4.国王陛下は説く
で。
「結局大事なこと、何にも聞いてない」
「ああ。何でも聞け。おまえが落ち着いたならな」
俺はそこそこ満足したからな。と優雅に親指で口元を拭ったユーティスが、三日月を浮かべるように笑む。
「そこそこ」という言葉に、嘘でしょ?! と思わざるを得なかったが華麗にスルーしたのは賢明な判断だったと思う。
私はまだ赤らんでいる顔をなんとか落ち着け、「まず――」と切り出した。
「アイリーンが私の代わりに、って言ってたのは結局どういうことなの?」
それはアイリーンに聞いた方がいいのかもしれないとも思ったが、ユーティスがとっても心当たりがありそうだったので訊いた。
「王妃教育がまだ足りていない、社交界に疎いリリアの補佐を買って出たんだ。これまで自分が努力してきたものを無駄にせずに済むと張り切っていたぞ。ハハハハしばらくはスパルタだな」
何を言っても楽しそうなのが癪に障る。
くそう。
全てを知るが故の余裕なのか、思う存分私を屈服させ満足したのか。
両方な気がする。
「アイリーンが、側室とか、そういう……」
もごもごと口にした私にユーティスが言葉をかぶせた。
「側室は娶らん。俺の隣に立つ女は生涯おまえただ一人だけだ。だから、みなリリアを王妃にするために奔走している。ノールトも、公爵も、アイリーンも、ルーラン伯爵夫人も、メーベラも、カゲもな」
そんな大事になっていることに思わず腰が引ける。
ノールトがあれほどまでに私を目の敵にしていたのは、認めていない私を王妃にするために奔走させられていたからなのだろうか。
「完全に杞憂だっただろう。そんな誤解をするのはおまえくらいだ」
「で、でもラスだって否定しなかったし」
「わざわざ敵に塩を送る奴じゃないだろうが。自分にいいように黙ってただけだろう。まったく、あいつは本当に油断ならん」
ユーティスはラスのことも知っていたのかと驚く。
それでも傍に置いてくれているのは、それだけラスの腕を信用しているからだろう。
「じゃあ、なんで私をいずれ薬屋に帰してくれるって言ったの? 期間限定だっていうから、いずれ本物の婚約者が現れるものだとばかり――」
「ああ。それは俺が王を降りるからだ。そうしたら共に薬屋に帰るつもりだった。リリア一人で帰すとは一言も言っていない」
「なるほど。って、はあ??」
開いた口が塞がらなかった。
王を降りるって、そんなこと簡単にできるわけがないのに。
「だからノールトも拗ねていたんだ。あれは俺に王を続けさせようと最後まで抵抗していたからな」
「降りるって。降りて、一体跡は誰が継ぐのよ」
「それは国民が決める。国王の世襲制を廃止し、選挙制にするんだ」
貴族も市民も同じ一票であること。
そして毒物を利用した者、人を貶めた者、正当な理由なく人を傷つけた者、命を奪った者はその対象から外すこと。
それが貴族であれば、罪の大きさに応じて財産を没収する。その財産は、誰でも治療が受けられる施療院の運営に充てることをユーティスは話してくれ、私はただひたすらに口を開くしかなかった。
メーベラ様に頼んでいたことというのは、議会において世襲制廃止に賛同してもらうことだった。また、議会の場で直接意見を述べてもらったのだそうだ。
メーベラ様は前国王の代わりとして、それを支えた元第三王妃の立場から、これまでの世襲制への問題提起、それから幼い命が失われ続けてきた不条理を説いた。
世襲制のメリットは、幼い頃から帝王学など立派な王として必要な教育を徹底的に受けられることだろう。だが前国王が賢王だからといって性質まで受け継がれるとは限らない。
であれば、国民の中から優秀な者を国王としてたてた方がよほど国の益がある。
そうしてノールトが他国の前例から選挙制に移行することによるメリットとデメリットを提示した。デメリット対策も併せて提示することで、今よりもよりよい政治が敷けることを筋道を立てて説明した。
公爵が賛同の意を示すことでそれにならう者も多かったが、それでも根強く反対する者には地道に説得してくれた。
そうして先程、やっと議会で大筋の合意を得られたのだという。
そんな話をユーティスから聞かされ、私はあまりの事の大きさに呆然とした。
「いつから……そんなこと考えてたの?」
「そうだな。幼い頃からぼんやりと考え始めたことではあった。だが幼い弟たちが理不尽に命を奪われたことで、方向性が定まった。毒の断絶には物理と心理両面からの抑制が必要だ。毒を利用し得する者がいてはいつまでも毒はなくならん。だから目的の逆、つまり失脚するぞという結果をわかりやすく提示することにした」
ドルディが言っていた通り、毒で得をする者がいる以上は新しく毒の入手ルートができるだけだ。
誰かを引きずり下ろしたいのは、自分か、自分に得のある人が上に行くため。だから、その舞台から引きずり降ろすことを法で定めるのだろう。
しかも、そこから施療院の運営にまでつなげるなんて。
見事としか言えない。
考えつく者はこれまでにもいただろう。
でもそれをやりおおせるのは並大抵のことではない。決して一人ではなしえないからだ。
どんなにそれを理想として掲げる者がいても、反対も根強い。それまで甘い汁を知っていた者は特に。それらを説き伏せ、従え、一つにまとめて向かって進んで行く力がユーティスにはある。
仮面をかぶっているのではない。
本物の賢王だ。
そんな人が王を降りるというのだから、ノールトが私を憎むのもわかることだった。
初めてノールトに、申し訳ないという気持ちが芽生えた。
私だってユーティスが国王でなくなるのは、本当にそれでいいんだろうかと思ってしまう。
それがわかったのだろう。
ユーティスはふっと笑って頬杖をついた。
「さっきも言っただろう。俺は一国の王として相応しくない。俺はおまえのためにしか働けんからな。そんな俺でもまた王にと国民が望むのなら、再び王として立つ。だが任期は最長で四年。再選はなしとした。長らく独占すると腐敗するからな。細かいことはまだこれから決めていくが、大筋は通った」
私はようやく納得して、こくりと頷いた。
「アイリーンのことで公爵の協力を得られたのは大きかったからな。他にも一連の騒動で尻尾を捕まえた奴らを議会に並べて承認を得た。おまえの苦しみも無駄にせず済んだし、おまえも命をかけこの国の礎となったのだから、もう十分だろう。数年後に二人そろって隠居しようと構うまい」
これまで毒や謀略により辛い目に遭った人、犠牲に遭った人の思いもユーティスは無駄にせず、一つの打開しがたい未来につなげた。それは救われる気持ちがした。
ユーティスの黒曜石の瞳が私の瞳を覗き込んだ。
「俺が王としての務めを終えたら、共にあの薬屋へ帰ろう。それまでは王妃として俺の隣にいてくれ。それがおまえに頼みたいことだ」
「――うん」
心の奥から望んだもの。
それが手に入る喜びを、初めて知った。
つっ、と頬を涙が一筋流れていった。
喜びで涙を流すのは、初めてのことだった。
ユーティスの細く長い指が頬の涙の跡を拭い、それからそっと笑った。
つられて笑った私の唇に、ユーティスの唇がそっと触れた。
そうして国王陛下は、今日も仮面の下で笑った。




