突然の求婚
「さあ、もう逃げられない。おとなしくしなさい」
「ひぃ!」
でも正直、彼が苦手だった。毎回捕まえる気満々だからだ。追われると逃げたくなるのは本能だった。
ゆっくりと間合いを詰めるように副団長が近づき、さらに周囲から他の騎士たちも近づいてくる。
でも、このまま捕まるわけにはいかなかった。家族に迷惑がかかるだけではなく、指輪を取り戻さなければ家族の呪いは一生このままだからだ。
今のところ、指輪を探せる可能性があるのは、妖精の協力があるルーシェだけだ。
「みんな助けて!」
『はーい!』
『任せて!』
『みんな、ねむっちゃえ〜!』
妖精たちが騎士たちの頭上を飛び回ると、金色の粉がキラキラと彼らの上に降り注ぐ。この粉を浴びれば、一瞬で眠りに落ちるのだ。
でも、今回は様子が違った。
「眠りの粉が来るぞ!」
彼らにも金色の粉だけは見えるようだ。マントを頭から羽織って、粉が掛からないようにしていた。
その結果、誰も床に崩れ落ちなかった。
「そんな!」
「フフフ、何度も同じ手が通用するとは思わないことだ」
マントを外しながら、不敵な笑みを副団長は浮かべていた。その表情は、鋭い目つきも相まって恐ろしいほどの凄みがあった。
「ど、どうしよう!?」
ますますピンチな状態にルーシェは道端に捨てられた子猫のように震えることしかできなかった。
『なんてやつらなの!』
『奥の手、使う?』
『その前に、おうえんをよんでみようよ〜』
妖精三人は息を一斉に吸い込んだあと、口を大きく開いた。
『『『みんな、ルーシェをたすけて!』』』
妖精たちの声が大きく重なったとき、あちこちから仲間が出てきた。彼らは掛け声を上げて、騎士たちに勇ましい様子で向かっていく。
「いてっ! なんだ? 何が起こっているんだ!?」
大勢の妖精たちが攻撃しているのだろう。彼らが見えない騎士たちが、頭を抱えてパニック状態になっている。
『ルーシェ、今だよ!』
騎士の包囲網がもろくなり、隙間ができていた。そこからルーシェは抜け出し、廊下を走り抜ける。
「皆さん、ごめんなさい!」
「待て!」
妖精の猛攻撃を上手にすり抜けて、怯まず必死に追いかけてくるのは副団長だ。
『ルーシェ、ここからにげて!』
『おちても大丈夫だから!』
『はやく、はやく!』
妖精たちは廊下の窓を開けてルーシェを促してくる。
言われるがままに腰くらいの高さのある窓枠に足をかけるが、一瞬その高さに目がくらんだ。
ここは五階だった。地面がかなり遠くに見える。
「ほ、本当に飛び降りて大丈夫なの?」
『いいからはやく!』
妖精の一人が背中に体当たりしてきて、ルーシェの体が宙に浮いた。
「キャー!」
悲鳴を上げて真っ逆さまに落ちていく。
「危ない!」
低い男性の声がしたと思ったら、ルーシェの身体に誰かがぶつかるように勢いよく抱きついてきた。
「やっと捕まえた」
嬉しそうに耳元で囁くのは副団長だ。でも、彼までも一緒に落ちている最中だ。
「副団長さん、危ないですよ!」
思わず突っ込みを入れてしまう。
「死んでも離さない」
「ひぃ!」
副団長の執念が、やはり恐ろしかった。
彼はそう言って落下の衝撃から守るようにルーシェをぎゅっと抱きかかえる。さらに、彼が地面側になるように体を捻っていた。
(もしかして、私のことを守ろうとしているの?)
そう思ったのは、今にも地面とぶつかる直前だった。
覚悟して目を閉じたときだ。
ものすごい衝撃があると思ったら、驚くことに地面に弾力があり、体が沈み込んだ直後、弾き返されるように体が浮き上がった。
それを何度か繰り返したあと、地面は元通りに戻って、二人の身体は動かなくなった。
「あはははは! 本当にあなたは不思議な人だ」
ルーシェの下敷きになって倒れている副団長が、普段は気難しそうな顔をしているのに相好を崩して大笑いしている。
その彼の意外な様子に思わず上に乗ったまま見とれてしまった。でも、互いに目が合った瞬間、我に返って慌てて逃げようとしたら、急に視界が急転する。何が起きたのかすぐに理解できなかった。
「いつもながら、エメラルドのような美しい瞳だ。こんな暗い中でも、星空のように輝いている」
彼に押し倒されている格好になっていた。食い入るように顔を見つめられている。聞き慣れない歯の浮くような褒め言葉だが、危機的な状況なだけにブルブル震えて全くときめくことはなかった。
「今日こそ、その顔を見せてもらうよ」
先ほどまでの砕けた様子が嘘のように彼の顔が真剣なものになっている。
彼の手が素早くルーシェのマスクに伸びていた。あっと思ったときには取られてしまい、慌てて顔を両手で隠す。
見られたかもしれない。どうしようと思ったとき、急に上半身に何か落ちてくる感触があった。よく見たら、副団長がルーシェの上に倒れていた。安らかな寝息が彼から聞こえるので、どうやら妖精たちが眠らせてくれたようだ。
『あぶなーい!』
『ギリギリ間に合ったわね』
『さあ、はやくにげよう!』
ルーシェはマスクを取り戻すと、副団長の下から這い出て、侯爵家から無事に逃亡した。
彼に顔がバレたかと不安だったが、次の新月まで日数があるので、コソコソと家族に隠れて妖精たちの服を作っていた。
よその屋敷で協力してもらった妖精にお礼をするためだ。
『おれいに、わたしたちが着ているふくを作ってもらえるのよ』
そう言ってよその妖精たちを説得して装身具の置き場所を教えてもらったから、約束は守らなくてはならない。出来上がった服を三人に協力してもらって渡していた。
『屋敷妖精が現れると、幸運が訪れる』
こういう風に噂になったのも、服を着て機嫌の良くなった妖精たちが、屋敷の住人たちに親切になったからだった。
そんな良い風評が立っているなんて露知らず、ルーシェは怯えながら不安な日々を過ごしていた。ところが、副団長とそのあとに一度鉢合わせしたが、特にルーシェの顔について話題に出すことはなかった。どうやら顔はギリギリ見られていなかったらしい。
やっと安堵していた矢先、なんとルーシェのハイゼン子爵家に結婚の申し込みがきたのだ。
§
仕事から家に帰ってきた父が、血相を変えて説明してくれた。
「サミエル伯爵家の令息ウィリアム様から当家に結婚の申し出があったんだ。ルーシェ、彼とどこかで会ったことはあるのか?」
その声はびっくりするほど震えていた。
「いいえ、全くないですわ。お名前も存じません」
「不思議なことに、その見ず知らずのお方がな、当家の借金の返済を肩代わりしてくれるだけではなく、ブレントの後見人になってくださり、学校の費用を全額負担してくださるそうだ。しかも、この屋敷の建て替えもしてくださるらしい。改築している間は伯爵家に住んでいていいそうだ。こんなに条件のいい話は今後ないと思う。ルーシェにばかり負担をかけて申し訳ないが、この話を受けてはくれないだろうか」
話を聞いて、一瞬頭に思い浮かんだのは、銀髪の副団長の姿だ。
どうしてなのか分からない。恐くて苦手なはずだったのに。
でも、家族のためにすぐに覚悟を決めた。
「お父様、格が上からの結婚の申し込みは、そもそも断りにくいのでは?」
「うん、まぁ、それはそうだが、相手は後継ぎの長男ではなく次男のほうだ。それほどでも……」
父が気まずそうに口ごもる。
「父上! きっと相手は訳ありなんでしょう? 相手は何歳なの?」
話を聞いていた弟が口を挟んできた。どうやら相手は妻に先立たれた男だと思ったらしい。
「二十を少し超えたくらいだ。相手も初婚だ」
爵位は、上から順に王族の血を引く公爵家、家臣の中で一番位が高い侯爵家。次に伯爵となる。これらの上位の爵位は、領地持ちは当たり前なので、王宮から報酬だけもらう下級貴族のハイゼン子爵家とは格が違った。
彼の実家に睨まれたら、王宮内で仕事が相当やりづらくなるだろう。
拒否権がない状況のように思われるのに、娘に申し訳ないと慮ってくれた父をルーシェは嬉しく思った。
「お父様、こんなにいい条件なら、何か裏があろうと、喜んでお受けします」
でも、ルーシェと結婚した相手には、貧乏の呪いが漏れなくついてくる。それは何とかしなくてはならない。相手を不幸にさせたいわけでもない。
少なくとも弟が学校を卒業するまでは、没落してもらっては困る。
実は、家族を怖がらせたくなくて、呪いのことも指輪を探していることも話していなかった。全部ルーシェ一人が秘密を抱えていた。
「姉ちゃんが言っているとおり、条件が良すぎて、ひよっこの俺でも怪しい結婚話だと思うなー。一度、相手から詳しく腹を割って話を聞いたほうがいいんじゃないの?」
弟も苦労しているせいか、用心深くなっていた。
「ええ、確かにブレントの言うとおりね。相手の都合を是非お聞きしたいわ。お父様、相手とお会いすることは可能でしょうか?」
「分かった。お伺い立ててみよう」
父は安堵した顔で、うなずいていた。疲れ気味の父の顔の皺は深い。ブラントと同じ黒い髪は年とともに白髪交じりになり、伸ばして後ろで束ねている。新緑を彷彿させる緑の瞳が、優しくルーシェを見つめている。若いときは美貌の青年で多くの令嬢を虜にしていたらしい。亡き母が自慢そうに語っていたのを思い出す。
父を少しでも楽にさせてあげたかった。