プリズンブレイクのすすめ
しかし、酷い目に遭った。まさか、魔王がこんなに身近なところにいるなんて。そのうえ、自らが倒す予定だった相手にプロポーズされるとは。他に落ち着ける場所もなくて、俺はベッドに座り込んでいた。尻で固い感触を味わいながら、何とか平静を取り戻そうと深い呼吸を繰り返す。
よく考えてみれば。あの場で、魔王を倒すべきだったかもしれない。それが当初の目的なわけだし。驚きの事実が連続して、そんな発想、微塵もなかったけれど。この身体でも、魔法を使えば何とかなったはず。ひたすら究極魔法を撃ち続ければいい。……とりあえず、そっちは後回しだ。
現状、俺はラディアングリスの一人娘の身体になっているわけで。そして、牢屋に囚われている。一刻も早くここから脱出したいところだ。もちろん、魔王を討伐するのが最終目標で、この身体でもできるかもしれないけど。安全を期すならば、早く元の身体を取り戻すべきである。というか、脱獄くらいしか考えることはない。次いつ魔王に会えるかもわからないし。
あの弱っちそうな看守はここにいなかった。目が覚めた時もその姿はなかったから、四六時中姫様を監視しているわけではないのだろう。なんにせよ、好都合である。これでは、脱出してくれと言っている様なものだ。だけど……。
とりあえず、俺はぐるりと檻の中に視線を這わせた。床や壁は無機質なタイルがむき出し、天井は岩肌が露出。他には、ベッドと寝具類くらいか。あと机と椅子くらいは欲しい、気分的に。まあ、このようにかなり殺風景なのだが――
「なんでこんなものまで……」
ベッドとは逆側に、白い布で覆われた空間があった。外からは見えないようになっている。近づいてそれを捲ってみると、そこは風呂場になっていた。排水設備が整って、なんとシャワーまである。そして、その隣にはトイレまで。所謂ユニットバスというやつだ。実物を目にしたのは、昨日の宿屋と今回の二度目だけれど。
それを見て、ついドレスの下の姫様の身体を想像してしまった。今はまだいいが、この先大変なことになりかねない。一層、早くここから脱出しないとという想いが強くなる。流石に風呂やトイレはまずいだろ……ああ、考えたくない!
ということで、特に脱出に役立ちそうなものはなく。また、外に出られそうなところもない。やはり、ここはあの窓から出るしかないか。鉄格子が非常に邪魔だけど。
とにかくどうやってあの高さまで近づくか。天井は意外と高くて、ベッドに乗っかって飛び跳ねたところで届く気がしない。この女、意外と身長が低いのだ。それよりも――
窓には鉄格子が付いている。そっちの方が問題だ。残念ながら、やはりこの女の柔肌では力任せに引き抜くことはできないだろう。つまり、窓に届く高さを確保したうえで、鉄格子を何とかする手段が欲しい。
閉塞感を覚えて、俺は恨みがましく目の前の鉄格子を睨みつけた。これがなければ、自由にここから出られるのに。……ここ、牢屋だからそれは至極当たり前のことだけど。しかし、そう思わずはいられないほどに切羽詰まっている。。もし、俺が鍵開けの魔法を使えたらなぁ……残念ながら、母の崇高な教育方針により盗賊チックな魔法は持ち合わせていない。……そうだ、魔法だ!
さっきもそうだけど、自分が魔法を使えるんだという意識が抜け落ちている気がする。なぜだか、こう魔法が自分に縁遠いものに感じるというか……。身体が入れ替わった影響だろうか?
まあ、とにかく手っ取り早く爆発魔法でもぶっ放して、窓の格子を壊――ってか、壁を壊した方が早くないか? 我ながら自分の視野の狭さに驚いた。まあ落ち込んでも仕方がない。さっそく実行しよう。建物から出られれば、あとは移動魔法で我が家に帰れる。
「よし――」
静かに、最上位爆発魔法の詠唱を始める。どの魔法も、最上級になると小節数は二けたに達するから、唱えるのは大変だし、必要な魔力量も膨大にだしで。詠唱破棄してもいいのだが、代償に威力は下がるし、魔力の消費量が増える。そこを惜しむ理由はないため、今回は頭から一節一節静かに紡いでいく。
「なにしてるんです、姫様?」
突然後ろから声を掛けられて、見事に俺の集中力は途切れてしまった。ドキッとして、身体がついびくっとしてしまう。呪文は意味のない羅列となって、空間に吸い込まれていった。失敗である。こんなことで、動揺する自分が情けない。普段なら絶対にこんなことはないのに。やはり逃げるということに意識が言っていると、周囲の目が気になって仕方がなかった。
「お食事、持ってきましたよ?」
振りむいて、声の主――小さな兵士の姿を確認した。その手に持つトレイの上にはパンとサラダとスープが乗っていた。一見すると、人が食べるものと違いはなさそう。
――そういえば、目が覚めてからまだ何も口にしていない。そのことを意識したら。ぐう、お腹の音が鳴りましたとさ。しかもも結構大きくて、この寂しい空間に無様に反響する。
ばっちり目の前の魔物にも聞こえたらしく、彼は少しにやっと笑った。気恥ずかしくなって、俺は視線を逸らすしかなかった。
*
「ふう。ごちそうさま」
「今日は食べっぷりがいいですね、姫様」
「そ、そうか?」
看守は大きな瞳を一段と見開いて驚いた顔をした。
俺としては普段通りに食事をとったものだが。こんなところにも性差があるのか……。まああんまり気にしていても仕方ないけど。目下のところ、魔王にバレなければそれでいいわけで。
「なんだかとてもお腹が減っていてね」
「そういうことでしたか。いつも文句を言いながらのろのろと食べているので、少し変だなと思っただけです」
俺の返答に、彼は安心した様に数回頷いた。穏やかな表情ながら、毒を吐いているけど。無意識なのだろうが、本人が耳にしたら怒りそうだ。
食事の味は、俺からしてみれば十分満足いく出来だった。そりゃ母さんの手作りには敵わないさ。でも、決してまずいなんてことはない、あえて言うなら平凡薄味。というか、しっかり食事を出されていることに感心さえした。こいつら、姫のことを丁重に扱っているらしい。
「しかし姫様。さっきもボーっとしているみたいでしたし、やっぱり体調が悪いのですか?」
「……いや、そんなことないよ?」
心配そうに見上げてくる兵士に、俺はやんわりと首を振って答えた。しっかりと笑顔を作れているだろうか。自信はないけれど、つもりはあった。
お互いに黙り込んだまま、視線が交錯する。なんだろう、まだ何かあるのか? さっさと、食べ終わった食器をさげに行ってほしい。
「今日は物静かですね」
「え、そうかな?」
「はい。いつもなら、頼んでもいないのに、べらべらと何かを話し始めるのに」
……この口振りから察するに、どうやらお姫様は相当な喋りたがりということか。そして、こいつは口では嫌そうにしているが、本当はそれを楽しみにしているのかもしれない。だから、姫のことをじっと見ていた。
まずいな……何を話したらいいものか。勇者の話ならいくらかネタはあるけれど。そんなこと話して、看守に違和感を覚えられでもしたら。それが魔王に伝わると、非常に厄介なことになりかねない。
「……あれなんだかやっぱり具合悪いかも?」
「だ、大丈夫ですか? 治療係、呼んできますか?」
「たぶん、ひと眠りすれば大丈夫だと思う……」
「本当ですか? 遠慮しないでも――」
「そんなに心配してもらわなくても結構よ」
彼の言葉を遮って、俺はゆっくりと踵を返した。そして、病人を装う様にふらふらとベッドに近づいていく。
布団に入ると、仕方なく目を閉じた。眠気は全くない。それでもフリだけはしておかないと。あわよくば、兵士がいなくなってくれれば最高だ。
「おやすみなさい、姫様」
「ええ、おやすみ」
しかし、相手は人間だというのに、この魔物は敵意を見せなければ、特段臆しもしないなんて。とても不思議な関係だ。そんなことをぼんやりと考える。
しばらくすると、俺の意識は薄れていった――




