レッスン
「うん、初めて踊るにしては、なかなか筋がいい」
数日後の午前、騎士団が非番で屋敷にいたウィリアムを誘ってダンスの練習をしていたら、思いがけずルーシェは彼に褒められていた。
場所は離れの玄関ホールだ。ちょっとした少人数のパーティーを開けるほど、玄関前の空間は二階まで開放的な吹き抜けで広かった。
「お飾りの婚約者になるつもりですが、お恥ずかしいことに貴族社会に慣れていないので、初めはウィリアム様にもご協力して頂かないと難しいのです」
「たしかにそうだな。一緒に過ごす時間をなるべく作るとしよう」
こうして彼の説得に成功した結果、練習に付き合ってくれるようになった。
今は先生の手拍子で、女性パートの動きをルーシェ一人で習っている最中だ。動きのパターンさえ覚えて間違えなければ、なんとかなりそうだった。
「それじゃあ、今度はペアで踊ってみようか」
「そうですわね。足の動きは覚られたみたいなので、次に進んでもいいですわね」
先生の許可が出たので、ルーシェは彼に手を握られ、腰に手を回される。お互いの距離が近いので、否応なしに緊張してしまう。
恥ずかしくて彼の顔を見上げられない。
先生の手拍子で、練習が始まる。彼の方に意識が向いてしまって、頭が真っ白になりそうだった。
「あっ、ごめんなさい」
混乱気味になり、ステップを間違えてウィリアムの足を踏んでいた。
「大丈夫だ。慣れも大事だから、このまま続けて頑張ろう」
相手は真面目な態度なので、気を取り直してダンスに集中する。
「はい、お願いします」
本番で間違えてウィリアムに恥をかかせる訳にはいかない。
ルーシェは気合の入った返事をして、ひたすら彼と踊った。
彼の助言どおりだった。密着している状況に感覚が麻痺してきたのか、慣れてきたらしく、最初よりは気持ちが落ち着いてきた。
踊りに集中できるようになり、最後はスムーズに動けるようになっていた。
「だいぶ良くなったね」
「ウィリアム様のおかげです、ありがとうございます」
「これでダンスは大丈夫だね。たまに忘れないように練習しよう」
「はい」
「まぁ、今日はこのくらいにしてお昼休みにしよう。頑張りすぎても疲れるからね。これから一緒に食事はどうかな?」
「ええ、喜んで」
まさか食事に誘われるとは思ってもみなかった。
ダンスの先生にお礼を言って別れたあと、ウィリアムと一緒に食堂に向かう。
「エスコートにも慣れたほうがいいと思うんだ」
「……はい、ウィリアム様」
彼の助言で、彼の腕に手を添える。自分で言い出したことなのに、否応なしに彼の存在を身近に感じて、胸の鼓動が少しうるさくなる。しばらく落ち着きそうになかった。
食事をしながら、先ほどのダンスの件で話題が弾む。
「あの先生には、私もお世話になったんだ。私のときは姉と踊らされて全然楽しくなかったよ。足を踏んだら倍にして返されたよ」
「そうだったんですね。お姉様と仲が良いんですね」
「そうかな?」
微笑みながら返事をすると、彼も可笑そうに口元の口角を上げていた。その何気ない仕草に胸が少し騒がしくなる。努めて平静を装う。
「ふむ、ルーシェ嬢の食事のマナーは何も問題ないように見える。素晴らしい両親のもとで育ったんだね」
「ありがとうございます」
ルーシェが貴族社会に慣れていないと言ったので、彼は本当に言葉どおり指導目的で一緒に過ごしているようだ。
真面目な彼らしかった。
「今日はこのあと時間があるだろうか? ルーシェ嬢に付き合ってもらいたい場所があるんだ」
「まぁ、お誘い嬉しいですわ。楽しみです」
和やかな食事の時間を過ごしたあと、メイドに支度を手伝ってもらい、馬車で出かけた先は劇場だった。
「こういう場所に来たことはあるか?」
「いいえ」
「そうか。実は私もあまり来たことがなかったけど、周囲で話題になっていたから、ちょうど来れたらと思ったんだ」
ウィリアム様は優しく微笑むと、ルーシェを丁寧にエスコートしてくれる。まるで大事な恋人のように。
観劇は『新月の屋敷妖精』を題材にした物語だった。探していたのは、なぜか運命の恋人になっていた。途中ハラハラドキドキする展開もあり、やっと運命の人と結ばれたときは、思わず涙ぐんでしまったほど感情移入していた。とても迫力があって興奮するほど楽しかった。
彼は途中何度も眠かったのか、うつらうつらとしていたが、あんなに不健康そうに目の周りに隈があるのだから、仕方がないとルーシェは彼の不作法を気にしなかった。
それよりも、こんなに疲れるほど多忙なのにルーシェに付き合ってくれる彼に頭が上がらない。
「素敵な時間でしたわ。ウィリアム様、今日は本当にありがとうございます」
「私も良い時間を過ごさせてもらったよ。調査中の人物がモデルになっていると聞いたから、何か問題がないか調べる必要があったんだ」
「まぁ、そうだったんですね」
どうやら今日のお誘いは、彼にとっては仕事の延長だったようだ。
馬車で屋敷に戻る頃には、もう日が暮れかけていた。移動中も彼はとても眠そうだった。
「ウィリアム様、大丈夫ですか?」
「ああ、すまない。夜になかなか寝れなくて」
「まぁ、それは大変ですわね」
彼は多忙なだけかと思っていたが、実は不眠症なのだろうか。不調だと聞いて心配になった。
離れまでウィリアムに付き添ってもらう。別れ際、彼に手の甲に親愛の口づけをされ、大事な婚約者のように振る舞われる。胸がドキドキと高鳴っていた。
「愛のない契約で申し訳ない。でも、あなたと家族は大事にさせてもらう」
そう別れ際に言われて、小さく胸が痛んだ。
(そうよ。これは好意ではなく厚意なのよね。彼が意外にも優しかったから、少し勘違いしそうになっていたわ。彼には他に想い人がいたと噂があったのに。誘ってくれたのもマナーの指導で、観劇もただの仕事なのよね)