雪の街スニーチカ
白昼堂々、人通りに響いた女性の悲鳴。それは、人波を凍りつかせるのに十分だった。
「ひったくりよぉ~っ!」
とんだ不届き者がいるらしい。雪が散っているとはいえ、明るい時間帯なのにそんなことが起こるなんて。この街は意外と物騒なのかも。いきなりの非日常に、俺はそんな場違いな考えを浮かべた。
遅れて辺りにざわめきが訪れる。人々は、突然の事態に惑い恐怖をしているようだった。
俺はさっと周囲に視線を巡らす。この異変の元凶を突き止めるために。
それはすぐに見つかった。俺たちの前方、若い婦人が雪の上に膝をついている。そして、こちらに向かって一つの人影が走ってきていた。
黒い外套にすっぽりと身を包み、フードを被っているせいで顔はよく見えない。確かに、なにやら大きな袋を抱えている。
「どいた、どいた~!」
一体何様のつもりか。どすの利いた声を出しながら、犯人はこちらに迫ってくる。その野太く低い声は男のものだった。
キャーキャー、と悲鳴を上げながら、民衆たちが散り散りに逃げ始める。それぞれ、道の端々に身を寄せたり、屋内へと非難したり。共通しているのは、その犯人に立ち向かう意思がないことだけ。
まあ確かに相手は屈強そうだし。気持ちはわかる。好き好んで、自己犠牲の道を選ぶなんて、それこそ勇者一族くらいのものだろう。
「どうします、アリス様?」
「どうって言われてもねえ……」
「アタシの魔法でなんとかしたげよっか?」
盗人退治に乗り気なキャサリン。まあ、彼女に任せるのも悪くはないだろう。
「……いえ、わたしがやるわ。二人は黙って見てて」
「はーい。がんばってね~、アーちゃん」
「あまり無茶しないでくださいよ?」
本音を言えば、見て見ぬふりをしたいところではある。面倒事は避けたい。いち早く道具屋で買い物を済ませて、故郷に戻りたい気持ちでいっぱいだ。
しかし、このまま目の前で起こった悪事を見過ごすのもどうにも気分が悪い。他に何とかしようとする人間もいないわけで。それに、こいつ一人に構ったところで、それは大変な寄り道というわけではない。
だから、これは渋々だ。自分で対処することにしたのは……そうしないと気が済まなかったから、それだけだ。他に理由はない。キャサリンに任せた方が楽なのはよくわかってる。
男との距離はかなり少なくなっていた。周りからは、すっかり人だかりが消えた。俺は少し狼狽えたふりをしながら、獲物が来るのを待つ。そして――
「うわっと」
やってきたひったくり犯を避けるふりをして、素早く足をかけた。男の身体が、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。面白い程、見事に決まった。
すると、そいつが持っていた袋が宙に舞った。パシッと掴んで、流れるようにタークに渡した。
「やい、何しやがるんでい、この小娘!」
男はすぐに立ち上がった。なるほどうまく受け身を取ったらしい。勢いそのまま、雪上で華麗な前転を披露したひったくり犯。所々、白くなっているのが面白い。
いや、笑ってる場合じゃないか。男はなんと胸元から小さなナイフを取り出した。腰を落として、それを俺に突き付けてくる。
脅しているつもりか。男は力づよくこちらを睨んでいる。
「痛い目見たくなけりゃ、大人しくそれを返しな!」
「おかしなことを言うのね。これは、あのご婦人のものでしょう?」
「うるせー! このアマっ、お高く留まりやがって!」
事実を突きつけられて逆上する男。なりふり構わず、彼はこちらに突っ込んできた。
真面目に相手をするのもバカらしい。体格は屈強だが、動きはてんで素人。突進は遅いし、真直ぐでとても単調だし。
俺はそれをひょいと避けた。昨日の魔狼たちとの戦闘が効いていた。この身体の動き具合はしっかり頭に入っている。
当然、そのまま奴はよろけた。おっとっとと、これまた無様に足元を乱す。
その頭上目掛けて回し蹴りをかましてみることに。腰をよく捻って、高らかに足を上げる。この辺りは、元の身体より柔軟性があった。
「ぐはっ!」
見事に男の後頭部にヒットした。その威力は、こんなひ弱な姫様の身体でも十分あったらしい。一瞬の呻き声ののち、すぐにその身体は大地に崩れ落ちてしまった。
「容赦ないわね~」
「お見事でした、アリス様」
「どういたしまして。さてっと、あとはこれをあの人に――」
パチパチパチ。突然、どこからか拍手が聞こえてきた。それはやがてどんどん大きくなる。この光景を目の当たりにしていた数少ない観衆によるものだ。
なんだか、居心地が悪い。どうしていいかわからずに、俺はどぎまぎしながらきょろきょろしていた。
魔族二人も同じく困惑している様子だ。キャサリンは、ぽかんと口を開けて目をしろくろと。タークはより一層深く帽子を被り直している。
そんな中、こちらに近づいてくる男が一人。長身ですらっとしたやせ型。女みたい長い銀髪を振り乱れている。如何にも軽薄そうな感じの顔つきだ。
「いやぁ、びっくりした。騒ぎを聞きつけてきてみれば、こんな麗しいお嬢さんがひったくり犯を退治してくれるなんて」
「い、いえ、あの大したことじゃ……」
「うん。その控えめな感じもなんとも可愛らしいじゃあないか。お名前を伺っても?」
「……あの、人に名前を尋ねる時はまず自分からって聞いたことありません?」
少なくとも、俺は両親にそう教わった。いかなる時も、礼儀正しい挨拶を忘れてはいけないよ、と。
俺の一言に、この男は一瞬たじろいだ。こうして、不躾に迫ってきているのが少し鬱陶しかったので、いい気味だ。
「おっと、そうだった。俺はマラート。この街のリーダーみたいなものだよ」
と、爽やかな笑顔で嘯く男。
ずいぶんとまあ、胡散臭そうなやつだなぁ。俺は思わず眉を顰めるしかできなかった。
*
よく暖房が効いていて、部屋の中はとても暖かかった。壁際では大きな暖炉が轟々と火を燃やしている。
ひったくり犯は程なくして、街の自警団に連れていかれた。俺たちは荷物を女性に返して、さっさと目的地に行こうとしたのだが――
「ふむふむ、そうか。魔物たちのところから逃げてきて、故郷に帰る途中と」
話しかけてきたあの男――マラートに捕まってしまった。先を急ごうとしたが、断り切れず、こうして彼の家に連れてこられてしまった。
おかしいなぁ。大した寄り道にはならないと踏んでいたのに。どうしてこうなった? やっぱり、こいつの誘いを振り切るべきだったか。
しかし、一応相手は自称街のリーダー的存在。その誘いを無下にして、気分を害したらどうなることやら。結局、こうなるのは必然だったのかもしれない。
「まさか、あの魔物たちが人攫いまでしてるとは……これは早々に決着をつけないといけないね」
「えっ! その魔物たちのこと知ってるのですか?」
俺が言うと、彼は面食らったように目を見開いた。口元にぐっと力がこもっている。
「いや、だって、俺たちも多かれ少なかれ被害を受けてるからね。あそこの魔物たちにはさ」
苦々しい顔で、彼はおかしなことを言った。しかし、とても嘘を言っているようには見えない。
……どういうことだろう? 魔王はこの町に対して何かをしている、ということか? 思い返してみれば、ヨシフにもおかしな反応があったような……。
どういうことだ、とは決して言えず。俺は黙って意味ありげな視線をタークに送ってみた。彼は即座に首を振った。そんなことはありません、その表情はそんな風に主張しているみたい。
しかし、相手は魔王なわけで。人里に手を出していても、おかしなことはない。それに、人攫いという前科もあるわけだし。
信じるべきは、この男か。それとも、この魔族か。そんなこと、考えるまでもないけれど。でも、今までの二人との触れ合いが、俺の正常な思考を妨げる。
「あの、すみません。おかしなことを訊きますけど……あの魔物とは、霊峰グランダルとを根城にしているものたちでしょうか?」
「グランダルト……? いや、違うぞ。というか、あそこにも魔物が?」
タークの質問のお陰で、俺にも事情が呑み込めてきた。なるほど、そういうことか。
魔王とは別に、この街に悪さをしている魔物がいる。マラートもヨシフも、俺たちがそこから逃げてきたと思ってるんだ……ようやく、勘違いの理由が分かったぞ。
「う、ううん。そうじゃないんです。そういう噂を聞いただけですから」
「へぇー、そうなんだね。よかったよ、あいつらの他にもまだ魔物がこの辺りに陣取ってるなんて、考えただけで気が重い」
「あの、それでですね……実はわたしたちを攫った魔物というのは、あの、あなたたちが言っている連中ではなくって――」
「なにっ!? そうだったのか……なるほど。じゃあ、君たちはこの辺りの事情は全く知らないということかい?」
「はい、実はそうなんです」
俺はこくりと頷いた。よかった、誤解は解けたみたいだ。
「ううん。なるほどなぁ。しかして、どこから話したらいいものか……」
マラートは顎に手を当てて、何かを考え込み始めた。うんうん、と唸り始めている。
……ちょっと待て。なんか、話が複雑になっていないか? なんか長話が始まる予感が……。
そんな俺の心配は、間もなく的中するのだった――




