1.国王陛下と婚約
「で、どういうこと?」
ガタゴトと揺れる馬車の中。
向かいに座り、優雅に足を組むユーティスをこれでもかと睨む。
そんな視線をものともしていないようなのがまた腹が立つ。
どこか満足げにすら見えるから、もはやタチが悪い。
「大体は察してるんだろう」
「愚王じゃなくなれば、また命を狙われるから? だから私を王宮に置いておきたかったの? 当時解毒してた父の知識を引き継いでるから」
毒の対処は迅速な初期対応が肝心。傍に毒の知識がある人がいることは、命が助かるかの大きな分かれ目になる。
「それもある」
「だったら最初からそう言ってくれたらよかったのに!」
そうしたらこんな、大げさな話にならなくて済んだ。
まさか宮廷薬師を断ったら王妃にされるなどとは、誰も思いもしない。
「言っていたら素直に来たか?」
「いや行かない」
「だろう」
うん、まあ確かに。
だけど、だからって王妃にすることはないじゃない?!
あんな徹底的に逃げられない状況まで追い込むとか、鬼なの?
そこまでするとは思っていなかった私が甘かったということか。
「それ。その『それもある』って言い方、なに? 他にもまだ理由があるの?」
どうにも引っ掛かった。
訊ねれば、ユーティスは意味ありげにじっと私を見た。
「何よ……」
「言ってもおまえは信じない。今はまだ、な」
「そんなの聞いてみないとわかんないじゃない」
むっとして言い返すと、ため息を返された。
「少々強引な手段をとったことはわかっている。おまえが罠に嵌めたと怒っていることも。そんな状態で俺の言葉を素直に受け取れるか?」
そりゃあ穿って見るに違いない。それはもう間違いないな。
仮面をかぶりながら、二回も連続で私を罠に嵌めたのだ。
策士の言葉ほど信用できないものはない。
私の顔を見て言いたいことは分かったのだろう。ユーティスは、ふう、と息を吐き出すと、再び真っ直ぐな目を私に向けた。
「悪かったとは思っている。ダーナーが思わぬ若さで亡くなったのは俺にとっても想定外だったんだ。この状況では他にいい方法がなかった。だからリリア、おまえに死ぬまで王宮にいろと言うつもりはないが、今はおまえにしか頼めない。王宮へ来てはくれないか」
真っ直ぐに見つめて言われた言葉に、私はなんとなく拍子抜けしていた。
なんだ。代わりを用意するまでのつなぎだったのか。
それまでと思えば、まあ、耐えられなくはない。ユーティスが毒に倒れないか、心配ではあったし。
それに、急死してしまった父のフォローだと思えば、父の無念も多少は晴らせるかもしれない。
「それならいいわ、期間限定で宮廷薬師を引き受ける。だからもう、王妃は撤回して」
必要なのは薬師としての腕なんだから、王妃になる必要はない。
「撤回なぞ。今更できると思うか?」
言外に、「そもそも薬師を断ったのはおまえだしな?」と聞こえた気がした。
いやいやいやいや。そうだけど、こんなことになるとは思ってなかったんだもん。
「今すぐ撤回すれば――」
「あの町の様子を見ただろう」
あんたがその状況を作ったんだけどね!
とは辛うじて叫び出さずにおいた。
店を出た時、すごい歓声だった。
町の女性は生涯に一度のロマンチックな夢を見たと、うっとりし。
男たちは身分差をものともせず求婚した姿に男らしいと、喝采し。
あれほどの騒ぎになっていては、いまさらひけようはずもない。
仕方ない。
いずれ代わりが来るというのなら、一時の辛抱だ。幸いにも今はまだただの婚約状態だし。もっと相応しい人が現れれば、周囲だって喜ぶだろう。特にあの側近の男ね! ずっと私を睨んでたし!
「役目を終えたら、家に帰っていいのよね?」
「ああ、勿論だ」
「なら、もーいいわ、わかった。代わりが見つかるまでの間、婚約者のフリでも宮廷薬師でも何でもやるわよ。ただ、店のことが心配だからできるだけ早く帰らせてよね」
逃げようとしてもどうせまた罠に嵌められるだけな気がする。それよりは目的がわかっているのだから大人しく役目を全うした方がいい。
だけどロクに片付けもできずに来てしまった店兼家が心配だった。
だからこの時私は店の事ばかり考えていて、ユーティスが意味ありげに笑ったことに気が付かなかった。
「それなら当面の心配はない。エトという婦人はおまえの友人だそうだな。子供の手も離れ、仕事を探していたというから店番を頼んでおいた」
「エトさんに?」
確かに最近はたくさん果実の砂糖漬けをおすそわけしてもらったりと、時間を持て余しているようだった。そろそろ何かしようかなと言っていたのも聞いている。
エトさんは私と同じく薬屋の娘で、薬師の資格も持ってるものの、子供ができてお休みしていたのだ。
薬屋の方は旦那さんが継いでいるというから、私の店を見ていてくれるのならこんなにありがたいことはない。
「ありがとう」
少しほっとしてそう言いながら、頭の中のどこかで、何かがひっかかっていた。
けどユーティスがおもむろに懐から小箱を取り出したから、「それなに?」とそちらに気をとられ、すっかりその小さな違和感を流してしまっていた。
ユーティスは私の隣に移動すると、赤い小箱をぱかりと開けた。
そこに入っていたのは、ユーティスの瞳と同じ、黒曜石のピアス。
あれ、とユーティスの顔を見上げれば、左耳にはそれがあったものの、右耳はただそこに穴があいているだけだった。
「耳を貸せ」
そう言ってユーティスは返事も待たずに私の右耳に手を伸ばした。
「ちょ、くすぐったいんだけど!」
耳なんて触れられたこともないから、くすぐったいし、なんか恥ずかしい。
たぶん顔は赤くなってるんだろう。
ユーティスはそれを面白がるように笑みを浮かべ、手早く私のつけていたピアスを外すと、代わりに赤い小箱から摘まみ上げた黒曜石のピアスを、ぷすり、と嵌めた。
「え。えええぇぇ! ちょっと消毒はしたの?! 煮沸は?! それユーティスがつけてたやつでしょ?!」
それと、ユーティスの顔が近すぎる!
びたん、と馬車の壁に軽く激突するほどに身を離す私に、ユーティスはくつくつと笑い、肩を揺らした。
「おまえは、こんなときにも流されないんだな。雰囲気も何もあったものではない」
あんたにそんなこと言われたくない!
夢も希望もない偽りのプロポーズしてきたくせにー!
「あいつは女ならこれで誰でも落とせると言っていたんだがなあ。計算違いだ。やっぱりリリアは普通じゃない」
「なんだって?」
ぽつりと呟かれた言葉は、心中で文句を言い募る私の耳にはうっすらとしか届いていなかったけど、なんとなくバカにされたようなのはわかる。
聞き返したのを無視して、ユーティスは何も言っていなかったかのように話を続けた。
「これは婚約の儀に使うものだ。ちゃんと清めてある」
婚約の儀、って。
こんなさらっとやっちゃっていいのだろうか。こんな移動中の馬車の中で。
しかも、いずれは本当の婚約者に渡すってことでしょ?
こんなの私が着けちゃっていいんだろうか。
「邸に着く前に、顔を合わせておきたい奴がいる」
戸惑い、耳に新しく嵌められたピアスの感触を確かめていると、ユーティスはそう言って馬車の壁をコンコン、と叩いた。
「エイラス、リリアに紹介する。入ってこい」