14 これがぼくのにちじょう
まだ昼前だというのに酷く薄暗い。理由は単純だ、乱雑に立ち並ぶこの多種多様な木々が頭上を覆い隠し地表へ到達するはずの光の大部分を吸収しているのだ。多種多様とは言ったがどれもこれもバカみたいに巨大ということは共通している。お陰で地面から浮き上がった根っこまで大きく歩きにくい事この上ない。しかもこの暗さと不規則な木のせいで見通しも効かず索敵魔法が無ければいつ魔物と遭遇するか常にビクビクすることとなる。ここは深部ということもあり慣れてない奴はそれだけで発狂するには十分な理由だ。とはいえ索敵魔法も完璧ではないので完全に安心は出来ないが。
これが『森』。弱者の存在を拒み冷徹な弱肉強食の原理が全てを支配する世界。俺のホームグラウンドだ。俺は今深部の道なき道をひたすら北上している。
まあこの暗さも悪いことだらけではない。光量が少ないことで雑草や低木は生育できないため進むのに邪魔になるものが少なくなる。ここでも弱肉強食が生きていると言えよう。
「すぅ───」
周囲を満たす濃密な魔力と共に森の空気を肺いっぱいに吸い込む。
「はぁ───」
そして吐き出す。
やはり森は良い。ここにいるだけで精神が研ぎ澄まされていくのを感じる。一度森に染まった人間は内地のぬるま湯の様な空気に馴染めない。何が人助けだ、何が助け合いだ、ふざけやがって。ここでは弱者は死んで当然。弱者なんぞを庇っていたら自分まで死ぬ。あるのはただただ苛烈な生存闘争のみ。
一時間程歩き続けるとつい数日前に嗅いだ臭いがどこからともなく漂い始める。気になって大本まで辿るとそれらはあった。
「タイラントベアか?」
俺の身長を優に越えるサイズの骨。肉は無いが骨格から原型は推測できる。周囲の真新しい破壊跡や所々肉片が骨にこびりついている事ため死んでからそんなに日数は経過していない。その死因は明白だ。これの他にあと4体分の人骨が少し離れた所にある。
「B2ランクね…」
4体とも金製の腕輪をしていることからそれが分かる。だがそれだけだな。装備はどれも損傷が激しく元々何用の装備だったのかすら定かではない。これでは売ったところで二束三文にもならない上かさばるだけだ。腕輪と指輪だけ頂戴し、亡骸に手を合わせてその場を後にする。
タイラントベア。一言で表すならクソでかい熊。しかし侮ることなかれ。骨のだけ、それも伏せた状態ですら俺の身長を越える大きさだ。立ち上がった時のサイズはオーガやトロールといった一般に巨人と呼ばれる魔物すら比較にならない。その巨体から繰り出される攻撃の威力は抉り取られた巨樹の幹から一目瞭然である。
それでもコイツは厄介な魔法攻撃をしてこない上動きもそんなに速くないため、ここら辺の深部に出没する魔獣の中では下位に分類されている。上位冒険者の一端を担うB2ランクのパーティーですらその下位の魔獣相手に全滅させられるのだ。それが深部。森の中でも特に魔力濃度が高く一般人の立ち入りが禁止されている危険地帯。実際さっきのような場面に遭遇することは珍しくもなく深部では日常茶飯事と言える。
因みに深部よりも更にヤバイ場所は二つある。『魔境』と『迷宮』だ。魔境に関しては一般人だけでなく冒険者ですら立ち入りが規制されており入れるのは上位冒険者のみとなっている。まあ上位冒険者といってもピンきりなのでさっきみたいな奴等もいれば、人間捨ててますみたいな頭がおかしい強さの奴等もいる。そんな後者ですら少し躊躇うのが魔境だ。文字通り人外魔境。…まあ今回の目的地なんだけど。
ウルから東北へ広大な森林を抜けた先、いくつもの国境が絡み合う筈の場所にぽっかりと空白の地帯がある。それこそが魔境・竜谷であり俺がウルに拠点を置くこととなった理由の大きな一つだ。あとは地酒が旨いとかかな。魔境ではその強烈な魔力濃度のせいで環境が狂う。不可解な力場だったり、異様な気候だったり、偶発的な魔法現象が多発したりと場所によって様々だが竜谷では重力と力場が乱れているため横着した飛竜種のパラダイスと化している。
そんなこの世の地獄とも言える場所までわざわざ赴く理由は一つ。鍛練のためだ。冒険者の価値とはその実力が全てであり、そうである以上それを高めるのは冒険者としての義務に等しい。どんなに綺麗なお題目や崇高な理想を掲げたとて実力が無ければそいつの冒険者としての価値はゼロだ。そして強くなるにはやはり実戦が一番。それがギリギリであればあるほど良い。死線を越えた分人は強くなるのだ。
かと言って遭遇する度戦っていたらきりがないのでなるべく戦闘を避けながら進むことまた数日、俺は竜谷の外縁部に当たる『枯れ木の森』に到達していた。
久々に拝んだ太陽の眩しさに目を細めつつ周囲を見渡すと遠くに大きな影を発見。もしやと思い近づくと徐々にその輪郭がはっきりとしだし俺は確信する。ヤツだ。
刃竜──朧竜には及ばないまでも地竜系統の中では最上位に分類される化け物だ。しなやかに引き締まった肢体を覆う竜鱗は鋭く、それ一枚で上等な剣以上の質を持つ。そして何より特徴的なのが薄く長い尻尾だ。その見た目に反して恐ろしく強靭で、竜種の力で振り回されるそれは全てを切り裂く必殺の武器となる。
ここで会ったのも何かの縁だ。前回の邪魔が入ったせいで逃した決着を今日つけるとしよう。いやまあご本竜様では無いだろうけど。
俺は常時展開している索敵魔法に意識を集中し周囲を念入りに探る。生体反応無し。人目が無いから6割規制は解除でいい。魔法まで使うと負荷が足りないから気のみでいこう。
「よし」
戦闘方針を決定すると俺は剣を抜き放ち刃竜の視界に姿を曝す。
「────────ッッッ!!!」
俺の姿を捉えた刃竜は言葉にできない凄まじい咆哮を上げる。空気が震え全身にビリビリと衝撃が伝わる。それとほぼ同時、未だ残る10数メートル程の距離を瞬時に縮めてくる。
「ゴアアアア──!!」
左から恐ろしい速さの横殴りが迫る。
紙一重は不可能と判断し縮地のダウングレード版である“瞬歩”にて大きく右へ回避。
「もらったッ!」
足が地に着いた瞬間、今度は縮地で同じ軌道を逆行。攻撃後の一瞬の隙を突き痛撃を叩き込む……筈だった。
「ガアアア!!」
「や、べ──」
刃竜の輪郭がブレる。気が付いた時にはヤツの尻尾が俺の胴体10数センチ手前にまで迫っていた。
「グハ──ッ!」
剣と気で何とか真っ二つだけは避けたが芯まで響く重い重い衝撃が体を抜ける。そしてそれだけでは勢いを殺し切れずそのまま吹っ飛ばされる。
空中で体勢を建て直し着地に成功するも高速で飛来する複数の気配。
竜鱗だ。そう刃竜はその鋭く大きい鱗を飛ばして攻撃する。業物の剣がダース単位、それも亜音速で飛んでくるのだ。たまったものではない。しかもそれぞれ風系統の魔法で貫通力を強化までしていやがる。ここまでくると上位の魔法ですら霞む威力。
「クソがあああ!!」
全てを防ぐことなど不可能。最低限急所だけは剣で防ぎつつ残りはギリギリで避けるしかない。無駄な動き一つで破綻する賭けだ。だがやるしかない。
「ぬおおおおお!」
身体の外側が抉られていくが無視だ。この程度の痛みなら慣れている。
「ガガアアア!!」
この神業を成し遂げた偉大な俺を待っていたのは再びの追撃だ。
「ナメんなよ?」
「ギャウ──ッ!!」
お手の要領で振り下ろされるヤツの前足をギリギリで避けつつ一歩前へ、そして一閃。ワイバーンの首を落とした時とは比べ物になら無い程の気が乗った剣により前足が宙を舞う。
「オラぁぁ!」
体勢を崩したヤツの首がちょうど落ちてくる空間へ追撃の切り上げ。
「ゴガッ──」
「──くっ…」
流石にそう上手くはいかず回避。ついでと言わんばかりに再び大量の竜鱗が降り注ぐ。だがまあ一度食らって要領は掴んだ。先程より遥かに少ないダメージでしのげる。
「ちっ、遠いな」
見ると彼我の差が100メートル程も開いている。しかもヤツがいるのは隆起し周囲より一段高くなった地形。……射撃にはもってこいの場所だ。どうも彼は前足が復元されるまでチクチク遠距離攻撃をするつもりらしい。
まずい。元々、気が攻撃主体な俺は遠距離攻撃手段がほぼ無い。いやあるにはあるがどれもエネルギー消費が著しく無駄撃ちするとあっという間にガス欠だ。まあ完璧な人間などいないというヤツだ。接近戦には絶対的な自信を持つ俺も遠距離からの飽和攻撃をされたらひとたまりもない。
だから近づく。ありがたいことに立ち並ぶ枯れ木が遮蔽物として働いてくれるので───
「くっそ……」
刃竜を中心に洒落にならない量の魔力が練り上げられていくのを感じる。
「ゴアアアアアアア───!!!」
刃竜は一度左(俺から見て)を向くとブレスを放射しそのまま、薙ぎ払った。
刃竜のブレスは二種類ありどちらも凶悪だ。そして今回のはビームタイプ。いやビームってのは正確な表現ではないな。正しくは横に奔る超高密度の竜巻だ。触れたら最期竜巻に巻き込まれた多数の粒子により一瞬で骨まで削り取られる。だが真に恐るべきはその吸引力である。竜巻自体は細く一見避けやすく思えるが実は常に周囲の空気を巻き込んでおり、中途半端に回避しようものなら凄まじい力で吸い寄せられ塵となるだろう。
よって俺は上空へ大きく回避。それはもう綺麗に整地された大地へ降り立ち思わずため息をこぼす。
この刃竜前回のヤツより知能が高い。誘い受けやらブレスで遮蔽物をなぎ倒すとかそうでなけりゃ説明がつかんな。結構な年数生きてる個体だ。下手したら人語まで理解すんじゃねーの?ああもう、こうなったらゴリ押ししか無いな。
俺は瞬歩、縮地織り交ぜランダムに回避軌道を取りながら刃竜に向かって突撃。
「くうううぅぅ──!」
にも関わらずかなり正確に襲ってくる強烈な弾幕の中、致命打を避けつつそれでも進む。
刃竜に剣が届く距離になる頃には当然血みどろになっていた。だが生きてたどり着いたぞ。
縮地
ヤツの次弾装填の隙を突き、ラストを一気に駆け抜け渾身の一撃を胴体へ放つ。
──浅い
「ぐお──ッ!」
いつの間にか再生していた前足による横殴り。被弾。だがここで吹き飛ばされる訳にはいかない。高速移動は大量のエネルギーを食う。再び距離を詰める体力はもう残っていない。歯をくいしばり全力で踏ん張って耐える。
そこへ更なる追撃。
竜鱗、尻尾の斬撃、両前足入り乱れる猛攻を時には回避、時には受け流し、時には食らいながら隙をついてこちらも攻撃を叩き込む。
死闘で加速する意識の中俺は思う。
これだ、と。このギリギリ感。すぐ隣に死神の息吹を感じる。この極限状態でこそ無駄が削ぎ落とされ戦闘へと最適化されて行く。たまらない。
回避、攻撃、被弾
回避、受け流し、攻撃、回避、被弾
回避、攻撃、回避、攻撃、受け流し、回避、被弾
互いに血を吐きながらも一歩も引かない応酬の中、俺の意識はどこまでも研ぎ澄まされ加速してゆく。
回避、受け流し、攻撃、回避、攻撃、回避、回避、被弾
回避、回避、攻撃、攻撃、回避、受け流し、攻撃、回避、回避、回避──────────────
気がつくと刃竜の攻撃は俺に当たるどころか掠りもしなくなっていた。
「ハァ……ハァ……楽しかったぜ。お前のことは忘れないでおく」
「ガアアアアアアアアア!!!」
後が無くなった刃竜の死力を振り絞った尾の一閃。
俺は敢えて一歩前へ。俺の背後ほんの数センチを尻尾が通りすぎる音を聞きながらガラ空きの刃竜の首へ剣を放つ。
「───」
俺の剣が吸い込まれるようにして首をはね飛ばす刹那、刃竜が微かに笑みを浮かべたのを俺の瞳は捉えていた。