雨に打たれた子猫
ナイアガラの様な雨に打たれながら、俺はその子猫を見ていた。
「お前も......同じなのか......?」
俺と同じように、捨てられ、お前は要らないと罵られたのだろうか。
......いや、親に捨てられた訳じゃない分、俺の方がまだマシかもな。
両親は、三年前に他界した。
北海道に赴任する父に着いていった母は、行きの飛行機の中で死んだ......違うな。それだと語弊がある。
殺された、と言うのが適切か。
平和なぬるま湯に浸かった日本にとって、あの事件は近年最大の衝撃だっただろう。
世界中に支部を持つテロリスト集団“アンノウン”が、活動を活性化させるきっかけとなった事件とも言える「札幌行き旅客機ハイジャック事件」は、未だにその凄惨さをニュースで取り上げられる。
その日機内にいた乗員乗客216名の中から何故両親だけが殺されたのかは分からない。
しかし、その最期は他の乗客をPTSDに陥らせる程には、残虐だったという。
「ごめんな......俺の家、ペット不可なんだわ。病院連れてって不妊去勢手術だけしたらここで生きてな......毎日ご飯持ってきてやるからなー」
「にゃぁ」
段ボールの中で子猫が返事をする。
おっと。いけね。このままだと低体温で死んでしまう。
猫を胸に抱き抱え、近くの動物病院に向かう。
せめて体温くらいは分けてあげたい。俺と同じで、今まで奪われてばかりだっただろうから。
子猫だけはこれ以上濡らさないと、今まで以上にしっかり胸元に抱えながら歩調を早め、遂には雨の中を走り出す。
もしあいつらに見つかったら、この子を診てもらう金も取られてしまうだろうから。
今向かっているのは、格安で手術をしてくれる動物病院で、五千円で受けてくれる。野良猫TNR活動を支持している病院なので、この子にも色々と良くしてくれるだろう。だから必ず、無事に送り届ける。
しかし、起きてほしくない事は往々にして、最悪のタイミングで起こるのだ。
「あれ? 翔クンじゃない? なに雨の中必死に走ってんの?」「ほんとじゃん。 しかもなんか抱えてね?」「面白そうだし追いかけてみね?」
ああ、ダメだ。完全に見付かってしまった。
一度目を付けられるとあいつらからは決して逃げられない。
せめて猫だけはと、足元の茂みに子猫を隠す。そして、先ほどと同じ体制で走り出した。
子猫の代わりに、数枚のお札を握りしめて。
「翔クーン? どうして逃げてるのか、な!」「俺らから逃げたら罰金だって言ったよね?」「あ~あ。ざーんねーん。俺達もこんなカツアゲみたいな事したくないんだけどな?」
「(この糞どもが......)」
内心では怒り狂っていたが、それを表に出すと過剰に攻撃してくるので無表情で耐える。
俺に追い付いたあいつらの攻撃は既に始まっていた。
強く肩を押し、されるがままに倒れた俺の腹に足を降り下ろす。
執拗に。何度も。何度も。
俺にどれ程の恨みが有るのだろう。
なぜ俺が狙われているのだろう。
なぜ俺ばかりこんな不幸な目に____
違う。死んだ母さんは言っていた。
『自分ばかりがって考えちゃだめ。皆、辛いこと、苦しい事はあるの。でも、それを乗り越えてこそ大人になれるのよ?』
だから、これは俺だけじゃない。きっと、皆も同じくらいの苦しみを抱えているんだと、自分を納得させる。
違う。納得しなければやっていけないだろ。こんなの......
「やっぱこいつ、どんだけ遊んでも壊れねぇから面白れぇわ」「良かったな! 翔クン! まだまだ遊んでやるって、よ!」「こんな陰キャと遊んでやるとか、やっぱ山田は優しいわ~」
うるせぇよ......一体なんなんだよ......
誰も遊んでほしいなんて言ってねぇよ......
それから十数分して、あいつらは帰っていった。勿論、俺の握りしめていた数千円を持って。
しかし、あいつらが帰った先から、また声が聞こえてきた。
「こんなところに子猫が居るぜ?」「やっちゃう?」「子猫は......」
その子は止めてくれ......
ボロボロで動きが鈍い体に鞭打って、その方向に駆ける。
「猫は......止めてください......お願いします......俺で......いくらでも遊んで良いですから......猫は......」
「は? 翔の癖になに言ってんの? それを言うなら“遊んでください”でしょ? ほら、言え、よ!」
「遊んでください......お願いします......」
そして、また蹂躙が始まった。
だけど、俺の心は先ほどと違って満足していた。
子猫に危害が加えられない。それだけで嬉しかった。
「なあ、この猫苛めたらこいつ、どんな反応するかな?」「はは、それも面白そうじゃん。やってみようぜ?」
止めろ!
そう叫ぼうとした時、意外な所から援護された。
「いやぁ、猫って可愛いし、苛めるならこいつだけで良くね?」
「あ? なに言ってんの? 北嶋」
「あ、そう言えば北嶋猫飼ってたね。しゃあね。こいつだけでいっか」
自分に矛先が向くかもしれないのに、子猫をかばってくれた北嶋に心の中で感謝する。といっても、現在進行形で俺を苛めているのは彼なんだがな。
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午後にもう一話更新します。