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7.国王陛下を蝕む毒を放つ者の言い訳

 ドルディの母は病で亡くなった。

 薬があれば治る病だった。だが貧しく薬を買うことができなかった。

 貴族は生きるのに必要ではない宝飾品をあれこれと買うのに、何故自分たちには生きるのに必要な薬を買うお金さえないのか。

 生きて欲しいと望んだ母の命は薬があれば助かったのに、貴族は誰かを死ねと願い金で毒を盛る。


 何故こうも違うのだろう。

 同じ生き物のはずなのに、生まれた家が違うだけで生死の選択権まで違うなんて。


 ドルディは強く思った。

 誰かが薬を得られなくて死んでしまう世の中はもう嫌だ。

 だから薬師になって、誰でも薬を得られるようにしよう。

 そのためにはその分のお金を稼がなければならない。

 そこで、お金をたくさん持っている貴族をターゲットにした薬屋にすればいいと思いついた。

 貴族は美容に気を遣うから、肌をきれいに保つという触れ込みの薬を売ればいい。

 でもまだ足りない。

 そうだ。貴族は毒を欲しがっている。それなら毒を売ればいい――。


 そうしてドルディは、化粧品を買いに来た貴族と店員が話す様子を窺い、毒を売りつける相手を探した。

 最初に声をかけた貴族はすぐに食いつき、多額の報酬が手に入った。

 だが度々様子を見に来ていたギトが毒を精製するときの異臭に気が付き、咎められた。

 ギトはドルディの弟子入りを断っていた。既に弟子がいて手一杯だからと。それなのに、そうして様子を見に来るのが鬱陶しかった。どうせ面倒も見られないくせに中途半端に優しくするなと思った。

 だがしつこく来るものだから毒を煮詰めることができなくなった。

 そこで思い出した。

 ギトの娘エトがドライフルーツをよく作っていることを。ドライフルーツは乾燥させることで栄養分が凝縮される。毒も天日干ししたら濃度を高めることができないかと思いついた。


 元々エトにドライフルーツの作り方を教えたのは、ドルディの母だった。ドルディも母を見ていたから作り方は知っている。薬草を天日干しする傍らでドライフルーツを作ればいい。どうせルーチンワークなのだからそれほどの手間ではない。

 それにドライフルーツを使ったことがわかって毒の出元を探られても、真っ先に怪しまれるのはエトとギトだ。

 そう考え、ドルディは果物や野菜に毒を漬け込むようになった。

 ドライフルーツにすることで、本来の酸味や苦みは甘みに覆われる。薬草も同じように砂糖に漬け込んでやろう。せめて苦い思いをせずに済むように。

 それがドルディなりの、毒を浴びる者への優しさのつもりだった。


 解毒薬を一緒に渡したのは、ドルディが人を殺すために毒を作っているのではなく、あくまで金儲けのためにしていることだったからだ。ドルディ自身が誰かに死んでほしいと願っているわけではない。

 だがどうせ貴族は己の手を汚さず、指示するだけ。毒を盛るその場にはいない。だから解毒薬が実行者の手に渡らなければ意味がない。ためらうのは実行者だけ。


 それでも、それがドルディにとって自分が悪いのではないという自己弁護の最後の砦だったのかもしれない。


     ◇


「別に私が毒を売らなくてもどこからか貴族は毒を手に入れたでしょう。毒で死ななくてもナイフがあれば、剣があれば人を殺すことはできる。私が何もしなくたって、死ぬ人は死ぬ。だったらそこで私が金をもらって、薬が必要な人のために使って何が悪いというのです。誰かに不要だと言われる命の代わりに、生きて欲しいと願われる命が救われる。私は有効に循環させていただけなんですよ」


 私は独白を終えたドルディに、そっと近づいた。

 うつむきがちに話していたドルディがそれに気付いて顔を上げた。

 その瞬間、私は思い切りその横っ面に蹴りを入れた。


「――!!」


 歩く動作の流れのままに、予備動作なしで防御する隙も与えずに蹴り込んだので、勿論ドルディは座っていた作業台から転がり落ちる。

 手をついて上半身を起こすと、頬を抑えて憎々しげに私を睨んだ。


 痛かろう。

 これまでただその手を手袋で覆い、植物から毒を抽出し、天日干しをしていただけのドルディの体は、痛みを知らない。

 ナイフを持ち、皮膚と肉が切れる感触を知ることもない。

 毒を浴び、苦しみもがくその顔すら、ドルディは見ることがないのだ。

 それが、毒が最も厄介な理由だ。

 罪の意識が生まれにくい。他者任せにし、他者のせいにしてしまう。手を汚さねばならぬ人が増える。心に傷を負う犠牲者が増える。

 ナイフのように己を守ることもできずに、毒はただ人を死に至らしめるものなのだ。

 こんなかよわい私の蹴り一つでその痛みをドルディにあじあわせることなどできない。

 それでも、自分のせいではないとのたまうこの男に、亡くなっていった王子たちの、ユーティスの苦しさをほんの少しでも噛みしめろと言いたい。


「あなたはさっき、どれだけの国民が薬を得られず死んでいくか知っているかとユーティスに聞いたわね。なら、あなたは毒に倒れて幼いままこの世を去った命がこれまでどれだけあったか知ってる? 我が子の死を受け止め切れず自ら命を絶った母親がいたことを知ってる? 今も我が子を想って、何の楽しみもなくただ弔いの日々を送っている母親がいることを知っている? それらが全て、あなたの毒がもたらしたことだって、知っている?」


 そう訊ねれば、ドルディの瞳から少しだけ鋭さが薄れ、代わりに戸惑いが滲んだのがわかった。


「幼い頃から毒を浴び続けて、伯母からも毒を盛られて、誰からも疎まれる命だと絶望して、生きることを手放そうとした人がいることを知ってる? それでも、絶対に死なせたくない。私が助けるんだって。私がこの人を一生守るんだって心に決めて、毒の研究に持てる時間を費やした人だっているのよ。どんな人にも、生きて欲しいと願う人がいるってこと、あなたが一番知ってたんじゃないの? 目の前で大切な人が苦しむ姿を見るのが、どれだけ辛いことか……。命を奪わないでって、願う夜がどれだけ辛いことか、あなたが一番よく知ってるんじゃないの? あなたが母に死なないでと願った気持ちと、一体なにが違うって言うの」


 ドルディは呆然とし、それから歯噛みをし俯いた。

 言葉は届いている。

 だけど、きっと本当にはわかっていない。

 彼の言い訳にまみれた独白を聞いていればわかる。

 ドルディは大事なことから目を逸らし続けている。

 自分は悪くないのだと、他の人よりも気遣いをしているのだからいいだろうと今も自分に言い聞かせているのだろう。


 私の言葉を聞け。

 今まで見ないふりをしてきた、ドルディが苦しめてきた人間の姿を少しでも見てきた私を、ちゃんと見ろ!


「あなたが救えずに流した涙を、王宮でも流し続けている人たちがいるのよ。命に優劣をつけているのはあなた自身よ、ドルディ」


 震えが止まらなかった。

 これまでずっと溜め込んできた怒りが、体内をぐるぐると駆け巡っている。

 まだだ。まだ、言葉にできない怒りが渦巻いている。


 この思いが全部、ドルディに伝わればいいのに。

 メーベラ様や、これまでに亡くなった王子たち、王妃たちの思い。

 私はそれらをあますことなく伝える言葉を持たない。

 人の想いなど、すべて理解できることでもなく、すべて言葉にして伝えられるものでもない。わかっているからこそ、もどかしかった。悔しかった。


 ドルディは砂にまみれてその場に座り込んだまま俯き、地面を見つめていた。

 怒りに震える私の肩を、ユーティスがそっと支えた。

 そして私の隣に立ち、ドルディを見下ろす。


「ドルディ。おまえの毒を浴びて死ななかった者は俺とリリアだけだ。他の者はおまえが丹精込めて作った毒で苦しみ悶え死んでいった。毒見の者も何人もな。誰が毒見をしてるか、知っているか? おまえと同じ、貧しく薬を買うこともできない国民だ」


 ドルディがゆっくりと顔を上げた。

 その顔は、苦痛に歪んでいた。


 言葉が届いたのだと思った。

 自分の中の言い訳と戦っているのだろうと思った。

 だけどドルディは投げやりに口を開いた。


「どうせすべての国民を救うことなどできない。だったら一人でも多く私のおかげで助かる命があれば――」


 もう一発お見舞いした。今度は拳で。


「うぐっ――!」


 ラスの呆れたようなため息と「懲りない奴……」と小さな呟きが耳に届く。


「これはみんなの分。あなた、言ってることがめちゃくちゃよ。檻の中でよくよく考えなさい。そんな痛みがあっても生きてるあなたと、何が起きたかわからず死んでいった人たちのことを」


 私の拳もむちゃくちゃ痛かった。たぶん、骨イッてると思う。

 だけど毒に倒れて行った人たちの苦しみは、私とドルディの二人合わせても全然足りやしない。

 私は左の拳を振り上げた。

 その手をユーティスが掴んで止める。


「両手ともぼろぼろにする気か」

「私の分がまだよ」

「最初に強烈な一撃をくらわしただろう」

「あれはユーティスの分」


 ふうふうと荒く息を吐く私の頭に、ユーティスがぽんと手を置いた。


「おまえの分は俺が受け止める。それ以上やると、そいつ死ぬぞ」


 言われて、仕方なく拳を収めた。


 ドルディには罪を償って、ちゃんと理解してほしい。

 今すぐには理解できなかった言葉の分も。私が伝えきれなかった、言葉の分も。

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