君に捧ぐポピー
雨の日に傘も差さずに小さな女の子が蹲って泣いていた。昼間だというのに、日が差さないため薄暗いこんな山に一人で何をしに来たというのだろうか。
ひっくひっくと、小さな声は雨に吸い込まれるようにかき消されてしまう。そんな様子を遠目からしばらく見ていた。だが泣きやむ様子も雨が止む気配もない。段々と見ていられなくなって、「風邪を引くよ」と声を掛けてしまった。
傘なんて持っていなかったから、代わりに慰めの意味を持つポピーの花を差し出しながら。
これはもう、昔のこと。
春。
色とりどりの花たちが長い冬を越え、小鳥のさえずりに起こされて開花を始める季節。筑紫、たんぽぽ、桜、菜の花。
我先にと花開いた草花が美しい絨毯を作り出している。花々に囲まれるようにこの山唯一の桜の木が満開を迎えていた。たった一本でも、枝の隅々にまで花をつけているので、十分に美しい。そしてその木の下に俺は座っていた。
「違うって言っているだろう! 別に好きなんじゃないって……」
必死に説明する俺を、はいはいと花たちは苦笑する。好きでもないのならどうして毎年待ってるの?とチューリップが言えば、それに同調して周りの花達がまた好き放題に話を作り始める。
だから、それは違うんだって……。俺の声は花たちには届かない。
今年来なかったらどうするの?と、頭を抱え込んだ俺に蒲公英が聞いた。
「来なくたって構わないよ。でもまたここに来て、一人で泣いているのは嫌なんだ」
俺はこの山に棲む者。いわば管理者だ。ニンゲンが俺のことをどう呼ぶのかなんて知らない。俺は俺、それで十分。
姿はいくらでも変えられるが、活動期間が春だけに限定されている。夏になれば自然と“春の俺”は眠りにつき、“夏の俺”が現れる。……なんだかややこしいな。兎に角、春の間しか姿を現すことが出来ない。そんな俺に毎年会いに来る女の子がいる。先ほどからの会話は、「その子のことを俺がどう思っているか」だった。別にどうも思っていないのだが、花たちが言うには
「じゃあ何で毎年わざわざニンゲンの姿をして、彼女を待つの?」
ということらしい。だから、好意があるのでしょう?と。
おしゃべり好きの花たちには、俺の発言は無かったこととして取り扱われる。まぁ、この山の生き物たちが楽しそうにしていればそれでいいのだが……。
そよ風に吹かれて草木が踊る。それに合わせてわざわざ「彼女が来たよ」と、歌うように伝えてくる。この山に入ってくるもの――入山者で俺に察知できないものは無いというのにわざわざ教えてきたのは、単にからかいたいだけなのだろう。それが分かっているからあえて応えずに彼女を待つ。
「ポピー、こんにちは」
俺の姿を見つけると小走りで駆け出した。片手を振って高めの明るい声を響かせる。去年は少し大きめだった名門中学校の制服が、ちょうど良くなっている。顔も少し大人びてきた……が、大きめのくりっとした瞳は相変わらず可愛らしい。あ、躓いた。
そそっかしいのも相変わらずなようだ。
近寄って手を差し出す。
「大丈夫?」
「あ、ありがと」
恥ずかしかったのか、少し申し訳なさそうに握り返してきた。
その傍で花たちがまた勝手におしゃべりを始める。アンナはもちろんニンゲンだから、俺にしか聞こえていないのをいいことに言いたい放題だ。って、お前ら来るか来ないかで賭けてたのか。生息地広げるのも対外にしろよな。あくまで仲良くが基本だ。
「ポピー、今回はどこを旅してきたの?」
桜の木下に仲良く腰を下ろしたところで、アンナが聞いてきた。彼女の中で俺は、旅人ということになっている。なんというか、成り行きでそうなってしまった。渡り鳥に色々と話を聞いているので、それに脚色を加えることで内容には今のところ困っていないが……。
ちなみにポピーという俺の呼び名は彼女がつけたものだ。初めて会った日に名前を聞かれてそんなものは無いと応えたところ、それでは不便だと返された。好きに読んで構わないというと、そのときに渡した花にちなんでポピーと呼ばれた。それ以降、俺はポピーと呼ばれ続けている。一年ぶりに呼ばれる為、うっかりすると返事を忘れてしまいそうで怖い。
さらに、こうして声を出して話をするのも久々だ。手始めに、飛び魚との戦いと題して面白おかしく話を始めた。
「今年はいつまでいられるの?」
一通り話し終えたところで、彼女は聞いてきた。本当は2,3ヶ月いるのだが、旅人という設定なので無難に3,4日で経つと答えておく。
彼女の顔が少し寂しそうに歪んだ。小さい頃に両親が空よりも遠いところに行ってしまい、祖母と暮らす日々は平穏であってもどこかつまらないのかも知れない。聞くところによると、学校でも成績の競争が激しくて親しい友人を作るどころではないようだ。
彼女の暗い表情は見たくないと思う。だが、こればかりはどうすることもできない。
「そんな残念そうな顔するなよ。明日も来ればいいだろう。アンナの学校生活とか聞きたいし、な」
「うん。写真をいっぱい撮ったから、持って来るわ」
笑顔が返ってきて安心した。
絶対に明日も来るからまだ行っちゃ駄目よ、と俺に念を押して帰っていった。
次の日は約束どおり写真を、その次の日は習っているという楽器を持ってきて演奏してくれた。
そして4日目。そろそろ経つと言わなければいけないと、彼女の手作りのクッキーを食べながら考えていた。なんでも、学校の授業で作ったものらしい。山ではどう頑張ってもありつけない、初めて食べるものだったが中々に香ばしくて美味い。
もう一枚、と手を伸ばしてチラッと彼女を横目でみる。
まただ。
口を小さく開いてはすぐに閉じてしまう。何か言いたそうにしているのだが、言葉にならないまま止めてしまう。表情もなんとなく浮かない顔だ。気づかない振りは簡単だが、やはり気になる。
「何か、言いたいことでもある?」
できるだけさりげなく聞いたつもりだったのだが、気づかれたことに驚いて一瞬目を見開いた後うつむいてしまった。聞かないほうが良かっただろうか。言いたくないことを無理して聞くのはやはり良くなかったよな。反省して何か他の話題にしようと、頭をフル回転させて考えていると彼女が「あのね」と小さな声で話し始めた。
「新学期が始まってクラス変えがあったのだけど、それから……」
「……それから?」
「き、気になる子がいるの」
まわりで騒ぎ立てる花たちを意識から除外して、無言で先を促す。
「好き……かどうかは良く分からなくて。でも、気がつくと目で追いかけちゃってて……。どうしようって思っても、こんなこと相談できる友達はいないし。お婆様に話すのもちょっとって思うの」
どうしたらいいかなと、思い悩む瞳は何故か泣きそうだ。泣かれるのは困る。彼女には笑顔でいて欲しい。だが、恋愛経験のない俺に言えることなどあまりない。
さて、どうしたものか……。
こんなとき、口から先に生まれたのではないかと疑いたくなる花たちは口をつぐんでいる。今こそ俺に助言をくれよ。心の中で叫んでも聞いてもらえるわけはない。
好きなのかよくわからないということは、クラス変えをしたばかりって言ってたしあまり親しくないのだと思う。というか「目で追いかけちゃって」ということは……
「おしゃべりしたりはしない?」
「全然。新学期が始まったばかりというのもあるけれど、あまり男の子と話さないの……」
「それなら、まずは努力して話してみないと。見てるだけじゃ、何も始まらない」
知らなければ、好きという気持ちさえも判断できないに違いない。
「アンナは思い悩んでるより、元気に笑ってるほうが似合うよ。まずは、仲良くなること。それからだ」
無理やり答えてみたが、あながち外れてもいないはずだ。俯いた彼女の反応を待つ。ひょっとしたら無理なことを言ったのかもしれないとチラッと思ったが、顔をあげた表情を見ていらぬ心配だったとホッとした。
「……そうね、頑張ってみる」
瞳に輝きを宿して彼女は微笑んだ。
彼女の笑顔を見る度に実体化してよかったと思う。来年は、俺の居場所が他の誰かに代わっているかも知れない。それは少し寂しいことには違いないが、彼女の笑顔が耐えないのならばそれが一番いいと思う。
でも、またどうしても泣きたくなったのなら、俺がポピーの花を差し出そう。
夕焼け空に向かう彼女を見送りながら、そんなことを考えてしまった。
「さてと。戻るとするか」
風に身を任せて、実態を解いた。俺の姿が砂のように消えていく。また来年も、会えるといいな。
去り際に傍に咲く花たちが振られちゃたわね、と話しているのが聞こえた。
だからそれ、違うって……。
ありがとうございました。
この話は『春・花小説企画』への参加作品です。
ポピー:慰め、思いやり
この花と花言葉をイメージして書きました☆花言葉は企画サイト様の一覧から拝借しています^^
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