ウィリアムの姉
数日後、次の新月まで先なので趣味の裁縫をしていたら、メイドのリサが部屋にやってきた。
「ルーシェ様、若様の姉君でいらっしゃるマスリア様がお会いになりたいと伝言がありましたが、いかがなさいますか?」
「まぁ、ウィリアム様のお姉様なら、断る理由がないわ。是非と伝えてもらえる?」
こうしてマスリアと会うことになった。
「初めまして、ウィリアムの姉で、ロートダム伯爵の妻マスリアよ」
銀髪の美しい女性が離れに現れた。吊り目がちな目元がウィリアムとよく似ている。既婚者らしく髪を全部結い上げている。
ルーシェも挨拶すると、彼女は両腕を胸の前で組み、急に睨みつけてきた。
「あなたの評判はよく聞いているわ。ウィリアムを骨抜きにして金づるにしている貧乏貴族の娘だって」
「えっ……?」
初対面の相手からの喧嘩腰な態度にルーシェは怒るより前に驚いて、目を白黒させた。
「この屋敷に来て贅沢三昧らしいわね? 自分の屋敷までウィリアムに直させているとか。このまま調子に乗って当家を乗っ取ろうとしても、私が来たからには好きにさせないわよ、この悪女!」
ビシッと指を突きつけてきた。
「ちょっとお待ちください。まずはお掛けください。落ち着いてお話しいたしませんか? 焼き菓子をウィリアム様からいただいたんです」
「まぁ、いいでしょう」
マスリアは素直に座ってくれた。リサに目配せすると、彼女はテーブルにお茶を用意してくれる。
「私が貧乏貴族の娘なのは事実です。ですが、今回の婚約は、国王陛下からのご提案でウィリアム様から父に申し込みがあったからなんです。当家にとって好条件だったのは、ウィリアム様から結婚に条件があり、事前に支援の提示があったからです。政略結婚ですから、骨抜きという表現は、正しくはございません」
誤った噂話は訂正するべきだと考えていた。
ウィリアムには本命の女性がいるはずだから。そう考えると、ズキンと今までで一番胸が痛んだ。
「ふーん、あくまで違うと言いたいわけね? でもね、私は誤魔化されないわ。あなたたちが仲睦まじく観劇しているところを私の友人が目撃していたのよ! あの、演劇には全く興味がなく、無理やり付き合わせても五分と経たないうちに寝てしまうような弟が! あなたのために頑張ったんでしょう? これが骨抜きと言わずして何と言うの!」
「確かにウィリアム様から誘われてご一緒しましたが、仕事の関係で内容に問題がないのか確認するためだとおっしゃっていましたよ。一人で行くのは体裁が悪いので、婚約者の私を誘っただけだと思いますわ」
「まぁ、まだ認めないつもり? ドレスも有名店で依頼したと聞いているのよ。それにこのお菓子だって、なかなか手に入らない人気店のものよ。寵愛していると言っても過言ではないわ」
「確かに不自由なく暮らせるようにご配慮いただいておりますが……」
「それに、食事だってあなたと一緒にとっていると聞いたわ。愛のない政略結婚とはほど遠いわ! ウィリアムはあなたに好かれたくて、分かりやすく行動で示しているわ!」
マスリアの言うとおり、彼を助けてから彼も離れで食事をとるようになっていた。ルーシェの家族と彼の四人で。
ルーシェの家族からも婚約者との関係が良好だと認識されている。
でも、実際は屋敷妖精だと彼から疑われているためだ。
「ウィリアム様は、婚約するにあたって愛を期待されても困るとおっしゃったんです。だから、当家に十分なほど支援を約束してくださったんです」
説明しながら泣きたくなって、目頭が熱くなってくる。
認めたくないが、ルーシェは彼に惹かれていた。だからこそ、最初に契約した条件によって苦しめられている。
彼からいくら優しくされようと、そこに彼の愛はない。彼は別の女性を一途に愛している。
膨らむばかりの報われない想いが、身を焦がすように苦しめていた。
「まぁ、ウィリアムったら、そんなことを言っていたの? 愛する気はないのに溺愛しているなんて変だわ」
「お話をお伺いして私も困惑しております」
彼が溺愛しているように見える理由は、調査のためだと分かり切っている。でも、疑われているなんて、他人に話せなかった。
「待って! ウィリアムを見捨てたりしないで。あの子に何か事情があるのかもしれないわ。あの、あなたたちの契約を知らなかったから、ウィリアムが利用されていると勘違いして色々と失礼なことを言って悪かったわ」
どうやらマスリアは彼に対してルーシェが悪い印象を持ったのかと心配しているようだ。
「いえ、分かってくだされば、私は気にしませんわ。それにウィリアム様はいつも良くしてくださるので、戸惑うことはあっても嫌いになったりしませんわ。良かったらウィリアム様について色々教えて下さいませ。まだお会いして日が浅くとも、とても良い方だと感じております」
「まあ、あなたはとても気立ての良い方でしたのね。それなのに私ったら酷い勘違いを」
「誤解は誰にでもあるものですわ。ロートダム伯爵夫人、お茶が冷めてしまいますから、どうぞお召し上がりください」
「まぁ、夫人ではなく、マスリアとお呼びになって」
「ありがとうございます。私のことはルーシェとお呼びください」
「分かったわ」
マスリアは微笑みながらお菓子を口にする。
「美味しいわね。まさか、ここでこのお菓子を食べられるとは思ってなかったわ」
「私は貴族とは名ばかりで、貧しい生活を送っていたので、お恥ずかしいことに、今の生活がどれほど恵まれていたのか、よく理解しておりませんでした。お菓子も食べられるだけで、ありがたいほどでしたので」
「まぁ、そうだったのね。本当にごめんなさいね。あの変わり者のウィリアムが女性に沢山時間もお金もかけていると聞いて、てっきり」
「ウィリアム様が変わり者、ですか?」
彼は真面目な印象はあったが、変わり者という評価は意外だった。
「あら、嫌だわ。余計なことを言ってしまったかも」
「あの、よろしかったら詳しくお聞かせください。ウィリアム様を裏切るような真似は致しません。すでに多大なご支援をいただいておりますから」
「そう? なら話すわ。私から聞いたって言わないでね。彼は子どものころ、妖精が見えていたって変わったことを言っていたのよ」
「まぁ、そうだったんですか?」
彼が仕事中にルーシェと屋敷で鉢合わせしていたが、妖精が見えている感じではなかった。
(もしかして、妖精が言っていた『祝福を奪った』という言葉は、彼から妖精を見る力を失くしたという意味なのかしら?)
マスリアはルーシェの驚きの声に深くうなずく。
「そうなの。でも、ある日いきなり見えなくなったらしいのよ。その代わり、夜に何か出るようになったみたいで、うるさくて寝られなくなったと言っていたわ。ウィリアムの目の下の隈はそのせいだったのよ。最近は良く眠れるみたいだけど。ね、変わっているでしょう? でも、それ以外は何も問題はないから安心してね」
夜に何か出るなんて恐怖以外の何ものでもない。それなのにマスリアはウィリアムを変わり者と称するだけで、忌避しなかった。
彼女がウィリアムを家族として大事にしていることがよく伝わってきた。誤解が解けたあと、きちんと謝罪してくれたので、いきなり喧嘩を売られたときは驚いたが、根は本当は良い人なのだろう。
「教えてくださり、ありがとうございます。ウィリアム様にお変わりがないか、注意深く見守りたいと思います」
「ええ、あの子のこと、よろしく頼むわね」
マスリアは事情を理解して、気がかりがなくなったようで、機嫌良く母家へ帰っていった。