第2頁―――副題『来訪者』
「―――い。お―――きて―――。―――てください」
鈍い声が聞こえる。
意識を再起動させるように何度も鼓膜を揺するその声は、回数を重ねるごとに鮮明になっていく。
「―――教導員さん、起きてください」
いまだ朦朧とする意識の中で目を開く。霞む視界。瞬きを繰り返せば白んだ視界は徐々に最適化されて正しい視覚情報を伝達しはじめる。
鼻につく潮の香り。薄く開いた視界に何処かの海辺の風景と目の前に立つ少女を捉えた。
快活そうな明るい容姿に特徴的なミルク色の髪に桜色のインナーカラーが入ったボブ。髪色と同じ柔らかい色をした蜥蜴のような尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「教導員さん。大丈夫ですか?」
そう少女は私に声を掛ける。
「あ………あぁ、大丈夫だよ。心配させて悪いね」
―――私は寝ていたのだろうか。
夢も見ずに意識が墜ちていたのなら、それは気絶と言えなくもないだろうが今考えたところで仕方が無いだろう。
旅人は頭を振って意識を戻す。
少女は旅人の様子を見て胸を撫で下ろす。
「大丈夫ならよかったです」
「それで、ココは………?」
「―――え? もう、まだ寝惚けてるんですか?」
首を傾げて眉を落とす少女。
そんな表情をさせてしまって申し訳ない。だが、この目に映る風景は既視感はあれど記憶にない。
「コホン………では改めて紹介した方がいいですかね?」
「ああ、すまないけど頼むよ」
申し訳なさそうに旅人がそう言うと、対称的に少女は眉を吊り上げて、心得た!と言わんばかりに胸を張る。
「では、教導員さん。私は案内役を任されました全権代理者の月乃ユキです。
アナタは星連議会により召集された人物であり、本日より教導員として活動していただく予定だったのですが………ここまで大丈夫ですか?」
眉を顰める少女―――ユキ。
その視線の先に座る旅人は眉間に皺を寄せて悩んでいた。
記憶に無い。それどころか此処にくる以前に何をしていたのかも分からない。けれど、不思議なことに一般的な知識だけが残っているのだから余計に混乱する。
記憶喪失。そう言ってしまえばそれまでだろうが、ここまでキレイに抜け落ちた記憶に逆に関心してしまうほどだ。
「うん。大丈夫ではないかもしれないけど、大丈夫。多分、きっと………」
「う~ん、不安は残りますが………教導員さんは外から来た方ですから詳しい説明はまた後にしましょう」
そう言ってユキは早々に話を切り上げて旅人に背を向け、
「取りあえず、私達の学園に向かいましょう」
詳しい内容はそこで、と歩き出したユキの後を追う。
■
先導するユキを追いながら歩き始めて数分。
街の入口にやって来た旅人は遠くの風景を見ながらユキに声を掛ける。
「ねぇ、今から行く学園って?」
「あぁ、教導員さんは知りませんよね。今から向かうのは私自身も通う学園で、グノーシス学園高等学校と云います。小中高の一貫性の学園でして場所は………」
そうユキが指差したのは正面。直線上に見える〝塔〟を指し示した。
おそらくはこの街の中心部であろうそこは距離がとても遠く、ランドマークとも言えるであろう天を突く巨大な塔が聳えているのが遠目に見える。
「あの塔、アトラスタワーの根元に学園があるんです」
「ちょっと、遠くない………?」
「はい。それは勿論、名実共にこの島の中心部ですから、島の端から徒歩で向かおうものなら一昼夜掛かっても辿り着けませんよ?」
「ですよね。ってことは他に交通手段があるの?」
「島の中心ですからね。跨ぐにしろ向かうにしろ人出が多い場所ですから、ちゃんと中央行きの電車が通っていますのでご安心ください」
「それならよかった」
あの距離を行くと聞いた瞬間、周囲を見回して脳に浮かんだのは長距離バスやタクシーといった乗用車での移動。だが、中央までの電車が通っていると聞いてまずは一安心。
まだ歩いて数分ではあるが、港から歩いてきたばかりだからか線路の影も見えず、おそらくもう少し先に件の駅があるのだと思う。
そして、周囲の建物もどちらかといえば田舎情緒溢れる市場のような場所だ。時間は分からないが太陽は既に昇りきり、あとは降りるだけという様子を見るに十二時過ぎくらいだろうか。
寝起きで、少しだけとはいえ思考を巡らせた所為か、または気の緩みか。
会話から間をおかずに旅人の中の魔獣は目を覚ました。
―――ぐぅ………。
旅人は自身の腹部に視線を向け、寝言のように鳴いた腹の中の魔獣を宥めるように撫でる。
そして、それを聞いていたのだろう。
「ふふっ」
ユキは軽く笑って旅人を見た。
「お腹が空きましたか?」
「………ちょっとね」
視線が交わるのが居た堪れなくて、旅人はユキの声に引かれて上げた視線をすぐに降ろして控えめに今の状況を告げる。
欲に素直なのはいい事なのだろうが、いい年した大人が空腹を気遣われるというのはなんだか気恥ずかしい。
旅人の空腹を知ったユキは宙に指を滑らせてコンソールを出現させる。
ユキはさも当然のようにそのコンソールをタップしながら何かを確認しているが、その様子を見た旅人はちょこっと驚愕、そして珍しいもの見たさに興奮感も少々。
「ふむ。時間も少しはありますし、教導員さんはお昼は食べてないでしょうから………」
「ねぇねぇ、ユキさん?」
「はい? どうかしましたか、教導員さん」
「それって………」
「あぁ~、コレですか?」
コンソールを指差す旅人を見て、ユキは見せるようにノックする。
コンコン、とノックに合わせて硬い音がするそれは、つい先程宙に呼び出したモノとは思えない硬質的な音を響かせた。
「え! 触れるのそれ!?」
「はい、でも基本は透過しますよ」
こんな風に、とユキはコンソールを二回ノックする。
すると、一度目のノックは先程と同様にコンっ、と音を鳴らしてぶつかり、二度目のノックは何の音も立てずにコンソールを通り抜けた。
「これは回廊の技術なんですが………おそらく外から来た教導員さんは知らないでしょうし、学園に行った時にまとめてご説明させていただきますね」
「うん、その時はよろしくお願いします」
「ふふふ、こういうの好きなん―――」
「滅茶苦茶大好き」
「―――すごく食い気味に来ましたね。まぁ、でもよかったです。この技術が好きならこれから数週間は毎日が楽しいですよ。コレは私達にとってはありふれたものですので」
そう言ってユキは微笑まし気に旅人を見て、
「ところで、教導員さん。お腹の調子はどうですか?」
先程の空腹感を感じさせる旅人の姿とは打って変わった元気そうなその様子に、ユキは今の状態を尋ねる。
旅人はその言葉に自身の腹を擦って言う。
「うーん、何というか食欲を興奮が上回っちゃったかな」
小腹が空いていたのと打って変わって、空きっ腹の感覚はあるものの脳内麻薬の効果で空腹、という感覚が消えていた。
「それなら、時間はあまりとれませんが、少し休憩しませんか?」
「私としては有り難いけど、いいの?」
「はい、大丈夫です。それに、この辺りに新しくオープンした喫茶店があるんです。喫茶店自体は東島のニライカナイで人気の喫茶チェーン店ですし、私も愛用しているお店なので味の保証は致します」
「いいね。どんなお店なの?」
「和喫茶ですよ。お店については歩きながら話しましょうか」
今度は並んで歩き出す。
旅人はユキの隣で彼女が操作するコンソールを眺める。
そこには幾つもの所謂、和菓子とよばれるニライカナイで親しまれるお菓子が映っていた。団子に最中、御萩。団子にいたってはみたらし、三色団子、よもぎにずんだ、餡子といった種類があるようで、その他には抹茶アイスに抹茶アイスを使ったパフェ等もあるようだった。
「いっぱい種類があるんだね」
「そうですよ。お団子は特に応用が利くらしくて、季節限定のものもあるのでキャンペーンが待ち遠しくて! それでも、通常メニューで私がオススメしたいのはコレです!」
「白玉ぜんざい?」
「はい! 通常のお団子も甘くて美味しいですが、蒸されたり焼かれて水分が飛んで甘さが濃縮され、口の中にねっとりと広がるお団子と違ってお汁粉の水分によってツルツルモチモチになった白玉団子はの消えるような触感に優しい甘さ! それに合わせるお汁粉は漉し餡でも粒餡、どちらでも美味しいのですが、このお店の白玉ぜんざいはトッピングで自分だけのぜんざいが作れるんです! 基本となるお汁粉を変えてもよし、抹茶アイスを入れるもよし、果物をいれるもよし、無限の可能性を秘めたものなんです!!」
「はは、白玉ぜんざいってそんなに美味しいんだね。私も食べて見ようかな」
怒涛の白玉ぜんざい推しに少し驚く。けれど、甘い物の話というのは話しを聞けば聞くほど美味しそうに思えてくるもの。
無性にユキが勧める白玉ぜんざいを食べたくなった。
その事を伝えれば、少し固まって徐々にユキの顔は赤くなっていく。
「あ―――んんっ。失礼しました。その、熱くなってしまったようで………」
歯切れが悪く、コンソールで口元を隠す姿はとても愛らしい。
「気にしてないよ。むしろ、はじめて行く店なんだからオススメしてくれてありがとう」
「いえ………はい」
やはり恥ずかしいのだろう。
ユキは旅人と目を合わせず、右に左にと視線を彷徨わせていると視線が先の方に固定された。
その視線の先を追いかければそこには一軒の茶屋風の店が佇んでいた。
―――『和喫茶 高天原 エデン支店』
入口に近寄れば、そこは暖簾が掲げれており、窓の向こう側には畳敷の座敷席とテーブル席に分けられていて雰囲気の良さそうな店内が見えていた。
「ここです! あ、それにほら!」
顔の赤みが引き始めたユキは入口に立て掛けられた看板を指差す。
そこには『開店キャンペーン中! お団子一本無料!!』と書かれていた。
「今ならお団子一本無料のキャンペーン中ですし、早く入りましょう!」
そう言ってユキは旅人の手をとる。
顔の赤みも冷たい白玉ぜんざいを食べれば落ち着く筈、と先程の失態を忘れるように暖簾を潜り抜けて入店しようとしたその時―――、
―――ドッカーン!!
―――背後の店舗で大爆発が起きた。
ユキも旅人も驚破何事かと振り返ると、鼻につく硝煙のにおいと入口から立ち上る灰色の煙。幸いなことに火の手は無いようだが、一体何があったのか皆目見当もつかない。
いや、ユキだけはこの事態に心当たりがあった。
でも、それはあり得ない筈だと内心で自分に言い聞かせるように言うものの、やはり長年の経験、と云うのだろう。煙を吐く店の奥から鳴り出した足音に確信したユキは目を細める。
「―――クソジジイ! 二度とこんな店くるかっ!!」
ダダダッ、と荒々しく響く足音と共に黒髪の少女が煙を突き抜けて現れた。
おそらくこの少女が爆発騒ぎの主犯なのだろう。
煙が目に沁みたのか若干涙目になってはいるが、何よりもその姿。濡羽色の美しい髪に側頭部から伸びる同色の三枚の羽根。その姿を見た瞬間に背後に立つユキの気配が鋭くなる。
自身に向けられたものではないにしろ、背後から突き抜ける殺傷性の高い視線に思わず旅人は背が伸びる。
件の矛先に立つ少女といえば袖で涙が浮かぶ目元を拭っていた。
やっと視界が正常に戻ったのか、向かい側に立っていた旅人達を視界に納め、そして一瞬啞然とした様子で徐々に顔を青くして指を差す。
「な、なな―――なんでオマエがココに!?」
「鴉間~~~!!」
「ヒェ―――ッ!?」
正しく脱兎の如し。
ユキが少女―――カラスマ―――の名前を呼んだ瞬間に逃げ出した。
「待ちなさーーーいっ!!」
ユキは今迄の目的を忘れて逃げた少女を追いかける。
旅人も一瞬の出遅れがあったものの少女達の背を追いかけ始めた。
ユキの足は相当速いのか、今はもう先に駆けだした少女と道路を挟んだ左右で並走していた。旅人は二人に追い縋るだけで精一杯ではあるが二人自身が道路の向かい側に向かって叫んでいるお陰で会話はしっかりと聞き取ることが出来る。
「ほんっっと! なんでオマエがいるんだよーーッ!!」
「それはこっちのセリフよ! 貴女、明日まで謹慎中でしょ!!」
「うるせぇ! アタシが大人しく謹慎するとでも!?」
「思わないわよ!! だから見張り役も作ったんじゃない!!」
「へへっ、ユメなら新作ゲームで買収出来たぜ!!」
「あ~~~も~~っ! あの子は! もう………」
走りながら顔を覆うユキ。
その様子を見た少女は、サムズアップと共に先程までの青褪めた焦った表情とは打って変わってとてもイイ表情を浮かべていた。
―――何というか、不憫だな。
旅人はユキを見て苦笑いを浮かべた。
少なくとも自分という者の案内役をしているのに少女が引き起こした騒動を目撃してしまい、放っておくことも出来ずに現在追跡中。それに加えて会話の中で出たユメという人物の対応のによって怒りや悲しみ、呆れ、後悔といった様々な感情が混じり合っていっぱいいっぱいになってしまったようで、顔を覆ってしまうのもさもありなん。
けれど、逃走者とて馬鹿ではない。
「それじゃ―――」
明らかな隙。
並走しているユキの視線が消えたその時、その瞬間に少女はより強く地を蹴った。
「―――お先!」
「あ、待ちなさいっ!」
瞬時に数メートルの差が二人に生まれる。
「―――チッ!」
ユキは分かっていた。本気で走れば少女の方が速いということを。
いままでのはあくまでもお遊びだったのだ。鴉間にとっても捕まれば只ではすまないが、先程までの並走しながらの言い合いは逃げ切る自信、疾走しながらも口を動かすスタミナの余裕の表れ。
故に、ユキは瞬時に思考を切り替えた。
ポケットから端末を取り出して何かを入力すると、それを後方―――旅人へと放り投げる。旅人は円を描いて飛んでくる端末を顔に当たるギリギリでキャッチしてその画面を見た。
―――『プロトコル:アイギス 起動中』
小さくデフォルメされたユキのような存在が画面の中でそう書かれた看板を掲げていた。
「教導員さん! 念の為にそれを持っててください!」
一瞬、こちらを向いたユキはそう言うとすぐに前を向く。
何かは分からないが、何かしらのシステムが起動していることは明白。そして、ユキの言葉を聞く限りでは保険のようなものだろう。そう結論付けて落としていた視線を前に向ければ、いつの間にかユキの周囲には幾つかのコンソールが浮かんでいた。
「臨時戦闘許可証を提示―――OK」
コンソールが一枚消えると同時に街中にアナウンスが流れる。
『臨時戦闘許可証を受理。該当区画・ポルタ港より第三街道の方々は各自での障壁の展開の程、宜しくお願い致します―――以上』
アナウンスが終わると旅人達の後を追うように障壁が展開されていく。
青い文字で全ての店舗の入口に立体的に表示されたその『障壁』の文字は読んで字の如く、おそらく先程のアナウンスによって張られた文字通りの障壁なのだろうと理解する。
続けてユキは右手側に展開していたコンソールを手繰り寄せて告げる。
「武器の緊急申請、応急兵装をセントラルに申請」
その声と共に大半のコンソールが消え、頭上に『武器輸送中』という緑色の文字が流れる長方形のコンソールが出現する。そのコンソールの文字も瞬時に『輸送完了』という内容に置き換わると消失し、同時に赤い十文字槍が降ってくる。
ユキはその槍をキャッチすると、残りのコンソールへと視線を向け、
「術式典開。捕縛術式より『自動追尾』を選択」
コンソールは霧散して消失し、槍はその霧散した粒子を纏い燐光を帯びる。
それを横目に確認したユキは、前に出した足を横向きに替え、急ブレーキを掛けるようにして砂埃を巻き上げて失速しながらも腰を下げて槍を引き絞る。
そして、最後の一枚のコンソール。
そこに映るレティクルを睨み―――、
「シ―――ッ!」
―――一射。
宙を裂く音を携えた槍は、真っ直ぐ少女に向かって飛翔する。
背後から聞こえてくる甲高い音に不信感を抱いたのだろう。チラリ、と少女が背後を見れば眼前には槍の切先が差し迫り、その事を認識したその瞬間、瞬時に彼女は槍を打ち払い、迎撃しようと身構えたものの結局その手が振るわれることはなかった。
彼女はその手に僅かな燐光を帯びさせて手を振る瞬間に旅人を見て、動きが止まったのだ。
障壁を持たない旅人がいる方向に迎撃していいのか、と。
だが、その一瞬が分かれ道だった。
既に眼前に迫っていた槍の迎撃は一考の余地なく無意識に行われていなければ回避不可能といった状態。刹那の瞬間であろうとも意識を裂いてしまった彼女の迎撃は間に合わず、視界を『緊急障壁』という赤い言葉が塞ぐ。
「―――あっ」
ゴインっ!と障壁に槍が衝突した音が鳴る。障壁によって直撃はしなかったものの、衝撃は真っ直ぐ突き抜けて、彼女の小さい脳を揺さぶった。
頭部に強い衝撃を受けて仰け反った少女は僅かに宙に浮いて倒れ込む。
体勢が崩れ、倒れるのを確認したユキはため息を一つ吐いて告げる。
「ふぅ………暴徒の鎮圧完了、戦闘を終了します」
その言葉を受け取ったシステムによって街中に戦闘終了が知らされる。
最後のコンソールを閉じたユキは追いかけてくる旅人を待つようにゆっくりとした歩調でカラスマの方へと歩き出す。