2.国王陛下と護衛
走行中の馬車に乗りこめなどと、えらく無茶なことを言う。
そう思ったけど、エイラスと呼ばれた若者はいとも簡単にひらりと車内に身を躍らせ、私とユーティスの向かいに座った。
あ、そうだった、ユーティスがまだ私の隣に座ったままだった。
なんとなく落ち着かないのでもそもそと距離を取ると、何故かユーティスが足を組み直し、さりげなくその距離を詰めた。
ちょっと、狭いんですけど。
足と足が触れて体温が移っているようなのが、なんかこう、なんだろう、言い様もなく恥ずかしい。
こんなこと思ったことなかったのに。急に婚約者とか言われて意識してしまったのかもしれない。
平常心だ、平常心帰ってこい!
と私が一人で心の中の平常心を呼び戻していると、向かいに座った彼がにこっと笑って私に呼びかけた。
「久しぶり、リリア」
え? 知ってる人?
改めて向かいに座る彼の顔をまじまじと見る。
くりくりとした翡翠色の瞳。男性にとっては失礼だが、かわいらしい顔立ち。
「え……」
それが見知った顔であることにすぐに気が付いて、私は目を見開いた。
「エイラス……って、ラス?!」
「今日から俺、リリア付きの護衛だから。よろしくねん」
にこっ、と笑った彼に、私はあんぐりと口を開けた。
ラスのふわふわの長い茶色の髪がなかった。
今、目の前にあるさらさらとした金の髪は耳が見えるほどに短い。
だけど女だと信じて疑わなかったほどにかわいらしいその顔は、間違いなくラスだった。
「護衛? なんでラスが……」
「それは俺が、近衛騎士だから」
「騎士? ラスが??」
頭にはハテナばかりが湧いて来る。
いつもお喋りに来てくれてた、ふわふわでかわいいラスが?
腕も細くて、華奢で、かわいくて、とにかくかわいかった、あのラスが?
そう思ってまじまじと見れば、肩も腕も私が知っていたラスよりもしっかりと筋肉が付いている。
そう言えば、と思い出す。最後に会った時、何か鍛え始めたのかなあと何となく思ったんだった。その前は、しばらく会っていなかったし……。
でもまさか、こんなところで再会するとは思ってもみなかった。
こんな偶然……。
いや。
偶然なわけがない。
「……いつから? どこからがユーティスの命令だったの?」
近衛騎士が偶然女装して薬屋の私と仲良くなって、それが私が国王の婚約者になったら突然王妃付きの護衛になるものか。
いいや、ならない。
「出会った最初からだよ。ごめんね、リリア。騙したくはなかったんだけど、全部そこのユーティス国王陛下の命令なんだ」
私の顔色を窺うと、ラスは全てをユーティスに丸投げした。いい度胸だ。
「ユーティス、どういうこと?」
「だから、護衛だ」
返った答えはシンプルだった。
だけど納得できるはずがない。
ラスと最初に会ったのは、確か四年前。とにかく最近のことじゃない。
そんな時から一体何を企んでいた?
「何でただの薬屋に護衛が必要なのよ」
そう問えば、ユーティスはやや眉を顰めてこちらを振り向いた。
「そうやって危機感なく呑気に生きているからだ」
「はあ?」
喧嘩売ってんのか。
町娘がのんびりきままに生きて何が悪い。
「幼い頃から俺が出入りしていたんだ。人目につかぬようにしてはいたものの、一家を利用しようと企む奴が出てもおかしくない。だから時折様子を見に行かせていた。現に、おまえはよく見知らぬ男から声をかけられていただろうが」
まさか、気にかけてくれていたとは思いもしなかった。
どうせ私のことなんて、殺しても死なないくらい図太いとか言ってるのに。
「でも何で女装? ラスの趣味?」
「違うよ! それは陛下が、二人きりで会ううちに万一にもリリアが俺を男として見――――すみませんなんでもありません」
急速に言葉を止めて矢継ぎ早に謝罪の言葉を繰り出したラスに不審な目を向け、続いて原因と思われるユーティスを振り返る。私の視線をちらりと受け止め、ユーティスが続きを引き取った。
「男がいつも張り付いていると警戒される。敵の尻尾がつかめなくなる」
敵を油断させるため、ということか。
ラスはユーティスをちらりと見ると、私にだけ言うように、声を潜めた。
「もうあの格好もキツくなってたからさ、最近は陰ながら見守るようにしてたんだよね。だから久しぶりに話せて嬉しいよ。前回は確かめたいことがあったから仕方なく、これが最後と思って女装したけどさ。もうずっと、堂々と男の姿で行っちゃいたかったんだよね。でも男の姿の俺がリリアに近づくのは陛下がゆるさな――――ごめんなさいすみません口が滑りましたもう調子に乗りません」
うん。いくら声を潜めても、ユーティスは私の隣に座ってるんだから聞こえるよね。
また視線で脅されたらしいラスは、すみませんと言いながらも全然怯んでいないのが目に見えてわかる。表面上しか謝っていない。
ちらりと見れば、ユーティスが見ていないところでしらっとしている。
図太い。
いや、前から知っていたけど、まさか国王の前でもこんなだとは思わなかった。女装姿で私とお喋りしていたときと何ら変わらない。命令であっても、話していたことはラス自身の言葉だったんだと思えた。
最初は友人を失ってしまったようなショックがあったけど、これからラスが傍にいてくれるのだと思えば逆に心強い。
でも、ラスがこれだけユーティスに平気で物を言えるなら、こんな横暴も止めてくれたらよかったのにと思ってしまう。
「ラスがユーティスにいろいろと報告してたんなら、王宮に行きたくないって話もしてくれたらよかったのに」
非難の目を向けると、ラスは焦ったように言い募った。
「いや、ちゃんと陛下には報告したよ? リリアが言ってたこと、そのままに」
ラスに売られたわけじゃないことがわかって少しほっとする。
でも、なら何でこんなことになった??
眉を顰め、疑問を顔いっぱいに張り付けてユーティスを見ると、こともなげな答えが返ってきた。
「俺を苦しめた王宮の人間どものために働くのが嫌なんだろう? だったら、みなのための宮廷薬師じゃなく、俺のための王妃ならいいだろう」
前半は確かに私が言ったことだ。だけど後半の曲解具合は華麗なほどだった。
確かにユーティスのことが心配じゃないわけじゃないけど、でも、だからって王妃っていう発想は飛び過ぎてると思う。そこまでする必要ある? 女官とかでもよかったじゃん。
っていうか『俺のための王妃』って言葉がパワーワード過ぎていろいろどうでもよくなるー!!
いや心乱されてる場合じゃない!
本丸に乗り込む前に、聞きたいことを聞いておかないと。仮にも国王なんだし、この後どれくらいユーティスと会話ができるのかもわからない。
確か、えーと、そうだよ、他にも違和感あったじゃない。
「そうだ! 何でエトさんに店番なんて頼んだんだろうと思ってたけど、それもラスから聞いてたの?」
「ああ。おまえの交友関係は大体聞き知っている」
ストーカーなのかな?
犯罪チックに聞こえないのは国王補正か。イケメン補正か。ズルイ男だと思う。
でも一つ納得する。
きっと店番の話は私がユーティスの王妃になるためだって聞かされて、エトさんは私の意思にそわないことはしたくないと思っていろいろ聞いてくれてたんだ。
でも私が、ユーティスを好きかと問われて「身分が遠すぎて好きとか嫌いとかいう立場にない」とかお茶を濁してしまったから、エトさんは叶わぬ恋なんだとか誤解しちゃったのかもしれない。
だってエトさんの意図がわからなかったから、曖昧にしか答えようがなかったんだもん。好きとか嫌いで語れるような間柄じゃないのは本当だし。
あー、そうと知ってればちゃんと言ったのに! 腹黒仮面に振り回されたくなんてない、って。
しかし、最近感じていた小さな違和感がここにきてピタリピタリと嵌まっていく恐ろしさよ。
ピースが嵌まった心地よさよりも、ずっとユーティスの掌の上で踊っていたのではないか、と思えてしまうのが怖い。
用意周到。
ユーティスにはそんな言葉がよく似合う。
がんじがらめにされて、逃げられない。
私はため息を吐き、もはや文句を言うのも諦めた。
その身に迫ってくるのは無常観ばかり。
そしてふと気が付いた。
もう一人、私のことをやたらと気にかけてくれた人がいたなあ。
まさか、彼女も――。
「着きましたよ」
外に視線を向けていたラスがユーティスに声をかけ、ゆっくりと馬車が止まる。
馬車の扉が開かれ、そこに見えたのは、白くて大きな大きなお邸。
私のもう一人の友人、ルーラン伯爵夫人のお邸だった。