1.国王陛下に連れられて
ドレープの美しい水色のドレスにパールのネックレス。ついでに右耳にはユーティスから無理矢理嵌められた黒曜石のピアス。
今日の私は完璧に美しい。
それなのに、いざ待ち構えていたユーティスは私を一目見るなり、爽やかな賢王の笑みを張り付けてただ一言いったのだ。
「やあリリア。今日も素敵だね」
『今日も』、だと?
これを見てもいつもと変わらないと言うのか。
最大限の皮肉だ……。これほどの屈辱はない。
少しは美しく変身した私に動揺してみなさいってのよ!
キィィ、悔しい!
心中でハンカチを噛みしめることでなんとか心を落ち着け、そんな風にユーティスとの一か月ぶりの対面を果たした。
それから、邸を出る前にユーティスはルーラン伯爵夫人に賢王の顔で言った。
「一か月、リリアが世話になったなルーラン伯爵夫人。そなたはリリアの義母。今後も何かと頼ることもあるだろうが、よろしく頼む」
「ええ、勿論ですわ。リリア、王宮の暮らしに疲れたら、陛下に許可をいただいてこのお邸に遊びにいらっしゃいね」
ルーラン伯爵夫人のことは大好きだけど、養子になるというのは複雑だった。でもその言葉に、私は何かを失ったわけじゃないのだと気が付いた。
帰れる場所が一つ増えたのだ。
おかえりを言ってくれる人が、またできたのだ。
「ありがとうございます。行ってまいります」
笑んだ私にルーラン伯爵夫人がこくりと頷いて、その背を優しく押し出してくれた。
◇
それから馬車で王宮に向かい、今ユーティスは数人を引き連れて城内を案内してくれているところ。
「ここが図書室。ここにしかない本もたくさんあるから、好きな時に利用するといい。ただ、いつもみたいに、つい読みふけって食事の時間を忘れてしまわないようにね。せっかく同じ屋根の下で暮らせることになったんだ。どんなに忙しくても夕食は一緒に摂りたいな」
これを喋っているのは全部ユーティス。
賢王の爽やかな笑みに甘いマスクをプラスして、時折私を熱い瞳で見つめる。
何故ユーティス自ら王宮内を案内してくれるんだろうと思っていた。
けれどすぐにわかった。
『国王は婚約者を溺愛している』
そう見せつけるためだ。
手出しをしたら容赦しないと、牽制しているのだろう。
だが勿論、それこそが気に食わない人たちがいるわけで。
「陛下。そちらが噂の婚約者の方ですのね? ご挨拶申し上げたいのですが、お許しいただけるでしょうか」
廊下の向こうから現れたのは四、五人のご令嬢の群れ。
手に扇子を持ち、優雅に微笑んでいるけれど、ちらりとこちらを見る視線は敵意に満ち満ちている。
やる気満々だ。
「ああ、是非ともリリアと仲良くしてほしい」
賢王の仮面をかぶったユーティスがにこりと笑みを張り付ければ、令嬢たちはすぐさまぽっと頬を赤らめる。
なんて素直な人たちなんだ。
彼女たちは順に挨拶をしてくれて、私も習った通りに返す。けれど、彼女たちの意識はずっとユーティスに集中していた。絶対聞いてない。
「でも陛下、私達もチャンスをいただきたかったですわ。陛下は私達の誰とも、二人きりでお話をする機会も与えてはくださらなかったのですもの。悔いが残るばかりですわ」
「私達も仲を深める機会さえあれば、もっと早くに陛下の目を覚ましてあげられましたのに。陛下の頬を叩くなんて、そんな無礼で野蛮なことをせずとも」
決して責め立てる口調ではなく、上目遣いにユーティスを見る。
そんないじらしい姿にユーティスは「ははは」と苦笑を浮かべた。
「そうだね。様々な社交の場で様々なご令嬢方と話す機会はあったが、ついぞ仲を深めたいと思うような人と出会えなかったことを、私も残念に思うよ」
「そ……れは。もっと時間をいただければ」
「私とリリアの出会いに時間は不要だったな」
嘘つけー! ずっと毒づいてばかりだったくせに。本当、実のない話ばかりよく口の回る男だわ。
「陛下とリリア様は吊り橋効果のようなものだったに違いありませんわ!」
「そうなのかもしれないね。でも会えば会うほど、リリアに惹かれていくのは止められないんだ。きっとその夢から醒めることは一生ないだろう」
夢なら今すぐにあの薬屋で目覚めたい。
「私が夢から醒まして差し上げますわ!」
そう言って意気込んだ令嬢に、ユーティスは冷ややかにも見える笑みを浮かべた。
「どんな手を使っても私を変えられるのはリリアだけだよ。君たちが無駄に手を振るう必要はない」
そう言ってたじたじになった令嬢たちを置いて、ユーティスは歩き出した。この話はこれでもうおしまいとばかりに。
私を守るために言ってくれてるんだとわかっている。
感謝しなければならない。
だが。
針の筵って、こういうのを言うんだと思う。
後ろから突き刺さる視線に殺意を感じるのは私だけだろう。
「逆効果だったんじゃない?」
隣を歩くユーティスだけに聞こえる小声をぼそりと向ければ、『面倒が終わった』というような顔をしていたユーティスがわずかに楽しそうな笑みを浮かべた。
「現実を知っておくのは大切なことだからな。彼女らでは絶対に無理だとわかっておいてもらった方がいい。俺の隣に立てるのはリリア、おまえだけなのだから」
うん。
偽の婚約者なんて、他の人には務まらないと思う。
乙女の心がぐっちゃぐちゃに踏みつぶされそうな気がする。
◇
一通り案内してもらい、ユーティスの執務室へと移動した。
ユーティスとその側近、私とラスだけになり、やっとほっと息を吐く。
「王宮内は好きに出歩いていいが、くれぐれも気をつけろよ。ここには――」
「ユーティスの命を狙った人たちがいるところだもんね? 大丈夫、用心するわ」
そうは言ったものの、どう返り討ちにするかは考えていない。武器もないしね。いや武器持って城に乗り込む婚約者とか物騒か……。
ユーティスが執務机に頬杖をついて座ると、長身痩躯銀髪の側近が流れるような動作でお茶を出した。
「陛下、どうぞ」
「ああ、リリアにはノールトの紹介がまだだったな。側近だ。今後俺が捕まらないときはノールトに言えばいい」
ご本人からは「通すつもりはありませんが」というような冷たい視線が返ってくるが、一応礼儀は通しておく。
「リリア=ルーランです。よろしくお願いいたします」
ノールトは全く聞いていないようにひたすら私をじっと検分するように眺めた後、冷たい視線を緩めもせずに口を開いた。
「陛下が何と言おうとも、この王宮では決して陛下のお手を煩わすことのないよう振る舞っていただきたい。本来であれば、婚約中の身で王宮に暮らすなど前例のないことですが、陛下のお考えがあってこのような待遇となったのです。そのことをゆめゆめお忘れなきよう」
「何故おまえごときが!!!」という思いが鋭いまなざしから伝わってくる。
婚約中の内に王宮に連れて来られたのは、ユーティスの毒対策のためなんだろう。
王妃になってからでは、お役御免になった後に離婚しなければならず大ごとになってしまう。
だからそれまでにユーティスにはこの王宮内にくすぶる反乱の芽をつんでもらわなければならない。
それがなかなかに強敵であると思い知らされたのは、そのすぐ後のことだった。
でも私はまだこの時、王宮についたばかりで全てのものが目新しく、物凄い人数に一方的に見られ、挨拶をし、疲れ果てていたからそこまで頭は回っていなかった。
ノールトが呼ばれて執務室を出て行き、ラスも別の仕事があるからと別れていて、ユーティスと二人になった。
二人だけで話すのも久しぶりだ。
「ちょっと疲れたわ。休みたい」
「そこのソファで休めばいい」
「いいわよ。私の部屋も用意してもらってるんだし、そっちで休むから」
「エイラスが戻ってくるまでここにいろ。迷ったらどうする」
そこまで馬鹿じゃない、と言いかけて、今日はあちこち回ったからどこがどこだか混乱している気もしたから素直にソファに腰を下ろした。
「ねえ、聞いておきたいことが色々とあるんだけど。エイラスとノールトは、どこまで知ってるの?」
先程の様子を見れば、二人の前で賢王の仮面をかぶってはいなかった。勿論、私とは違って国王とそれに仕える人たちだから気安い空気はないけど、そこそこ本音も話しているようだ。
だったら、本当は私が薬師として望まれていて、期間限定の婚約者だということも知っているのだろうか。
「俺が何を考えてリリアを王宮に連れて来たかは、話してある」
「そう、なら二人に秘密にすることは何もないのね」
言っちゃいけないことがあるなら、事前に知っておきたかった。
でも婚約者という身分が期間限定だと知ってるなら、ノールトもあんな姑のごとく私に冷たく当たらなくてもいいのに。私はユーティスを毒から守るためにきたんだから歓迎されてもいいはず。まあ身分とか、そういうのが気になる人なのかもしれないけど。
気になることを確認し終えたら、やっと肩から力が抜けた。
やっと息を吐ける。ドレスの締め付けがすごすぎて、時々お腹に力を入れて紐を緩ませようとしてるんだけど、さすが伯爵邸のメイドたちの腕はなまくらではない。何時間着ていても着崩れたりはしなかった。
「早くこのドレスも脱ぎたいわ。座ってたら皺になりそう」
「夕食が終わるまではおまえはその格好だ。あとはいつものお下げにバカでかい眼鏡でかまわんから、あと少し我慢しろ」
その言葉にむっとした。
自分が美形だと他人の美醜なんてどうでもいいんでしょうかねええ?
私はまだ聞きたい言葉も見たい顔も見ていない。
キィ悔しい。
「だーーーってさぁ、みんなは褒めてくれたけど旦那様(仮)になる人が一言も褒めてくれないんだもん。着た甲斐がないわ」
「似合っている」
唐突に言われて、今かい。とツッコミたくなった。
そんな事務的に言われても嬉しくないしぃ。
「それだけ?」
っていうか、なんでこんなにユーティスに褒められ待ちしてるんだ?
容姿なんて何の得にもならないと思ってきたのに。自分で言っておいて、目的とその意義がよくわからなくなってきた。変な感じ。
「あとはいつも通りだろう」
でもその答えには本気で目が壊れてるのかと思った。
はあ? と、いつものように言いかけた口を慌てて閉じる。こういう時って淑女は何て言い表すのかしらと口をパカパカしていると、ユーティスは仮面の下でふっと笑った。
「どんな格好でもおまえはおまえだ」
「何よそれ……」
それは誉め言葉なのか。けなしているのか。
わからなかったけど、自然と溜飲は下がった。
ユーティスが楽しそうに笑ってるのを見るのは、嫌いじゃない。
書類に目を向けながらも私を相手にするユーティスを眺めているうちに、私はいつしかソファでうとうとしてしまっていた。
はっと人の気配に目を覚ましたとき、目の前に鬼の形相をしたノールトが仁王立ちしていたことは、想像に難くないと思う。
でもその後ろでは、ユーティスがなんてことない顔をして仕事を続けていた。
「今日は仕事がはかどった。出かけていた間の分も、処理が終わってるぞ」
心なしか、満足そうに見える。
まあ、私のいびきとかで邪魔しなかったんならよかった。
ね、だから、そうやって私を睨むのはやめてよ、ノールト!
綺麗系に睨まれるのは、ヘビより怖い。




