3.国王陛下のいないティータイムで
「私たちがお茶に同席させていただくなど、いいんでしょうか……」
私がさあさあと手招きしたのは三人の侍女ズ。
栗色のおさげがアイラで、金の長い髪をアップにしてるのがスザンナ、短い茶色の髪でそばかすがかわいらしいのがユニー。
うん、名前は覚えた、完璧。
テーブルには四人分のお茶と、エトさんのお店で買ってきたオレンジの砂糖漬け。
酸味と甘みと苦みが一体となってお茶請けにぴったりなのだ。
「私は王宮に知り合いがいないし、一人でお茶するとか寂しいのよ。だからみんなが付き合ってくれたら嬉しい。ちゃんと女中頭のジェンナの許可はもらってるよ」
そう言うと、三人は互いに目を見かわしながら「それでは……」と席につき、おずおずとお菓子に手を伸ばした。
最初に私が一口齧ると、やっぱりエトさんのは格段においしいなあとほっぺが垂れる。
砂糖がキツすぎなくて、ほどよい天日干し加減のせいなのか自然な甘みが口の中に残る。
そこにお茶を一口含むと、飲み込んだ後にオレンジピールの苦みからくる清涼感がふわっとやってくる。
うーん、さっぱりしてイイ!
「リリア様、ではいただきます」
三人も「おいしいです」と笑ってくれ、遠慮がちながら次第に顔がほぐれていった。
おいしいものは人の距離を近づける。
私は味方が欲しい。
まず情報がなければ王宮内でうまく立ち回ることもできない。
男であるユーティスやラスの持つ情報と、女が持つ情報の性質は異なる。
もしかしたら先日の毒前菜の件につながるような、新しい話も聞けるかもしれない。
それとは気付いていないだけで、何気ない会話からそれがもたらされることだってある。
……とか言って、正直を言えば寂しかっただけというのが大きいかも。
そのうちご令嬢方とも接する機会が出てくるんだろうけど、仲良くなれるかなあ。
◇
と思っていたら、すぐにあちらから声がかかった。
私が侍女たちとお茶をしていると聞きつけたご令嬢が、「私も参加させてくださいませ」と言ってきたらしいのだ。
アイラとスザンナとユニーたち侍女ズの話によると、どうやら影のユーティスの婚約者候補として名前が挙がっていたらしい。
「影の、ってどういうこと?」
そう訊けば、スザンナが声を潜めて教えてくれた。
「ユーティス陛下は、これまで一度も婚約者をお決めにならなかったんですよ。ですが当然、周囲が放っておくわけもなく、年ごろの娘を持つ方たちのいざこざが絶えず。そこで近臣たちが勝手に誰が最もふさわしいかと相談し、何人かの候補を立てていたのです。その筆頭が、公爵家令嬢のアイリーン様なのです」
そのアイリーンたち候補となった令嬢たちは、王宮に日毎通い、パーティでも順に踊るなど周囲も一丸となってユーティスにアピールを続けたが、これまで誰一人相手にされることはなかったらしい。
愚王だったときはさも何もわかっていないような顔でスルーされ、賢王になってからは爽やかに笑ってスルーされ。
そう聞くとちょっとご令嬢たちがかわいそうだなとも思うけど、私が王宮に来て三日というこのタイミングでお茶の同席を求めてくるのだから、ガッツはありそうだ。
私が迎え撃つ覚悟を決め、了承の旨を伝えてもらうと、公爵令嬢アイリーンは早速やってきた。
アイリーンは緋色の巻髪に緋色のドレスと、なんとも情熱的な装い、というか、もはや戦闘服だった。
ちょっとつり目がちだけれど大きな瞳も燃えるような赤。
見た目は絵に描いたような「オーホッホッホ!」を連発する アレっぽかったけれど、真っ赤な瞳はしっかりと私を見ていた。たぶん、この人はちゃんと話が通じる人。
対面するとアイリーンはすぐさま私に対して、国王の婚約者に対する礼をとった。
「私はアイリーン=シュバルツと申します。公爵家の長女でございますわ。この度はお茶会に同席させていただき、光栄に存じます。ずっとお会いしてみたいと思っていたんですの」
優雅に口元を笑ませたアイリーンに席を勧めると、全てにおいて優雅な仕草で席についた。惚れ惚れする。完璧なご令嬢の見本みたいな人だ。
「アイリーン様。私もお声がけいただいたことを嬉しく思っています。まだこちらに友人と呼べる人はおりませんし、右も左もわからず不慣れでして」
続けようとして、うーん、腹のさぐりあいは面倒だなと思った。
だから直球で聞いた。
「時に、アイリーン様はユーティス国王陛下と親しい仲と聞き及びました。此度の私との婚約で、ご不快な思いをされたのでは?」
そう言うと、アイリーンはつり目がちな目を見開いて、それからにこっと口元を笑ませた。
「リリア様は市井の方とお聞きしましたけれど、本当に私たちの常識は通じなそうですわね。どうお答えしたらよろしいかしら。でもそうですわね。貴族的な腹の探り合いは面倒だと思われたのでしょうから、私もいさぎよくお答えいたしますわ。ズバリ不快でございます」
おお。言った。
大抵こういう場合は猫をかぶったり嫌味ったらしくねちっこくくるのかと身構えていたら、予想外のドストレートだった。
嫌いじゃない。自然と笑みが浮かんだ。
「率直な思いを聞かせていただきありがとうございます。不快な理由は、私が庶民の出だからですか? それともいきなり現れて横からかっさらうような形になったからですか?」
「そこまで突っ込んで聞かれるとは思ってもおりませんでした。ですので馬鹿正直にお答えすることをお許しください。答えは、どちらもでございます」
そうですよね。
壮絶なるジャブが繰り出されるような気がしたけど、質問した側なので黙って最後まで聞く。
「私たち貴族に生まれた者は、幼少の頃より社交界に出て恥ずかしくない教育を受けます。特に私は公爵家ですので、陛下の隣に立っても恥ずかしくないようにと、厳しい王妃教育も受けてまいりました。私の他にも同じように自分こそが王妃になるのだと己を磨いて来た者がいます。その中から誰が選ばれても文句の言いようはありませんでしたが、ぽっと出に奪われるなど、さすがに腹に据えかねますわ」
本当に、随分と正直に明かしてくれたなと思う。
勿論文句を言いたいからというのもあるだろう。
まっすぐに私を見る目には、何故自分ではないのかという疑問や、腹立たしさが見える。だけど、そこに嫌悪の色は見えない。
庶民だからと見下しているのではなくて、自分のしてきた努力を経ていない者が選ばれたことが腹に据えかねる、という感じだった。そりゃそうだ、と私も納得する。
これはどう答えるべきか。
私は本当の婚約者じゃない。いつか役目を終えたら、その時こそアイリーン達の中の誰かが選ばれるんだろう。
だけどそのことを明かすことはできない。
それに、何故かはわからないけど、最終的にはどうせあなたたちの誰かがユーティスと結婚するのよ、とは口が裂けても言いたくなかった。
「アイリーン様のお気持ちはわかりました。ですが私にも、ユーティスを陰ながら支えるという役目を負っているという強い自負があります。ですから、どなたに何を言われようとも、私がユーティスに必要とされる限りはこの場を退くつもりは微塵もありません」
真っ直ぐにアイリーンを見つめて、言葉一つ一つを大事にしながら伝えたつもり。
アイリーンはしばらく何も言わずに私の目を見返していた。
真っ赤な燃えるような目は情熱的な色だったけれど、とても冷静で、静かに私を見ていた。きちんと見定めようとするように。
「リリア様の思いはわかりましたわ。だからと言って、私たちのこれまでの努力をないがしろにされた思いが霧散するわけではありません。ですが、単なる事実を言えば、そんな努力をしても選ばれなかったのは私たちの負けでしかありません。私たちは王宮で、舞踏会で、何度も陛下とお会いする機会がありました。ダンスをご一緒させていただいたことも、お食事をご一緒させていただいたこともあります。それでも陛下は私たちを選びませんでした。それが事実です」
私が戦っていかなきゃならない『貴族のお嬢様』、って、もっと一方的に物を言ったり、見下したり、そう言う人たちを想像していた。
だけど心まで高潔な、本当の貴族もいるんだと思い知った。
家と自分の生まれに誇りがある。だからこそ、彼女は凛として己の思いと事実とを分けて話すのだ。
ルーラン伯爵夫人からも、『貴族なんてクソの集まりよ』、なんてまさかの言葉を聞いたりしていたものだから、偏見があったのは私の方だった。考えてみれば、そんなルーラン伯爵夫人のことだって私は大好きなのに。
私が何も言えないでいると、アイリーンは少しだけ寂しそうに笑った。
「ですが、事実がどうであれ、想いまでそれにならうわけではありません。ですから、しばらくは私たちにも気持ちの整理が必要となることと思います。それまでは私たちの誰かがリリア様に少々気持ちのこもった視線を投げたとしても、お目こぼしいただけると幸いです。私たちの費やした年月は、短くはないのですから」
王妃として立つことを周囲に望まれていたからだけではなく、アイリーン自身にもユーティスを想う気持ちはあったのだろう。少しだけ伏し目がちな赤い瞳がそれを物語っていた。
「はい、勿論です。それはよくわかりますから」
私もいつか目の前で苦しむユーティスを少しでも楽にしてあげたいと思って、毒の勉強を始めたという経緯がある。
愚王になってから毒に倒れることはなくなったけど、またいつかそんなことがあったときには力になれるようにと、薬師の勉強の傍ら、薬屋店主を営む傍らでずっと続けてきた。
だからといって王宮まで乗り込んでくることになるとは思いもしていなかったけど。
「リリア様。お近づきのしるしにと、お菓子を少々持参いたしました。いつもおいしいお菓子を召し上がっていると聞き及んではおりましたが、うちのシェフもなかなかのものなのです。共にお菓子を囲むことで、少しでも私たちの間の溝を埋められたらと思っております」
まさかの、私と同じような考え方をする人だった。
面白いな、と思った。
生まれも育ちも違うのに、私たちは平和的な解決を望んでいる。軋轢を望んでいない。一方では毒を仕掛ける人もいるというのに。
だからというわけではない。
だけど、アイリーンは大丈夫、信頼できる。そう思った。
アイリーンから預かっていたらしい包みを手にしていたユニーに、頷いて見せた。
卓に広げられたそれを見ると、ドライフルーツの混ぜ込まれたクッキーだった。
「リリア様は果実の砂糖漬けがお好きとうかがっておりましたので、このようなものはいかがかとうちのシェフに作らせたものです。勿論、毒などは入っておりませんわ」
その言葉に少しだけ笑って、私はクッキーに手を伸ばした。
「とてもおいしそう。いただきます」
一口齧ると、ほろりと崩れる生地の合間にオレンジピールの苦みが走った。
いや、違う。
砂糖の甘さの陰、果実の皮の苦みに紛れ、食糧としてではない苦みが隠れている。
私は咄嗟にせき込むフリをしてハンカチにそれを吐き出した。
一瞬、近くに控えていたユニーたち侍女に緊張の色が走る。
私は咄嗟にそれを目線で抑えた。大丈夫。今は動かなくていい。
正しく私の目線を読み取り、三人は一歩踏み出しかけた足をそっと戻した。
「リリア様? 大丈夫ですか。気管に入ってしまわれたかしら」
アイリーンはわずかに驚いたようにしてせき込む私を見守った。
違う。毒を仕込んだのはアイリーンじゃない。
そう思ったけど、私は頭がクラリとするのを感じた。
まずい。微量だけど呑み込んでしまったらしい。
「リリア様?!」
アイリーンは手にしかけていたクッキーを取り落とすと、ふらりと頭を揺らした私の肩を慌てて支えた。
侍女たちが一斉に動き出す。
待って、違うの。
彼女じゃない。
何が起きたのかわからず私よりも青い顔でおろおろとしている彼女に、殺意があったとは思えない。
何よりアイリーンは真っ向から勝負を仕掛けてきたのだ。どうしたって真っ先に疑われてしまうこんな状況を自ら作り出すわけがない。
「リリア!」
いつの間にか騒ぎを聞きつけて、扉の外で待機していたラスが駆け込んできていたらしい。
苦しい息に喘ぐ私は、ラスに背中を支えられ、ぱくぱくと口を動かした。
「アイリーン、じゃ、ない――」
私はそれだけを言うと意識を手放した。




