント  作者: 翠雨 シグレ
エピソード1『未来求める新世界』
4/6

第1頁―――副題『アトラスの少女』

 ―――私は未来が欲しかった。


 ―――ただ、みんなが求める世界を!!



 ■



「―――っ!」


 ガバッ!と旅人がベットから飛び起きる。


 何か夢を見ていた気がする。誰かが血を流しながらも私に向かって叫んでいた。けれど、その内容は覚えていない。何か大切なことを言われていたような気がするが………思い出せない。でも、何故だかこれは忘れてはいけないものだということは理解した。


 旅人はいま見た夢を記憶の片隅に留めておこうと決め、寝起きで霞む視界、靄が掛かる思考を払うように頭を振って、固まった。


「おはようございます。教導員さん」


 何故かユキが目の前にいた。

 正確にはベットの外側、扉を背にして直ぐ側に立っていたのだ。


「昨日言っていた通りお迎えに上がりました」


 ―――それと、コレを。


 そう言ってユキは端末を旅人に手渡した。


 薄型の黒い端末。電源が入っていないが故に画面が暗いのは勿論のこと、それ以外の外装も背中側に刻印されたエンブレム以外は黒一色であり、唯一の色であるそのエンブレムは青を基準色とした流星がモチーフのものだった。


 端末を受け取った旅人は、不思議なものを見るようにクルクルと回して全体像を観察する。


 ―――やっぱり無い。


 それ程時間は掛かっていないが、端末の全てを見た旅人は小さく頷く。


「ユキ、これの電源ってどうやって入れるの?」


 滑らかなそのフォルムには一切の凹凸が存在せず、端末と言われなければ只の黒い物体なのだ勘違いしてしまうほど。


「あぁ、すみません。その端末はまだ使えないんです」


「まだ、ってことは何か初期設定とか?」


「はい。それもありますが、昨日言っていたご案内の続きです。

 早朝ではありますが、彼女達とは教導員さんも関わりが多くなると思いますし、時間があって早いうちに伺っておこうと思いまして」


「それでこの時間なんだ」


 旅人はまだ慣れない視界に光を差しながら時計に目を向ける。


 ―――6時30分。


 早い、と言っても常識の範囲内の時間帯だ。


「ええ、彼女達との顔合わせと端末の登録。それが朝の目標ですね。

 その後、おそらく教導員さんにはお昼まで自由に過ごしてもらう事になりそうですが………お昼過ぎには教導員棟にご案内出来ると思います」


「あれ?すぐに案内してくれる訳じゃないんだね」


「それは、はい………」


 ユキは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。


 昨日のやりとりからして、彼女はある程度の予定は後回しにして、私のことを優先的に処理しようとしていた。けれど、昨日の別れた後に想定外の予定が入ってしまったのだろう。それも、昨日の私の案内のように他の仕事を押し退けてまで進めなくてはいけない重要な予定が。


「私は朝の案内を終えた後、星連議会アストラルに出頭しなければなりません。

 何やら東島のバハムートに異常があったようで、その異常の確認と現場の指示をしなくてはならないのです。

 この後のことは既に彼女に頼んでいますからご安心ください」


「あぁ、うん。ユキも頑張ってね。………て、あれ?」


 ―――彼女、たち?


 そうユキと話していた旅人はようやく頭が回り出した。

 自然と会話の中に入っていた彼女達という複数人の人物。今の会話からしてこれから向かう場所にいる人物である事は明白だが、何処に行くのか、誰に会うのかも知らない事を思い出した。

 それと同時に足元にいた同居人が静かな喧騒につられてモゾリと起動した。


「ぷはっ………せん、せい………まだ、起きるには、はやいだろ………どうしたんだよ………ふあ~………」


「ミツリ」


 静かに自身の名前を呼んだ存在へと寝惚け眼を向ける。


「ん、んん? ユキじゃん………どうしたのさ、朝から………」


「教導員さんを迎えに来たんですよ。貴女も早く起きて準備をしてください」


「うぃ~」


 ミツリは目を擦りながらベットから起き上がり、旅人の部屋を後にした。

 扉が閉まるのを確認したユキは若干の困惑を滲ませた瞳で旅人を見た。


「あの、教導員さん?なんでミツリが教導員さんの布団の中から………?」


 その言葉を聞いた瞬間、旅人はドッと汗が噴き出した。


「ああ~、ん~~~、これ、には海溝よりも深い訳が………ですね………」


 浮気がバレた亭主のように言い訳を紡ぎながら旅人は昨晩の出来事を思い出す。


 昨夜、旅人は本当に帰る気がないミツリと共に宿直室にいた。

 この旧教導棟に今あるのは宿直室とシャワールームだけであり、着換えは置かれていたが食事までは手が回らなかったのだろう。ミツリは旅人を先にシャワーを浴びさせている間にコンビニで買い物をしてきたらしく、旅人がシャワーを終えて出て来る頃には椅子に座ってサンドイッチを食べていた。

 その姿を見て彼も昼頃に感じていた空腹感を思い出したのか腹の虫が鳴き、それを聞いた彼女は『これは先生の分な』と言ってもう一つのビニール袋を差し出してきたので有難く受け取り、その空腹を満たした。

 そして、そして―――、


 ―――あれ?


 ハタ、と思考が止まる。

 記憶が無かった。ミツリから貰ったサンドイッチを食べた後、彼女が何かを言って席を立ったのはぼんやりと覚えているがそれだけだ。


 ―――あの感じからして寝落ちしてしまったようだけど………ミツリが寝かせてくれたのかな?


 記憶の欠片と状況から予想を立てる。

 でも、だけれど………、


 ―――なんで一緒に寝てたんですかね………っ!?


 女の子をソファーに寝かせて自分はベッドでなんてことは言わない。でも、今の状況になるくらいなら寝落ちしたままでよかったのにな。と旅人は嘆いた。


 ユキの視線は少し冷たいものだったが、悶える旅人を見て何か納得したように息を吐く。


「はぁ………。まぁ、あの娘のことですから他意は無いのでしょうが、教導員さんもこれからあのようなことがないようにしてくださいね」


「はい、肝に銘じます………」


 心労故か、寝て起きたばかりなのに旅人の顔は皺くちゃになっていた。

 ユキはふっ、と軽く笑って旅人を急かす。


「ふふ、そこまで反省しなくても大丈夫ですよ?教導員さんに非はないのでしょうし」


「ゆ、ユキさん………!」


「少し揶揄っただけですよ。ミツリの癖は私もよく知っていますから。少し寂しがり屋なあの子は時折、くっついて離れなくなる時があるんです。ですから、今回の行き過ぎですが、たまに甘えさせてあげてください」


「うん。それくらいならいくらでも」


「ふふふ、なら良かったです。さぁ、さぁ、教導員さんもそろそろ布団から出て来てください。時間も無いですから」


「あぁ、ごめんね。いま準備するよ」


 そう言って旅人は布団から起き上がり、クローゼットへと歩いていく。

 そして、クローゼットの鏡から廊下に出るユキを見て思い出す。


「あっ、ユキ」


「はい? どうかしました?」


 出る寸前で振り返るユキ。


「そういえば、このあと何処に行くのか聞いてなかったな。って」


「あれ?言ってませんでしたか」


「うん。あと、これから会いに行く彼女達って娘等も」


「それは、すみませんでした。私の連絡不足ですね」


 顔を覗かせていたユキは半歩部屋に入り直して目的地を告げる。


「これから向かうのはアトラスです。

 そして、教導員さんに紹介しようと思っているのはその現行管理者である天野アマノツムギさんとその秘書である穿理ハクリ姉妹のウイノさんとウイカさんの三人です」



 ■



 宿直室を出たユキを見送った旅人はクローゼットから一着の制服を取る。


 ―――教導員の制服。

 それを見て思うのはやはり自分は見知らぬ土地、新たな世界に来たのだと実感させられる。


 視線を鏡越しにテーブルへと向ける。

 これまで着ていた旅装束は畳まれ、半透明なビニール袋に入れられているのでその姿を見ることは叶わない。それをちゃんと着ていた記憶はないけれど、やはり長年着ていたのだから愛着があるのだろう。


 それに、やはり癖とも言うべきか。

 いつも巻いていたマフラーを解いたから首元に違和感を感じる。

 首を一撫で。


 ―――あのボロボロの服。洗って返してくれるらしいけど、マフラーだけは使い続けよう。


 慣れない寂しさを感じつつ、旅人は着換え始める。


 学園に備えられた制服と云うからにはスーツだとか、またはジャージのような身動きのとりやすい服装かと思っていたものの、その制服は予想とは全く違うものだった。

 クローゼットの殆どを占める服は一般的な黒地のズボンに白のシャツだったが、端の一角にまとめられたメインとなるモノが特徴的だった。それは薄過ぎず、厚過ぎない、おそらくは一年通して着ることを想定された白地に青の差し色が入ったコートであり、胸元には端末と同じ流星をモチーフにしたエンブレムがあしらわれている。


 スーツのような礼服、紳士服ではない事に驚いたが、思い返せばユキは確かに制服と言っていた。何処の所属であるのか一目で分かるように意匠の施された制服ユニホームがあるのだと。

 そう思えば、端末の意匠も教導員専用のものだったのだろう。


 旅人は最後に、開いたコートから見せるようにネクタイを少し緩めに締めてクローゼットを閉じ、宿直室を出る。

 扉を開いてすぐに控えていたユキを見つけ、その姿を見せた。


「おかしくないかな?」


「ええ、よく似合ってますよ」


 全権代理者のチェックはOK。


「では、玄関に向かいましょう。ミツリも待っているでしょうから」



 ■



「遅いぞ! 先生!」


 階段を降りてきた旅人を見つけたミツリは仁王立ちでそう言った。

 腕を組んで元気な声を響かせるその声は、先程の思考能力が溶けた様子とは百八十度違うものであり、今朝の出来事を思い出して彼女の違う一面を見れたという事に役得感を感じた。


「ごめんね、ミツリ。でも、ミツリも随分早いね?」


「そんなの顔を洗って寝癖直して髪を縛れば制服を着るだけだからな。先生も同じもんだろ?」


「まぁ………」


 女の子としてそれはどうなの?と思わなくもないが声には出さない。自分に無頓着な娘もいない訳ではないし、私も必要最低限の身嗜みを整えれば気にしないタイプだから。


 そう思っていると、横から歩き出たユキがミツリの頭にチョップした。


「ぐぇ」


「それで良い訳ないでしょう」


「もう、なんだよユキ………」


 緩く、軽く小突くようなじゃれ合い。

 ミツリは半目になってユキを見る。


「いつも基本的なケアとメイクくらいしなさいって言ってるよね?」


「えぇ~、でも面倒だしぃ………」


「貴女は髪も綺麗なんだし、もっとオシャレに気を向けなさいよ」


「あ~あ~、聞こえないー! アタシの事はいいから早く行こうって!」


 おそらくはいつも言われているのだろう。

 話が長期間しそうな気配を感じたのかミツリは会話をブチ切って外に出た。

 その様子に旅人は苦笑いを浮かべ、ユキは腰に手を当てて息を吐く。


「もうっ、あの娘は………」


「はは、そのあたりの事情は分からないけど、お手柔らかにね?」


「その辺りは大丈夫です。何時ものことですから」


 とは言うものの、小さく吐かれた『帰ってきたら乳液まみれにしてやろうかしら』なんて呟きを拾って旅人はまた苦笑いを浮かべる。

 ユキの言う通りこのやりとりは彼女達の仲では恒例のものなのだろう。

 良くも悪くもお互いのパーソナルスペースに入り込んだ物言いに安心を覚えた。


「それならよかったよ」


「コホン………ミツリも出てしまいましたし、私達もそろそろ行きましょうか」



 ■



 先頭にミツリ、後方に旅人とユキが並んで道を歩いていく。

 時折見かける二人以外の生徒はおそらく部活動の朝練習なのだろうか。みんな体育着を身に纏い、友人と談笑しながら校舎や運動場に向かう姿を遠目に見た。


「そういえば、天野ツムギって娘について聞いてもいい?」


「ええ、このあと本人に会いますし簡単な紹介程度でしたら」


「うん。簡単にでいいから教えて欲しいな」


 会った時に本人から簡単な自己紹介くらいはあるだろうけど、今から会う人物の事を何も知らないまま訪れるのも何か気まずいというのもあるし、個人的に名前だけ知っているというのもなんだか収まりが悪いのだ。


 それに私は彼女の顔を知らない。誰が天野ツムギか分からない現状、自分から話しかける事はないだろうが、どんな人物なのかは知っていてもいいだろう。


「まず、天野ツムギさんは今朝にも言ったと思いますがツムギさんはアトラスの現行管理者でもあります」


「歳はですね………そうだ、私とミツリは高等部の二年生なのですが、ツムギさんは中等部の一年生なんです」


 ユキのその言葉に旅人は驚愕する。


「一年生!? それってつまり………」


「はい。ついこの間まで初等部だったんですがアトラスの管理者になったのは六年生の時で、史上最年少で管理者に就任した天才なんです」


 その言葉に私はまたもや驚愕する。

 アトラスの管理者に就任してまだ一年にも満たない。まだまだ新人、それも浅く聞いただけでも世界の中枢と思わせるアトラスの管理者という生半可な大人でも出来ない仕事を小学六年生が手を付けて、約一年間もそれを熟しているというのだ。驚愕するなという方が無理というものだろう。


 そして、それと同時に私の背中を冷たい汗が伝った。

 果たしてその人物は何者なのだろうか?と。


 全てがとは言わないが彼女はまだまだ小学生だった。そして、今も小学生上がりの中等部一年生なのだ。遊びたい盛り、または子供の特有の旺盛な好奇心に惹かれて何かの遊びや聡明な子であれば勉強をしているだろう。それなのに、まるで他人に尽くす事を命題としているように、子供らしからぬ記録を片手に世界の中心で働いているこの現状に違和感を抱く。


 ―――その娘(ツムギ)は何を考えているのだろう。


 そんな年端も行かない娘に向けるべきではない感情が湧き出る。


 これは良くない本能だ。知的好奇心、資料や知恵を読み解くのであればこの上なく良い本能であるが、これを人間、ましてや幼い少女に向けるものではない。


 私はその感情に蓋をして思考を閉じた。


「………ほぁ~、凄いね。何というか私の語彙力の問題なんだろうけど、うん。凄いよ」


「ふふ、私だってそうですよ。ツムギさんのような人は稀、だから天才だとか神童だと言われるのですから」


 ユキと旅人が天野ツムギについて話していると、ユキの笑い声を聞いたであろうミツリがこちらに向き直って口を開く。


「何々、ツムちゃんの話しでもしてんの?」


「うん。いま、ユキからツムギについて聞いてたんだ」


「ならアタシからも教えようか?」


 渾名でツムギを呼ぶミツリは仲が良いのだろうか。

 そうであれば是非、聞きたい事がある。


「詳しいプロフィールは本人に聞きたいから、人柄とか教えて欲しいな」


「人柄、かぁ~。ツムちゃんは何というか意地悪? あと、よく歴史とか教典の研究をしてるかな」


 意地悪、と聞いて自然と猫目の幼い少女の姿が思い浮かぶ。

 それと同時に何となく、意地悪というのはあくまでもミツリに対してだけなのだろうなとも思う。そして、その後に続いた歴史研究の言葉を聞いて首を傾げる。


「教典の研究?」


 ―――アトラスの管理人。

 その通り名を聞いていた限りではほぼ理系の人間だと思っていたがそうではないらしい。


「教導員さんはツムギさんの研究に興味が?」


「まぁ、うん。そういうの聞くと気になっちゃって。それってどんな研究?」


「確か………教典に書かれてる終末論だっけ?」


「えぇ。教典に書かれている内容の信憑性と、その因果関係についての研究だったかと」


 教典と現実の因果関係を調べるということは、その教典とは所謂、予言書と云われるものなのだろうか。終末論とも言っていたし、おそらくそういった類の書物ではあるのだろう。


「なんというか、文武ならぬ文理両道?なんだね」


「ご本人も『歴史は科学の道筋だ』と言っていますからね」


「あ~、技術が確立されるに至る経緯を、ってことかな?」


「う~ん、アタシはその辺りの研究内容は分からないけど、興味があるなら本人に聞いてみたら?喜ぶと思うぜ?」


「え。いや、確かにそれが一番なんだろうけど………大丈夫かな? アトラスの管理者もしながら自分の研究もしてるんでしょ?」


「本人は楽しそう研究とかアトラスの整備もしてたし、何よりも〝健全な研究は健全な肉体から〟って自分で言ってたし大丈夫だと思うけどな」


「なら、いいのかな?」


「大丈夫だと思いますよ?よっぽどの事がない限りツムギさんも断らない筈ですから」


「もし断られたら本くらいなら貸すから読んでみたらいいさ」


「うん。その時は頼むよ」


 そう約束をして、会話が終わる頃には既にアトラスの足元に到着していた。


「これがアトラス………」


 遠目に見た時から分かっていたが、とても巨大な建造物である。

 真上を見上げてもその全貌を視界に収めることは出来ない。

 けれど、遠くから見ただけでは分からなかった塔の間近の姿を見る。外壁は黒一色かと思えばそうではなく、排熱機構と思われる外壁の接合部分に設けられた隙間からは薄くエメラルドグリーンの閃光が漏れていた。


 時間にして十数秒であろうか、アトラスを眺めて立ち尽くしていた旅人を置き去りにして先に入口に立っていたユキは声をかける。


「教導員さん、行きますよ」


「あぁ、ごめん。今行くよ」


 その声に旅人は見入っていたことを謝罪して歩き出し、


「………」


 最後にもう一度、アトラスの果てに目を向けて扉を潜った。



 ■



 ―――アトラスタワー内部・エントランスホール。


 扉を潜って最初に目に入ったのは一般的なビルにもあるようなエントランス。

 左右には幾つかのテーブルとソファーのセットが配置され、直線上にはエレベーターがあり、アトラスの上層部に行くのに使われるのだろう。唯一の違いは、此処はあくまでも多数の企業や部署が入ったオフィスビルではなく、アトラスタワーという一つ目的の為に作られた建物であるために受付が存在しないことぐらいだろうか。


 と、此処までエントランス内をくまなく見回して現実逃避を試みたものの、いま眼前に鎮座した明らかな違和感に視線を向けなければなるまい。


 眼前に鎮座するあからさまな宝箱。


 ―――なんでこんなものが?


 そう思うのは無理もない。

 その見た目はゲームでよく見るようなTHE・宝箱の姿。ただ、モノを仕舞う小箱と云うには些かサイズが大きい。大きさは大型のスーツケース二つ分といったところだろうか。


 ツイ、と視線を横にずらせばその反応は様々。


「はぁ………」


「おーい、おきろ~」


 ユキは額を抑えて溜息をつく。

 ミツリはそう呼びかけながら近寄って、慣れた手つきで箱をを揺する。

 ミツリの反応を見る限り、中にはモノではなく誰かが入っているのだろう。


 ガタゴトとやや雑に揺すられて中の住人は目を覚ましたのだろう。

 見た目相応のわざとらしい開錠音が響く。そして、


「―――よいしょ」


 旅人はおもむろに宝箱の上に腰掛けた。

 蓋が開けようとしたのだろう。

 ガタリと一度揺れる。


『あ、あれ?』


 そして、異変が生じた箱の中からくぐもった声が聞こえてくる。


「先生………?」


「教導員さん………?」


 二人の少女は困惑した顔を旅人に向ける。

 だが、旅人は手を組み真剣な表情を浮かべていた。


 何故だか分からないがこうしなければならない。開きかかった蓋を閉めなければならないと本能が、否。そうしろと内なるガイアが囁いたような気がしたのだ。


 つまるところ―――魔が差した。


『あれあれあぇ………? も、もしかして鍵こわれた―――!?』


『だ、だれかー! だれか居ませんかー!』


『たすけてーーー!?』


 先程よりも激しくガッタンゴットンと揺れ動く。

 その様子に何だか奇妙な愉悦と高揚感が湧き、腰を上げるまでの間、旅人は足元の喧騒を暫く眺めていた。


 なお、その様子を見ていた二人は冷めた養豚場の豚を見る目で旅人を見ていたものの、旅人としては見ていて止めないのは同罪だと思った。


 チェストの中が静かになるのを見計らって腰を上げる。

 すると、間を置いて蓋を壊すような勢いで中から何かが飛び出してくるも、それは勢い余って蓋に頭を打ち付けてチェストごとひっくり返り、中に仕舞われていた物共々ごろりと転び出る。


「いたた………」


 枕、スナック菓子の空袋、端末、ヘッドフォン、携帯ゲーム機等々に囲まれて転がってきた少女は打ち付けた頭部から痛みを払うように擦っている。


 旅人は目の前に座り込む宝物少女を見る。


 少女はユキやミツリのように尻尾や羽根が生えている様子はなく、制服の上にオーバーサイズの白衣を羽織って有り余る裾を広げるように座り込んで、紅色の長髪を結びもせずに無残に散らし、頭部を打った痛みに目尻に涙が浮かべていた。


 目の前に座り込む少女が上目遣いで旅人を見上げる。


「………あっ、先生っ!」


「はじめまして。先生ではないけど………」


「いいえ、先生は先生ですよ!?」


「えぇ………」


 ―――先生になる気はないのだけれど。


 そう思うもおそらく何も変わらない。

 教導員という役職を与えられたが、ある意味ではこれも非常勤職員のようなもので、当事者ではない生徒達からすればあまり変わらないのだろう。


 自身の言葉を否定されてしょぼくれる旅人の背後の人影に気づいたのか、少女は目を輝かせて旅人越しに覗き見た。


「あっ、ユキ先輩に………あとミツリも、ようこそいらっしゃいました!」


「おう、アタシはオマケか??」


「バカは黙っててほしいんですけど………」


「ア゛?」


 一触即発。掴み掛ろうとしたミツリの襟首を掴み、ユキは言った。


「ウイカ、ミツリに構うのもいいけど………旅人さんに自己紹介くらいしなさい?」


 そう言われた少女―――ウイカは、あっ、としたように口を塞いだ。


「そういえばそうでした!? 先生、ごめんなさい! 改めまして、わたしはウイカ、穿理ハクリウイカです。宜しくお願い致します!」


「よろしくね」


「はい!」


 名前だけの自己紹介を終えると、ウイカは落ちていた端末を拾い上げて跳び上がる。


「うぇーーー!? もうこんな時間に!?」


「あらま、確かに随分と時間が経ってしまいましたね」


 ユキは端末を取り出して時間を確認すると、旅人をじっとりと睨む。

 旅人はその視線から逃れるように目を背けた。


 ウイカに蓋が開かなかった理由を言わなかったのはコチラを思ってか。

 こんな純粋な目を向けられると知っていればあんな暴挙に出ることは多分、おそらくは………なかっただろうに。黙っていてくれるのはありがたいが、逆にこれは逃げ場が無くなって辛い。

 顔を出そうとする涙を抑えようと腕を持ち上げれば、それは少しも上がらない位置で引き止められてしまった。


 視線を降ろせば、目をグルグルと回したウイカが目に入る。


「………フ、………いな………十………ーフ」


 ブツブツと譫言のように呟くウイカに旅人は、


「ウイカ?」


 しゃがんで、目線を合わせようとしたその時だった。


「十分以内ならセーフです!!!」


 そう叫ぶや否や身体を反転させて駆けだした。

 それも、旅人の袖を掴んで。


「ちょちょちょ、力つよぉぉおおオオオ―――ッ!?」


「先生っ!?」


「旅人さんっ!?」


 外見幼女といっても差し支えないウイカにまるで縁日の風船のように腕を引かれながら、流れる風景に身を任せる旅人。


 ―――風になるってこんな感じなんだ………。


 そんな旅人の思いを他所に、ウイカは一直線にエレベーター―――ではなく、その先にある階段に向かって走っていく。

 流れるように駆け降りていくウイカは、階段を下っているというのに一度も失速せず、浮かんでいる旅人を手放すことも階段にぶつけることもない。


 旅人は階段を曲がる瞬間に掛かる強烈な遠心力による莫大な負荷により、自分の肩が壊れるのが先か、袖が千切れるのが先かと現実逃避気味に思案する。

 そして、到着したであろう地下十階。

 その先に階段は無く、階段を降り先には直進だけを示す白く、機械的な道だけがあった。


 ウイカはその道の先にある扉を目指して爆走。

 扉を押し開けようと腕を伸ばした瞬間に―――、


「―――あっ!?」


 扉は左右にスライドして部屋を開く。

 押し開けようと腕を伸ばしていたウイカは勿論、前方に重心を移動していた為、行き先を失った力はそのまま止まらずに宙を切って床へと向かっていく。辛うじて手を着いたものの、自分よりも重い大人を引き摺っていた事を失念していた所為で旅人を背負い投げのように前方へ。そして、そのまま手を離さなかった為にウイカは自分自身も投げてしまい、旅人と共に転がってしまった。


 ―――ビリッ。


「いつつ………」


「きゅ~」


 ゴロゴロと転がって頭や背中を打つこと三回。ようやく止まって頭を押さえながら起き上がろうとすると、視界いっぱいに白地が広がっていた。


 ―――あ、パンツ。


 旅人の体の上に倒れ込むウイカは、転がり倒れた影響で目を回しており、無防備に下着を曝け出している。


 このままでは起き上がれない。

 でも、身体に触れるのも何だか悪い事をしているように思われるし………このまま堪能していた方がいいかな。


 そう旅人が考えていると頭上から声が届く。


「片腕ノースリーブとは前衛的な格好ですね」


 ―――ふむ、黒か………。


「取りあえず、その子を退かしますね」


 声の主の顔は見えない。ナニとは言わないが彼女の身体によって遮られている為、彼女の表情は窺うことは出来ず、彼女も旅人の視線に気付いていないようだった。


 彼女は旅人の側に歩み寄ると目を回すウイカを抱き上げる。

 名残惜しいが、重しがなくなって起き上がれた旅人は、その時はじめてこの部屋の中を見た。


 中央に集められた無数のモニター。

 おそらくは監視カメラのものだろう。モニターには階段の風景やエントランスホール、ユキとミツリが乗るエレベーターの内部に見知らぬ風景まであらゆる映像が映されていた。


 そして、モニターの前に座る一人の少女とウイカを抱いた彼女に似た少女の二人。


 ウイカに似た少女は、顔立ちは彼女に似ているもののその立ち姿は全く別のもの。少女の目元は丸く開かれた彼女とは違い固く閉ざされており、彼女より濃い髪色は柘榴のような色。背まで伸びる髪を緩い三つ編みで纏め、腰元に二本の刀を携えたその姿は未来のウイカと云っても通用するだろう。


 ウイカに似た少女を見ていたことに気が付いたのか、その閉じられた目尻を柔らかく動かして椅子に座る少女の肩を叩く。椅子に座る少女は肩を叩かれた事に気付き、付けていたヘットフォンを外してコチラに振り替える。


 少女の髪色は白。ユキのような自然な白ではないどこか人工的な、悪く言ってしまえば病的な白であり、肌も髪と同じぐらいに白く、染み一つない肌は新雪のよう。けれど、その白さを補強するように彼女の髪には色鮮やかな緑・橙・赤のメッシュが入っており、彼女を一目見た瞬間の印象とのアシンメトリーを強く意識させた。


 椅子の少女は立ち上がり、彼女たちを代表するように言う。


「教導員さん、今日は早朝からありがとうございます。

 私の名前は天野アマノツムギ。

 そして、横に立っているのが私の秘書である穿理ハクリウイノと、彼女に抱えられているのはその妹の穿理ウイカといいます。ウイノ」


「はい。所長から紹介されました、ウイノです。妹共々宜しくお願い致しますね?先生」

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