始まった婚約生活
それから彼との契約が実行され、ルーシェはひたすら忙しくなった。
まず、家の建て替えを行うことになり、引っ越しの作業があった。
すぐにサミエル卿の屋敷で家族三人は暮らすことになったのだ。一家に割り当てられた住まいは、敷地内にある小さな離れだ。立派な母家と比べたら小さいが、ルーシェの家よりは大きく、十人くらいは余裕で住めそうな感じだ。
『あたらしいおうち、すてきね!』
『わーい!』
『ひろーい!』
三人の妖精たちもついてきてくれたので、嬉しそうに家の中を飛び回っている。
ルーシェといえば、ウィリアムの婚約者として相応しくなるために準備の真っ最中だ。
メイド三人に囲まれて部屋に案内されたと思ったら、髪と肌の手入れから始まった。風呂で綺麗に体を洗われ、髪には不気味な色の液剤をたっぷりと塗られて漬けたあと、洗い流された。そのあと、いい匂いのするローションで肌をマッサージされ、揉み解された。
数日経ったら、お肌はスベスベになり、栗色の髪もしっとりサラサラになっていた。こちらで用意してもらった新しいドレスに袖を通し、鏡の前に立ったルーシェは全くの別人のようになっていた。
「まぁ! 元は良いと思っていましたが、ここまで変わるなんて!」
「お美しいですわ!」
「ちょうどお屋敷にウィリアム様がいらっしゃいますし、お呼びしますね」
メイドたちの大げさなお世辞にくすぐったい気分になる。
鏡が家にないルーシェは、久しぶりに自分の姿をまじまじとよく見た。
緑の瞳をした若い女性が鏡の中にいて、驚いている顔でルーシェを見つめ返している。美形と評判の父によく似た顔をしている。
メイドに促されてやってきたウィリアムは、気まずそうだった。
「ウィリアム様、私の格好はいかがでしょうか?」
ドレスは若草色の生地を基調としていた。普段使い用だと思うが、ルーシェが今まで使用していた着衣よりも上質なものだ。襟の装飾や袖のフリルが華やかで、気分まで明るくなる。
ルーシェがおずおずと尋ねると、彼はチラッと見るなり、すぐに視線を逸らしてしまった。
「うん……まぁ、似合っていると思う」
素っ気なかったが、褒めてもらえて及第点を得たので、こっそり胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます。素敵な服を用意していただいて。ウィリアム様のおかげですわ」
「別に礼をわざわざ言われるまでもない。ところでリサ、彼女によそ行き用のドレスは用意したのか?」
呼ばれたメイドが返事をする。
「これからでございます」
「早急に頼む。一ヶ月後の舞踏会に参加するから。じゃあ、あとは任せた」
ウィリアムはそう言って、早々に去っていった。
彼の素っ気ない態度が、今は正体がバレていない安心材料になっている。
「若様、照れているだけですから気にしないでくださいね」
「そうですとも。お屋敷に呼ばれているんですもの。大事にされている証拠ですわ」
メイドが彼の冷たい態度を熱心にフォローをしてくれる。屋敷勤めともなると、ゲストへの気配りと主人への気遣いが優秀だと感じる。
「では、これから仕立て屋を呼びますね。ドレスの製作に時間がかかるので、採寸してもらい、デザインを決めて発注しましょう。先ほど若様がおっしゃったとおり、舞踏会にご出席される際に必要ですから」
そう説明してくれたのは、離れ担当メイドの責任者リサだ。他二人はルーシェと同年齢くらいだが、彼女は一回り以上年上の落ち着きのある女性である。
「はい、お願いします」
「ルーシェ様、使用人の私に敬語は不要です」
「あら、私ったらまた言ってしまったわ。ウィリアム様の婚約者なら、早く慣れないとね」
「もしマナーにご不安な点がございましたら、先生に指導をお願いされてはいかがでしょう? 若様から許可はいただいております」
「ええ、可能なら是非教わりたいわ」
なにせウィリアムに求められているのは、お飾りの妻である。飾られる以上、後ろ指を指される婚約者よりも、文句の付け所がない方がいいはずである。
弟のブレントは中途での入学となったが、学校に通えるようになり、必死に勉強している。
「お姉様の婚約者、訳ありだと思うけど、意外にいい人だよね。義兄さんの顔に泥を塗らないように頑張るよ」
そう前向きに励んでいた。彼はこの仮住まいの家から学校に通っている。
もうすでに支援は始まっている。金額に見合う働きをしようとルーシェは気合いに満ちていた。雇われていると思えば、愛が全くなくとも、気持ちは落ち込まずに済んだ。
習い事が一気に増えたが、それまで一日のほとんどを費やしていた日常の家事は、今では使用人任せだ。おかげで、教育に専念できた。
でも、その間ウィリアムは仕事が忙しいのか、ルーシェを完全放置だった。
使用人がいて世話をしてくれるから、生活には全く困ってはいないが、一つ問題があった。
彼の呪いの噂について、調べられない点だ。
そんなとき、リサから質問があった。
「ダンスの先生はどうなさいますか?」
「ダンス?」
確認されて気づいた。舞踏会に出席するならダンスも必須だ。マナーは日常生活で貴族出身の亡き母から教わっていたが、ダンスだけは全然習ったことがない。
「ええ、是非ダンスの先生もお願いね」
初めてだから、不安もあり、楽しみでもあった。
(そうだ! これを使えばいいんだわ!)
ルーシェはウィリアムに近づく作戦をちょうど思いついた。