トラブルの予感
束の間のお昼休みも終わって、もはや風景がオレンジ色に染まりつつある。色彩を除いて、目に見える差異は周囲の気色にはない。
わたしたちはゼルシップへの長い道のりを順調に消化していた。もちろん道中、何度も魔物に襲われ、合間合間に休憩を取った。しかし、それでも計画通りに事が進んでいると、立案者の少女が誇らしげに話していた。……自画自賛を交えながら。
そんなことしなくても、妹様の有能さはよくわかっている。三人の中で一番年下だというのに、最も旅に慣れていた。過去に何があったかは、はぐらかされたけれど。でもきっと、勇者様の妹として、彼女なりに厳しい訓練を受けてきたのでしょう。
そもそもとして、比較対象がおかしいという節はある。生まれてこの方一人きりで外に出たことのない世間知らずの女。そして、近くの野山を駆け巡ったものの、生まれた村を一度も離れたことのない女。だから、たとえちょっとした旅の経験――それこそ隣町までお使いに行くみたいなもの――でさえ、この中では容易く優位に立つことはできるわけだ。
しかし、である。ザラちゃんの能力の高さは際立つものの、ソフィアさんだってなかなかのもの。簡単な料理は作ってくれるわ、食べられる野草や木の実を教えてくれるわ。そういう生活面での知識は、とても高いものを有していた。それに、朝優しく起こしてくれるし。
……となると、わたしだけがなんとなあく仲間外れな気持ちがするのよね。流石に、水汲みくらいは満足にできるようになったけど。こう、頼りになって尊敬されるようなことは、他に何も――まっ、魔物の露払いはできてるからいいか。……なんともまあ男臭い仕事だと思いますけれど。
「結局、取り越し苦労でしたね」
「ん、何の話かしら、ソフィアさん?」
「お城の兵隊さんたちです。ほら、結構山奥まで来たのに、一度も遭遇してない」
「ああ、確かに。すっかり忘れてた。やっぱりもうとっくにこの山は抜けちゃったんだよ。二日かかるっていうのは、ザラたちがか弱い女の子だからね~」
なぜか、戦闘のザラちゃんは後ろを振った。その顔にはなにやら意味ありげな笑みが浮かんでいる。どこか馬鹿にするような、哀れむような……ろくでもないものなのは確かだ。
そんな彼女と目が合った。すると、一層不気味さが際立って……言わんとすることは、わかったぞ!
「あっ、ごめーん。おにいもいたんだっけ?」
「おにい違う! あなたたちが住む国の王女です!」
「ああ、そっかそっか。ごめんごめん、つい忘れちゃってた。だって、あまりにも違和感ないからね~」
「な・ん・で・す・ってぇ~!」
怒りに顔を真っ赤にする私を前にして、てへ、と大きく声に出して、ぺろりと舌をちらつかせる妹様。相変わらず、舌好調である。二重の意味で。
そして、こんな馬鹿げたやり取りをソフィアさんは優しそうに見守ってくれている。その包容力たるや、まさに姉――まあ物語に出てくる典型的な優しいお姉ちゃんを思い浮かべているわけだけど。
いや、よく見ると必死に笑いを堪えていた。しかし、すぐにそれは決壊して、大笑いをする。意外と、笑いのツボが浅いのよね、この人。まあ見てると、楽しくなってくるからいいのだけれど。
とまあ、いったい何度目かと思うほどに、似たような取るに足らないやり取りを繰り返しながら、わりと気楽に歩いていた。終わりが近づいているから、最後の気力を振り絞っているといえるかもしれない。
がさがさがさ。茂みが揺れる音がした。正確に言えば、風は少しあるために、ずっとそうした音は聞こえていたのだけれど。しかし今の音は、一際大きくて――わざとらしい。
誰が言うまでもなく、わたしたちは足を止めた。ザラちゃんが下がってきて、三人で何かが起きるのを待つ。こういう時はたいてい魔物が現れると相場が決まっていた。
だが――
「おっ?」
「えっ?」
飛び出してきたのは人間の男だった。いやまあ、ゼルシップに続く唯一の道だから、こういうこともあるでしょうけれど……。
「お前は――勇者っ!」
本来ならば、無条件に讃えられそうなものなのに。彼は、苦々しい顔でその言葉を吐いた。
それもそのはず。彼の恰好は、姫がよく知るもの――我がラディアングリスの王国兵だったんですもの。
*
いつものように、火を焚いて、その前で使い魔のキツネが番をしている。辺りには完全に夜の帳が下りていた。
わたしたちは夕食を済ませて、寝る準備もすっかり終えて。平地の上にひいた布の上に寝転がっていた。まだ誰も眠っていないと思う。一番早いザラちゃんからも寝息が聞こえてこないから。
予定していた野営地には無事についたわけだけども。その前の予期せぬ遭遇には、本当にハラハラさせられた。まさか、最後の最後に遭遇するなんて……。
「すぐ近くに、彼らもいるとはね……」
「私としては、兵隊さんが迷子になる方が不思議ですけどね……」
「それにしてもなにしてるんだろう?」
そう。お城の兵士たちはまだこの山にいたのだ。しかも、そのキャンプ地はわたしたちのいるところから遠くない。地形的に、似たようなところに拠点を構えるのはわかるのだけれど……。これもまた、他の仲間二人からの受け売り。
しかし、なかなかに居心地が悪い。仕方ない理由はあるとしても。彼らとあまり距離が離れていないなんて。あの迷子の兵士さんも、勇者の姿を見て、明らかに不愉快そうだったし。何かの拍子で本隊とも邂逅したらと思うと、気が気ではない。
一応、あの彼は、わたしたちが道案内をしてあげたから、お礼代わりにこのことは黙っていると言っていたけれど。でも今にして思うと、自分の失態を隠したいだけなんじゃないかと思う。だって、必要以上の会話をしなかったし。
「人数が多いから余計に時間がかかってるとか、ですかね?」
「うーん、しっかりと訓練されてるわけだから、それはないと思うけど……。どうなの、お姫様?」
「よくわかんない!」
「ったく、このお気楽道楽プリンセスは……」
「いやだってさぁ、そういうのはお父様の仕事なわけだし」
「この国の行く末が心配になりますね……」
「あのーソフィアさんが言うと、冗談には聞こえないのだけれど?」
「だって、冗談じゃないですもん」
「えっ!」
ドキッとした。一応、こんなわたしにも王家たる自覚というものはあるわけで。そういう風に言われると、その……傷つくというかなんというか。
そのままどぎまぎして、何も言えないままでいると、隣からくすりと笑う声がした。ソフィアさんの方からだ。
「うふふ、冗談ですよ~」
「も、もうっ! びっくりしたよ、本当にもうっ!」
「ごめんなさいね、オリヴィアちゃん。つい……。でも、余計なお世話かもしれないけれど、もう少しお父様の仕事にも目を向けてみては――っていうのは、失礼ですよね、ごめんなさい」
「ううん、そんなことないわよ。貴重なご意見ありがたく拝聴しました、ありがとうございます、ソフィア様?」
「も、もうっ! からかわないでよ」
「えへへ、さっきの仕返し」
「なーにいちゃついてんですかね、この人たちは……」
反対側の毛布から、心底呆れかえった声が聞こえてきた。
「あれ、ザラちゃん拗ねてるのかなー?」
「勝手に言っててください、脳内までお花畑の花の国の王女様?」
「またまたクールぶっちゃって~」
「と、とにかく。何かあったのかもしれないよね。兵士たちにか、あるいはこの山にかはわからないけれど」
「ううん、確認してみる必要あるかな……。あまり気は進まないのだけれど」
「明日、私とザラちゃんで聞いてみます? オリヴィアちゃんは都合、悪いんですし」
「おっ、ソフィアさん。ナイスアイディア」
「うふふ、褒められちゃった」
彼女の弾んだ声が夜闇の中に反響した。表情はうかがい知れないけれど、不思議とはにかんでそうな気がした。つまり今のは、本心の言葉だと私は思う。
それはそれとして。兵士の身に何かあったと思うと、心がざわつく。彼らの目的はわからないものの、大切なお城の人たちなわけだし。何でもないことを真に祈る。
であれば、山のトラブルだが。それも、できれば容易く解決できるものだったらいいなぁ。と、非常に都合のいい願いを胸に抱いた。
「さあ、話はまとまったみたいだね。そろそろ、みんな寝たほーがいいんじゃない? 特に、ザラは夜更かし厳禁でしょ?」
「い、いつの話をしてるのよ。キーくん!」
恥ずかしそうなザラちゃんとは対照的に、わたしとソフィアさんはとても大きく笑ったのだった。




