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1.国王陛下の隣

 ドルディの件から数日。

 ユーティスは毎日忙しく奔走していて、ロクに話す暇もないまま時が過ぎていた。

 ラスが私を呼びに来たのはそんな中だった。


「執務室に行けばいいの?」


「うん。陛下がこれからのことで話があるって」


 メーベラ様のところで頼みたいことがあると言っていた件だろう。

 ついにその時がきたのだ。これが済めば本当にお役御免となる。


「わかった」


 ユーティスが毒に狙われるリスクも減らせたし、晴れて薬屋に帰れる。

 それなのに気分が沈むのは何故なのか。

 整理がつかないままラスと二人歩き出すと、背中から声がかかった。


「リリア様」


 振り返ると、アイリーンの姿があった。

 アイリーンは「この度は……」と深々と頭を下げ一通りの謝罪を述べると、そっと顔を上げた。


「ずっと直接お会いしてお話がしたいと思っておりましたの。あれからリリア様のお姿を見ることもできませんでしたので。自分がしでかしたことではありますが、お元気そうでほっといたしました」


「ありがとうございます。アイリーン様もお元気そうでよかったです。ルーラン伯爵夫人との生活はいかがでしたか?」


「ええ、よくしていただいて……とても楽しかったです。リリア様のこともいろいろと聞かせていただきました。お二人が楽しんでらした小説のお話だとか。私もはまって一気に読んでしまいましたわ」


「本当? やっぱりアイリーンとは気が合いそうね。仲良くなれそうだと思っていたの」


 そう言うと、アイリーンは改めて私の正面に向かい合った。


「私はその場で斬って捨てられてもおかしくない立場でした。ですが、リリア様はあの短時間で私のことをきちんと見てくださっていた。そうしてあの時、倒れながらにも私のしたことではないと仰ってくださったおかげで、そちらの騎士様に一刀両断にされずに済み、こうして再び相まみえる機会をいただくことができました」


 人からあんな殺気を浴びたのは初めてのことです。そう言ってアイリーンはちらりとラスを見た。

 ラスは「えへ」と頭をかいていたけど、あまり悪びれた様子はない。本当に私が何も言わなかったらそうするつもりだったのかもしれない。改めてあの時の私を褒めたい。


「リリア様には感謝しきれません。ですから、私はこれからあなたの代わりに手となり足となり、精一杯務めさせていただきたいと思います」


 その言葉に、アイリーンが本当の王妃としてユーティスの隣に立つのだと悟った。

 アイリーンは晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。意気揚々と未来に向かって進んで行く。そんな希望に満ち溢れていた。

 言葉が出なかった。

 喉元に石を詰め込まれたみたいに。


 あなたにこそ王妃は相応しいわ。そう言うべきなのに、言葉がつかえて何も言えなかった。


「……ええ」


 辛うじて相槌を返すと、不思議そうな顔をしたアイリーンをその場に残し、私はラスと再び歩き出した。

 前に向かって歩いているはずなのに、ちっとも進んでいない気がする。

 全身が進むのを拒んでいる気がする。


 誰かにユーティスの隣を取られたくない。

 ユーティスの傍を離れたくない。


 あの手が私以外の誰かの頬を撫でるのは嫌。

 お風呂の後に私が邪魔な髪を三つ編みにしていたのを、ユーティスがゆるゆるとほどくあの手を思い出す。誰かの髪にあんなふうに、楽しそうに、そっと、慈しむように触れるのは嫌。

 私の右耳の黒曜石のピアスを癖にでもなったかのように自然に触れる、あの手が好きだった。

 あの手が、彼の伴侶であることを示す黒曜石のピアスが、誰かのものになるなど、耐えられない。


 気づけば一歩も進めなくなっていた。

 涙がぼたぼたと廊下に零れて落ちていった。

 涙で前が全然見えない。そりゃ歩けないわ、と自分で自分にツッコミをいれても笑えやしない。


 ふわりと、誰かの温もりに包まれて驚く。

 胸元の徽章が頬に冷たく触れた。


「ラス?」


「バカだなあと思って」


 おい。

 知ってるけど。


「一応ツッコんでおくけど、泣いてる女を抱きしめながら言うことじゃないよね」


「うん。けど付け込むなら今かなと思って」


「付け込むって、何を」


「リリア、好きだよ」


 一瞬涙が止まった。

 冗談でしょ? と聞くのは失礼な気がした。けれどにわかには信じがたかった。

 それがわかったのだろう。ラスは苦笑して、話し始めた。


「俺がかわいいラスちゃんだった頃から、好きだったよ。陛下がどうして俺に女装させてリリアに会わせたのか、まあ、すぐにわかった。リリアは面白いし、おさげにダサ眼鏡でもかわいいし、飽きないし。ずっと傍にいたらそりゃ好きにもなるよ」


 そう言ってラスは、体を離し私の目を覗き込んだ。


「リリアが泣いてるのはどうしてか、何となくわかってるよ。リリアが望むなら、俺がこのまま薬屋まで連れて帰る」


 王妃が正式に決まったのなら、私に頼みたいことがあると言っていた件も、もう私でなくていいはずだ。

 話というのもそのことなのかもしれない。

 けれど私はすぐには頷けなかった。

 あれほどまでに帰りたかったのに。


「薬屋に戻ってももう命を狙われるようなことはなくなるよ。陛下がしたみたいに、今度は『陛下に心底から嫌われて王宮を追い出された』って噂を流せば利用価値も見出されなくなるだろうから。そしたら俺と二人で平和に薬屋やろうよ。どっちにしろ、リリアを連れて逃げるまであとカウント1だったし」


「え?」


 最後の一言に、きょとんとなる。


「言ったでしょ。俺がリリアの専属護衛になると決めた時、陛下と契約したって。契約内容は、リリアの意思に沿うこと。そして全てのものからリリアを守ること。『全てのもの』には陛下も含まれてる。陛下は自らリリアを手放すことはできないから。だからあと一回、リリアが危険な目に遭ったら俺はリリアを連れて王宮から出るつもりだったんだよ。毒からは守れなかったし、やっぱり王宮は危険がいっぱいだからね」


 これは陛下の命令でもあるし、俺が契約する条件でもあったんだよ、とラスは言った。


 ユーティスには忠誠を誓っていないとラスが言っていたことを思い出す。それはこういうことだったのか。

 ラスがユーティスに与しない第三者としての立場でいることで、ユーティスは常にわが身を振り返る必要があった。それはある意味貴重な存在だったことだろう。

 そのラスを連れて出て行くなんて、私にはできない。ラスはユーティスにとって必要な人だ。

 何より。

 私はラスの気持ちに応えることはできない。


 いつもの笑みを浮かべたまま、ラスはもう一度私の顔を覗き込んだ。


「で、俺の一世一代の告白に対する答えは?」


 聞かなくてもわかってる。そんな顔してるくせに。


「私、ユーティスが好き。きっと私は薬屋店主に戻っても、ユーティスを忘れることはできない」


 それを言葉にするのはとても力がいることだった。

 最後の砦を自ら踏み倒すほどの勇気がいった。

 でも言ってしまうと、妙にすとんと胸に落ち着くものがあった。


 そうだ。

 私はユーティスが好きなんだ。

 たぶんもう、ずっと。


「知ってたよ」


「ごめんね。ラス、ありがとう」


 ラスは笑ってそれを受け止め、繋いだ手を引いて歩き出した。

 それからそっとその手を離した。




 胸が痛い。


 気持ちは嬉しいのに、応えられないことが。

 ラスのことは好きなのに、ユーティスとは違う好きであることが。


 私も今の想いをユーティスに告げれば、ユーティスにそんな想いをさせることになるんだろう。



 いつからユーティスを好きになってたんだろう。

 思えば、毒に苦しむユーティスをあれほど助けたいと願い、毒の勉強を始めたのも、そういうことだったのかもしれない。

 気づいてしまったら、辛いだけだから。だから、ずっと見ないをフリしてたんだって、今ではわかる。


 私の中にはずっとユーティスがいた。

 国王になってしまって、店に来てくれなくなって。忘れようともした。

 でも忘れられるわけもなかった。

 そんなときに突如として現れたのだ。

 いつもいつも、ユーティスが来るのは突然だった。


 そうしてユーティスは、いつの間にか私の知らないところであの手この手で罠を張り巡らせていた。

 すっかり罠に嵌まりこんで、結局心までがんじがらめにされてしまったのだ。


 ユーティスはいつも勝手だ。

 自分の都合で、いつもいつも私を振り回す。

 賢王の仮面をかぶって婚約者を溺愛しているようなフリを国民たちに見せつけて。

 私まで本当に好きにさせて。


 くそう……。

 だんだん腹が立ってきた。


 正直、最近ずっとユーティスのことでもやもやしたり寂しくなったりなんかわかんないけど辛くなったりしてたから、それが全部ユーティスに振り回されたせいだと思ったら、急激にどうしようもなく腹が立った。

 好きになった方が負け。

 そんな言葉が浮かんだけど、知るか。


 このまま何も言わずに去るのは性に合わない。

 ユーティスが悩もうがどてっ腹が凹もうが知ったことか。


 私はユーティスが止めたおかげで無事だった左手を固く握り、執務室の扉をノックした。


 最後に一発殴ってから帰ろう。

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