蛇との闘い
その巨大な蛇は、未だにその身体を地面に埋めていた。いったいどれほどの全長を持つのか、全く想像がつかない。
とにかく、こうして向かい合っている分ですら、優に五、六メートルはありそう。今はその体躯を折り曲げて、頭がわたしたちのちょっと上くらいまできている。
攻撃的な赤紫色の鱗、背筋が凍るくらいの鋭い目、ちろちろさせている真っ赤な舌は細長く先端が二股に分かれている。
とまあ、見た目に関しては、その巨体を除けばあまり普通の蛇と変わるところはない。羽根がついてるわけでも、腕が生えてるわけでもない。……ただ、人の言葉を操るけれど。
「問おう。お前たちは、この先に進みたいのか?」
なんなの、この人――じゃなかった、魔物……。もっともらしい口調で、門番みたいなことを言い出したわ。
思わず、わたしたちは顔を見合わせた。他の二人も、困惑しているご様子。
しかし、当然返答は決まっていて――
「ああ、もちろん」
代表して、わたしが答えた。見た目だけは、このパーティのリーダーに相応しいからだ。もちろん、それ相応の口の利き方をして。
すると、魔大蛇はにんまりと口を横に広げた。少しばかり、目尻も下がった気がする。
「ならば、貢ぎ物を貰おうか!」
「ミツギモノ……?」
わけがわからずに、たまらずつい言葉を繰り返してしまった。そのまま、まじまじとモンスターの顔を見つめる。
……ほんと、この旅は驚くべきことの連続ね。まさか、仮にも王女であるわたしが、そんな要求をされるなんて。
不届き千万! うちのザラちゃんにも匹敵するほどに。もちろん、相手は魔物だから言っても仕方のないことだけど。たとえ、元の姿をしていても、同じことをつきつけられるだろう。
なにはともあれ。そんなこと言われて、はいそうでうすか。ともいかないわけで。
「あんなこと言ってるけど、どうする?」
ギロリとぎょろ目に睨まれながら、わたしたちは数歩後退した。そして、できる限り顔を近づけて、小声で二人に呼びかける。
「どうするもなにも、実力行使だよ、お兄ちゃん!」
「でも、だいぶ強そうですよ? 大丈夫ですか?」
焚き付けてくる妹君。そして、心配してくれるソフィアさん。なんだろう、その優しさが心に染みる。
わたしとしては、ううん、あんまり闘える気はしない。全容は全く明らかになっていないが、雰囲気は今までの中で一番の強敵。めちゃくちゃタフネスそう。
わたしが答えに窮していると、やがてザラちゃんは一つため息をついた。
「……じゃあなにか捧げますか?」
「うーん、その方が……正直、自信ないし」
「はあ。なっさけないですねぇ、お兄ちゃんは」
「まあまあ、仕方ありませんよ。でも、なにをあげればいいのかしら。どう思います?」
「なあんで、こっちのほう見るのかねぇ……?」
「だって、ねえ?」
「うん適任じゃん」
雑な感じで、二人ともこちらに視線を向けてくる。全くこういう時だけ、お姫様扱いして都合がいいことこの上ないわね。
……と、少し不満を覚えながらも。確かに、お城にいた頃は色々と贈り物があった。まあ、大半は父に向けてのものだったけれど。
「嗜好品とか、贅沢品、あるいはご当地名物とか?」
「相手は蛇ですからね……無難に食べ物とかがいいんでしょうか?」
「そうは言ってもなぁ。食糧はかつかつだし。……あっ、干しイモならたくさんあるけど」
ザラちゃんはわたしが担いでいた荷物から、小さな布袋を取り出した。とりあえず、それを持って大蛇のところに戻る。
彼は律儀に待ち受けていた。本当に、職務に忠実な関守さんだこと。嫌味の一つも言いたくなる。
「はい、これあげます」
「おうおう、なんだな、これは?」
「干しイモよ。さあ、たんとお食べ」
「……イモ、だと? そんなもの、だれが好き好んで食べるか!」
――怒られた。その咆哮は空気を揺るがすほど。凄い剣幕ね……そんなに怒らなくてもいいと思う。
「えー、おいしいですよ、干しイモ」
「違う違う。貢ぎ物って、ほらこうもっと豪勢にというか」
「蛇のくせに生意気ね、こいつ」
「確かに。何様なのかね」
「……こいうら、黙っておればいい気になりおって! 少し痛い目を見せないと駄目みたいだな」
キシャー!
牙を剥き出しにして、より一層強く魔蛇は吠える。どうやら、戦闘モードらしい。
やはりこうなるのか。心の中で少し落胆しながらも、静かに魔力を練り始める。頭に浮かべたのは、炎の呪文。
「小火球魔法!」
ポンッ! 小気味いい音を立てて、わたしの頭上に火の玉が起きた。そのまま、真直ぐに敵に向かって飛んでいく。
しかし――
「ふんっ!」
蛇はいきむと一気に地面に潜った。その大きな図体からは、あまりにも想像がつかない速度。その姿はあっという間に消えた。
わたしが放った火球は、すっと虚空を駆ける。
「あ、あれ?」
「お兄ちゃん、次! 氷!」
「ああ、うん! ――氷結魔法!」
呆気に取られていたところに、ザラちゃんの声。わたしは、慌てて次の言霊を口に出した。
瞬間、冷気が辺りに走り、一気に周囲が凍り付く。パキパキパキ、わたしたち三人が立った場所を除いて、地面に段々と氷が広がっていく。
地面の下にいるとしても、さすがに効くはず。いやむしろ、だからこそ逃げ道はない。妹様の指示の理由はなんとなくわかる。
「小癪な真似だな」
またしても、大きな地響きと共に、大蛇の頭部が飛び出してきた。何一つ、ダメージはなさそう。
「ちょっと、ボーっとしてる場合じゃないよ!」
「あ、ああ。そうだね。ええと、爆発いや、雷撃……」
「遅いわっ!」
わたしが次の攻撃を繰り出すよりも、魔物が攻撃に移る方が早かった。
ぐっと、身を曲げると、そのままわたしたちに襲い掛かってくる。鞭のように横なぎの形で。
わたしは全く身動きが取れなかった。隣のソフィアさんも同じ。身体が金縛りにあったように動かない。
「土壁魔法!」
それは、ザラちゃんの強い叫びだった。言葉が紡がれたと同時に、周囲の地面がわたしたちを包み込むようにして球状に盛り上がる。
一気に塞がれる視界。わたしたちはすっぽりと小さな土の檻に閉じ込められた。
程なくして、激しい衝撃が狭苦しい空間に響く。途端に亀裂が広がって、忽ちに地面の壁は崩れ去った。
「くっ、あ、頭が……」
再び、視界が広がった。そこにいたのは、身体をふらふらさせる魔大蛇。意外にも、今の激突は効果があったらしい。
ここから畳みかければ――そう思ったが、誰かがわたしの服を引っ張った。
「よし、逃げるよ!」
「えっ、でも……」
「ここは一度、出直した方がいい。体勢を立て直さないと!」
ソフィアさんもこくりと頷いた。その顔は、どこか青ざめて見える。
「でも、勇者様の力があれば――」
「今は無理! もうちょっと、オリヴィアさんを鍛えないと!」
半ば無理矢理引っ張られるようにして、わたしは戦闘から離脱した。途中、速度上昇魔法も使って。ぐんぐんと、ひたすらに走っていく。
わたしたちは、キャンプ地にかなり近づいたところで足を止めた。幸いにして、敵が追いかけてくる気配はない。
それはわたしにとっては初めての敗走だった――




